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黒鳥の湖 68
とんとん と首を叩く尊臣を見る時宝の目がゆっくりと丸くなって行く。
「今、なんて言った?」
「えー?俺とまどかさんはらぶらぶだよって話。あっ!だからって威兄がらぶらぶじゃないって話じゃなくって!」
求めていた答えではなかっただろうに、尊臣の言葉をもう一度頭の中で繰り返しているのが表情だけで分かった。
視線が惑うように蛤貝の方に向けられて、その後ろ姿を見る目が見開かれて……
何が時宝の心に引っかかったのか、考えつく前に手が咄嗟に喉元を押さえてしまった。
「 っ、すみません!御不浄を拝借いたします」
弾かれるようにそう言って扉の方へと早足で歩き出す。
ど ど と跳ねる心臓のせいで制止の声がかき消されて、聞こえなかったふりをして扉を潜った瞬間に走り出した。
「 き、づかれた?」
ほんの一瞬の動作だったけれど、時宝はそれを見逃すような男ではない。
足音の響かないふかふかとした廊下をつんのめるようにして走るけれど、パーティー会場の喧騒はまだ耳に届く位置だ。逃げているのに幾ら頑張っても遠退いていないような気がして、目が回って思わず壁に体を預けた。
変わらない動悸と、それから手足の体温がなくなっていくかのような、すぅっと体の中から何かが引いて行く感覚に目が回ってきつく瞼を閉じる。
……時宝は、分かってしまったのだろうか?
それとも、発情期中のΩにあてられて記憶が曖昧だったのだと思ってくれるだろうか?
…………いや、αが番とするΩの首を噛んだ瞬間を、忘れるなんて……
「 ────っ」
ぞわ と悪寒がして体が震え出す。
それが寒さのせいでないことは自分が一番よくわかっている。
「 なち ぐろ だったよね?」
背筋を駆け上がるような悪寒に耐えながら振り返ると、オレに手を伸ばそうかどうしようかと迷いを見せている一人の男性が立っていた。
「神田様……」
服装を見れば仕事と言うふうではない。
そう考えると、神田様も客としてここに招かれた一人なのだろう、幾ら若くとも『盤』に来ることができるくらいなのだからそれ相応の社会的立場を持っているのだろうから、なんらおかしいことじゃないのだと胸の内で頷いた。
お客様の前なのだから体を正さなければ と思うも、ふらついてしまって壁から手を離すことができず、無作法とは承知の上で歪な礼を執る。
「なちぐろ? なら、わかるよね⁉どうして蛤貝が時宝社長の隣にいるのかっ せ、説明、してくれるかな⁉」
震える語尾は懸命に激情を押さえようとしている証だ。
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