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雪虫2 43

「ごめんな ごめん、ごめん っ」  この振動だけで、雪虫の肌は擦れて赤くなると思う。  あの血管の薄く透ける肌が赤くなるのを想像して、自分の無力さと情けなささに泣き出しそうになって、繰り返し雪虫に謝る言葉が震え出す。  おめおめと目の前で攫われるしかない。  どうどうと連れ戻すこともできない。  雪虫に恐怖を与えた人間に対して背を向けて逃げることしかできない。  水谷は逃げるのは恥ではない と、繰り返しオレに教えてくれていたけれど……  それでも、大切な存在に手を出されて敵わないからと逃げるしかできないと言うのは情けないとしか思えない。 「   し 、 ぅる?」  微かな声はオレの荒い息で最初は気づけなかった。  でも揺さぶられて意識がはっきりしたのか、腕の中で跳ねるように顔を上げた雪虫はこちらがはっとするほどの大きな声で「しずる!」と叫んだ。 「 っ」  ど と、それだけで心臓が跳ね上がる。  雪虫を抱えながら暗い道を走って、人に追われて、もうこれ以上脈が速くなることなんてないと思っていたのに、雪虫が呼んでくれた自分の名前が耳に届く度に、苦しいくらい息が詰まって鼓動が跳ねた。 「しずるっ」 「ゆ き、  」  顔は合わせていなくても、声は毎日聞いていた。  でも、そうじゃない。  腕の中で、オレの方を見て雪虫が声を上げることの幸福さに、声を上げてわぁわぁと泣き出したい気持ちをぐっと堪えて、冷え切ってしまった冷たい指先を伸ばしてくる雪虫を抱き締める。  走ったから熱くなった顔に、氷のような指が這わされて、形を確認するようにぺたりぺたりと動いた。 「しずる?」  うん って答えたいのに上がる息のせいでそれすらおぼつかない。  水谷が毎日走るようにって言うから移動は走るようにしていたから、だいぶ体力がついていたけれど、追われる恐怖のせいか体力はドンドンなくなるし、呼吸がうまく吸えていないような気さえする。  ただ、そのせいなのか幸いなのは雪虫の匂いを嗅いでも意識がはっきりしているって言うことだ。  甘く、  すっきりとした、  花の匂い、  触れたら落ちるような、  熟れた、  熟れた、匂い……  ぞわっと全身に冷や汗が噴き出した。  熟れて、熟れて、今にも形を失いそうなほど熟れたその匂いは…… 「ゆ、き、  むし」  こちらを見上げる青い瞳が良くわからないのかきょとんと瞬かれる。

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