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すっとこどっこい

 このままがいい、と決めたのは、昨日の僕なのに。  それなのに……。 「さ、行くぞー」  自転車で朝の風を切って下る往路は至福の時間。凸凹道は尻が痛いから、後輪の軸に足をかけて立ち乗りする。 「何なの? 衣笠、今日おかしいよ?  手、ちゃんと掴まれ、危ないから」 「うん……」  知ってしまった後で、知らなかった時と同じことをするのがこんなに難しいとは。  昨日までの僕は、どこに掴まって立っていたんだろう。  服の端なら、と摘むように持つ。  --いや、ヘンに意識しちゃダメだ。今まで通り、いままでどおり……  無舗装の道に差し掛かり、咄嗟に肩に掴まった。肩に添えた手のひらに、Tシャツ越しの綿貫の筋肉が透けて見えるような感覚。昨夜抱えて運ばれた時の胸板を思い出し、思わず赤面した。 「…変なヤツ。手、汚れてんの? あ! もしかして俺、臭い?」  クンクン脇に鼻を寄せている。(マジレスするなら、いつだって綿貫はボディソープの残り香がして、臭くなんかないよ。)  違うよ。違うんだ。   おどけた調子で気を使うこいつに、何だか無性に腹が立って、小声でツッコミをいれた。 「こンの、すっとこどっこい」  ……本当に すっとこどっこい なのは、僕の方。  こいつの厚意に甘えて、胡坐をかいていた。まさか色恋の方の好意だとは想像もしなかったけれど、綿貫がいなかったら、居場所が無くて学校ごと辞めていたに違いない。  他の野郎から守ってくれてありがとう。  今も汗をかきかき自転車を漕いでくれてありがとう。  目の前の短髪野郎の頭を、上から軽くイイコイイコしてやった。 「? 何??」 「ん、ゴミ」  ゴミなんて嘘なのに、そんな嬉しそうにありがとなんて言うな。気が咎めるじゃないか。  ありがとう、はこっちのセリフだ。  夕方、寸胴鍋を抱えてスーラジ君がやってきた。中身はラタトゥイユだっていうんだけど、きっとスパイスを足したんだろう。この香りはカレーにしか思えない。 「今日モ、豆腐にぶつけて死ねッテ言ッテタヨ。  料理長ガ荒ッポイコト言ウノ、照レテル証拠。テレカクシー ネ!  料理長、カワイイネ」  『テレカクシー』ってド〇えもんの秘密道具っぽくない? 照れ隠し、ね。そうか、そう捉えると、やかましい人も可愛いね。  暴言は結局、周囲への甘えだ。甘えの度が過ぎるとバッシングが起きる。  ……このままでいたいという僕の甘えも、度が過ぎるといつか諍いの火種になるのだろうか。 「昨日ノ花火、キレイダッタネ! 木綿サン、ドコデ見タノ?」 「あ、見なかった。そういえば」  僕のせいだ。  モッタイナイ! 日本人ナノニ! 風情ガナイ! とスーラジ君からダメ出しを食らい、苦笑いする。でも、昨夜は花火どころじゃなかったから。 「綿貫は僕の看病してくれてて見損ねたんだよ。  この寮から良く見えるらしいから、次回の時はスーラジ君もおいでよ!」  みんなで見たら楽しいよ、きっと!  よいプランだと思ったんだけど、綿貫はプイっと顔を背け、スーラジ君は真面目な顔でこう言った。 「キヌサン、ボク、二人ノ花火デートヲ邪魔スルホド無粋ジャナイ……」  え?  ーーーー!!  綿貫っっ! お前、寮生だけでなくスーラジ君にまでアレを言ってるのか!?  お前の恋人になんか絶対……当分ならないからなっ!  とっ、豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえーーーっ! <“大丈夫、豆腐の角に頭ぶつけてもホントに死んだりしないから。” おしまい>

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