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黒鳥の湖 67

「那智黒には聞きたいこともある、ここに残ってくれ」 「でもっ でも   」 「蛤貝」  名を短く呼ぶ声は硬質だった。  そのまま怒りだすのかと息を詰めていたけれど、時宝は小さな溜め息を一つ吐いてから蛤貝の頭を優しく撫で、言い聞かせるようにしてもう一度「行ってこい」と促す。  男らしい大きな手が蛤貝の頭に置かれて、いつもオレにしていたように優しく頭を撫でてから名残惜し気に髪を一掬いして離れていって……  最後の髪の一筋から指先が離れる瞬間の表情は……かつてオレに向けられていたものだ。  胸の奥からゾワリとした冷たい物が這い上がるような、泣き出したくなるような感覚にぶるりと震えてぎゅっと自分を抱き締める。 「わかりました。すぐに来てくださいね?」  可愛らしく首を傾げて言う蛤貝に時宝は頷き、奏朝に視線で向こうに行くように指示を出した。  奏朝に連れられて離れていく二人を見送ってからこちらを向いた時宝は、蛤貝の背中を見送っていた時の面影を残しもしていない厳しいもので……  何かしでかした記憶もないのに、ひどく叱られて突き放された気分だった。  これが、番に顧みられなくなったΩの気持ちなのか と、心細さで今にも足元が崩れていきそうな感覚に陥る。 「  あー威兄はやっぱり真後ろにしたんだぁ」  血の気が引いて倒れてしまいそうだったオレを正気に戻したのは、尊臣のなんの悩みもない能天気そうな声だった。  取り落としそうになっていたシャンパンのグラスを持ち直し、額にジワリと滲んだ冷や汗を手の甲で拭っていると、厳しいままの時宝の視線がそれを追っていることに気づいて慌てて手を後ろへと回す。  視線は執拗で……  隠したはずの手を未だ見られているような気がして落ち着かず、時宝から身を隠すようにそっと体をずらした。  それでも絡むような視線を感じていたけれど、尊臣の言葉に返事をしないわけにもいかなかったのか、不機嫌そうに「なにがだ」と取ってつけたように呻く。 「噛み痕。俺、前から噛んじゃったからちょっとずれてるんだよね、耳の後ろの方って言うかさ。真後ろだとやっぱり綺麗に見えるからさ!前から噛んだのはらぶらぶちゅーって抱き締めながら噛んだんだなってなって、それはそれでいいんだけど……やっぱ後々考えたら、キレイにつけてあげたかったかなって」

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