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赫砂の失楽園 1

 愛からすべては始まった  始まりは二人を産み  二人は子をなし三体となり  さらに地に増え四種と増えた  そして、時は満ちて第五の人が現れる  我々はそれを崇め奉り、暗き世に光をもたらす救世主のわずかな力とならん      つい脳裏に蘇った聖典の言葉に背筋を伸ばした。  嫌な汗が流れ始めそうになったのを誤魔化すために、目の前の薄玻璃を磨くのに集中する。  雫が拭われ、透き通った玻璃が美しくなっているのを見ると心が洗われるようで、オレ……小西壱(こにし はじめ)は家に帰ったら鍋を磨こうと心に決めた。 「すっごい勢いで磨いてるわねぇ」  胡散臭いおねぇ言葉で喋るこの人は、オレのバイト先である『gender free』の店長だ。 「割らないんで心配しないでください」 「あ、それは信じてますけども」  と言って、店内を掃除道具を持った状態でくるくると駆けまわっている青年に目をやる。  ふわふわピンク頭の彼が、初日にグラスを十個割ったのは誰にも破られていない記録だった。  もっとも、今後更新されるとしても彼の記録だろうと思っている。 「あ、そうだ、お客はいる前にいい?」  くい とバックヤードを指されて、何事かとついて行くと狭い部屋に幾つかの箱が積み上がっていた。 「まー……代わり映えのしないもんで悪いけど、欲しいもの持って帰って」 「あ、ぇ、いつもありがとうございます!店長!」 「こう言う時だけは店長って呼んでくれるんだから」  そう言うと、店長は茶目っ気たっぷりにウインクしてから大きな紙袋を束で手渡してくる。 「好きなだけ詰め込みなさい。日持ちするものは何回かに分けたらいいし」 「そ……そんなにいいんですか?」 「いいも何も、二人じゃそこまで食べないからー」  頬に手を当てて困ったな と言う顔をしてから、オレに向かってにっこりを笑ってくれた。  そうすると垂れ目がますます垂れ目になるけれど、そう言う部分が可愛いと思う。  長男気質のせいか、末っ子だと言うこの店長がいろいろ気を遣ってくれるとむず痒い気分になってくる。 「捨てるものだから、全部でもいいからね」  念押ししてから店長はバックヤードから出て行った。  戸が閉まって、静かになった部屋を振り返るとたくさんのお中元だ。  一見チャラ男っぽい店長にこれだけお中元を貰う先があるとも思えなかったが、宛先ラベルは剥がされているのでその真実を見つけることはできなかった。  ただわかるのは、店長はオレの……いや、オレの家族のためにこの品々を用意してくれたと言うことだ。 「ありがたい な」 

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