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黒鳥の湖 60
さすがに心細かったのか、迎えに寄越された車の中では蛤貝がぎゅっとしがみついていて、ギスギスしていた雰囲気がほんの少し和らいだように思える。
「来たか」
滑らかに停車した車から降りると、いつものビジネス用のスーツとは違い、場に相応しいブルーグレイのおしゃれなスーツを着た時宝がオレ達を出迎えた。
「時宝様、この度はお招きありがとうございます。けれどここは……小さな集まりと聞いておりましたが」
「大規模なものではないと言う点ではそうだろう」
答えにならない返しをし、時宝は眩しそうに目を細めてこちらを見る。
いや、正確にはオレの腕にしがみついている蛤貝に視線をやった。
「旦那様!お会いしたかったです!」
温かい体温に包まれていた腕が一気に冷えて、蛤貝はさっさと時宝の方へと行ってしまう。
うら寂しく思うのは蛤貝がオレを頼らなくなったからなのか、それとも腕を掴む者がいなくなったからなのか、もしくは……
時宝が蛤貝を見つめているからか……
「どうしてまだガードをしているんだ?」
時宝は蛤貝の首元に見えるガードに気づくと、ちょっと不機嫌そうに眉間に皺を寄せてそれを指差した。
「外に出る際にはつける決まりですので」
「番だと知らせるために招待したのだから取ってくれ」
蛤貝は少し戸惑いの表情を見せた後、黒手に窺うような視線を向けてから頷き、ガードの中央にある宝石に人差し指を翳して鍵を解除している。
顕になるのは、時宝ではなく神田様に噛まれた痕なのに、満足そうにそれを見る時宝の目は優しげだった。
「ああ、うん。その方がいいな。よく見える方がいい」
いつも険しい顔が穏やかに見えて、その視線の先にいるのが自分ではないと言う事実を見たくなくて俯いたけれど、和やかな会話は無遠慮に耳に届いてくる。
「 那智黒も、よく似合っているな」
一頻り蛤貝を誉めた後、時宝はやっとオレに気付いたのか付け加えたように声をかけ、少しだけこちらに顔を向ける。
その距離が、オレの立場なのだと痛感して……
「……はい、私めには過分な配慮、感謝いたします」
なんとか絞り出した言葉は素っ気無く、時宝だけではなくオレ自身も驚かせた。
見開かれた目にきらびやかなホテルの光が反射して、その中の感情を読みづらくさせていたけれど、どこか落胆を含んだ苦々しいものがあるのだけはわかる。
せっかく、蛤貝のお披露目に呼んだのに無愛想過ぎて呆れられたんだろう。
けれど、にこにことしていられる気分でもなくて、不愛想なままの表情を変えることはできなかった。
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