9 / 9
すっとこどっこい
このままがいい、と決めたのは、昨日の僕なのに。
それなのに……。
「さ、行くぞー」
自転車で朝の風を切って下る往路は至福の時間。凸凹道は尻が痛いから、後輪の軸に足をかけて立ち乗りする。
「何なの? 衣笠、今日おかしいよ?
手、ちゃんと掴まれ、危ないから」
「うん……」
知ってしまった後で、知らなかった時と同じことをするのがこんなに難しいとは。
昨日までの僕は、どこに掴まって立っていたんだろう。
服の端なら、と摘むように持つ。
--いや、ヘンに意識しちゃダメだ。今まで通り、いままでどおり……
無舗装の道に差し掛かり、咄嗟に肩に掴まった。肩に添えた手のひらに、Tシャツ越しの綿貫の筋肉が透けて見えるような感覚。昨夜抱えて運ばれた時の胸板を思い出し、思わず赤面した。
「…変なヤツ。手、汚れてんの? あ! もしかして俺、臭い?」
クンクン脇に鼻を寄せている。(マジレスするなら、いつだって綿貫はボディソープの残り香がして、臭くなんかないよ。)
違うよ。違うんだ。
おどけた調子で気を使うこいつに、何だか無性に腹が立って、小声でツッコミをいれた。
「こンの、すっとこどっこい」
……本当に すっとこどっこい なのは、僕の方。
こいつの厚意に甘えて、胡坐をかいていた。まさか色恋の方の好意だとは想像もしなかったけれど、綿貫がいなかったら、居場所が無くて学校ごと辞めていたに違いない。
他の野郎から守ってくれてありがとう。
今も汗をかきかき自転車を漕いでくれてありがとう。
目の前の短髪野郎の頭を、上から軽くイイコイイコしてやった。
「? 何??」
「ん、ゴミ」
ゴミなんて嘘なのに、そんな嬉しそうにありがとなんて言うな。気が咎めるじゃないか。
ありがとう、はこっちのセリフだ。
夕方、寸胴鍋を抱えてスーラジ君がやってきた。中身はラタトゥイユだっていうんだけど、きっとスパイスを足したんだろう。この香りはカレーにしか思えない。
「今日モ、豆腐にぶつけて死ねッテ言ッテタヨ。
料理長ガ荒ッポイコト言ウノ、照レテル証拠。テレカクシー ネ!
料理長、カワイイネ」
『テレカクシー』ってド〇えもんの秘密道具っぽくない? 照れ隠し、ね。そうか、そう捉えると、やかましい人も可愛いね。
暴言は結局、周囲への甘えだ。甘えの度が過ぎるとバッシングが起きる。
……このままでいたいという僕の甘えも、度が過ぎるといつか諍いの火種になるのだろうか。
「昨日ノ花火、キレイダッタネ! 木綿サン、ドコデ見タノ?」
「あ、見なかった。そういえば」
僕のせいだ。
モッタイナイ! 日本人ナノニ! 風情ガナイ! とスーラジ君からダメ出しを食らい、苦笑いする。でも、昨夜は花火どころじゃなかったから。
「綿貫は僕の看病してくれてて見損ねたんだよ。
この寮から良く見えるらしいから、次回の時はスーラジ君もおいでよ!」
みんなで見たら楽しいよ、きっと!
よいプランだと思ったんだけど、綿貫はプイっと顔を背け、スーラジ君は真面目な顔でこう言った。
「キヌサン、ボク、二人ノ花火デートヲ邪魔スルホド無粋ジャナイ……」
え?
ーーーー!!
綿貫っっ! お前、寮生だけでなくスーラジ君にまでアレを言ってるのか!?
お前の恋人になんか絶対……当分ならないからなっ!
とっ、豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえーーーっ!
<“大丈夫、豆腐の角に頭ぶつけてもホントに死んだりしないから。” おしまい>
ともだちにシェアしよう!