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第1話(1)
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↓現在、以下の2つのお話が連載中です。↓
毎日昼の12:00時あたりのPV数を見て、多い方の作品をその日22:00に更新したいと思いますmm
◆『君がいる光』(幽霊×全盲の青年 )
https://youtu.be/VPFL_vKpAR0
◆『春雪に咲く花』(探偵×不幸体質青年)
https://youtu.be/N2HQCswnUe4
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「三田さん、三田 春海 さん! こっちです、こっち」
水原駅前に着くと、おっとりとした声が近づいてきた。声のする位置と足音から察するに、背の低いふくよかな女性だろう。
「お疲れ様です。どうでしたか、電車の旅は?」
近づくなり女性が明るい声で尋ねてきた。
「気持ち良かったです。都内を出るとスッと空気が変わって」
春海が大きく息を吸うと、肺一杯に緑と土と風の匂いが広がった。あははと女性が笑う。
「一応、ここも都内なんですけどね。〝東京都の内〟という意味では」
女性の声音には皮肉の色があったが、外に出られた興奮と開放感で春海はそれどころではなかった。
「まさか東京の中に、こんな場所があるとは思いませんでした」
「東京であって、東京でない場所。それがここ、奥多摩です。ようこそ、都内辺境の地へ」
女性は腰をかがめると、春海の横にいるゴールデンレトリバーのセナに手を差し出した。
「こんにちは。私はこれから貴方のご主人様のお世話をするヘルパーの丹波 よ」
セナは相手の指先を嗅ぐと、「異常なし」とでもいうようにふんと鼻息を鳴らした。その頭を一撫でして、丹波が立ち上がる。
「ではさっそく行きましょうか。三田さんの新しいお家に」
「三田さんは水原集落のことについて、どこまでご存じですか?」
バンが公道を走り出してしばらくしてから、丹波が運転席から尋ねてきた。後部座席に座った春海は自分の足元に寝そべるセナの背を撫でながら答える。
「一応、ネットで調べられるところまでは」
「ネット? あの……でも、どうやって?」
「今は読み上げてくれる機能があるんです」
丹波は恥ずかしそうに笑った。
「すみません。知識不足で。普段は、ネットすら使わない老人相手なものですから。だからまさかこんな若い方が越してくるなんて思ってもみなくて、急遽、集落で一番若い私がかり出されたって訳です。若いって言っても、もう四十なんですけどね」
「本当ですか? 声だけでしたら二十代でも通りますよ」
「やだもう、お上手なんだから」
丹波は高い声で抗議したかと思えば、ふうっと重たいため息をついた。
「実際、集落の平均年齢は約六十八でして、私なんかいつまでもたっても小娘扱いなんですよ。でも春海さんが来てくれたおかげで、これでぐっと平均が下がりますね。ええっと、確か二十五才でしたっけ?」
「えぇ」
「ほんとにお若い。しかもこんな綺麗な男の人とは。あーあ、これで私のアイドル扱いも終わりかな」
(お喋りな人だね)
目でセナに話しかけると、セナも肯定するように春海の足に顎を乗せた。
「でも、本当にいいんですか? 若い人が、こんな何もないところに来て。集落にはゲームセンターもボーリングもカラオケもないんですよ?」
「大丈夫ですよ。どれも僕向きではないので」
その気はないのだが嫌味に聞こえてしまったかなと思い、慌てて話題を変える。
「すみません、窓を開けてもらってもいいですか?」
「構わないですけど、暑いですか? 都内と比べると、まだ涼しい方だと思うんですけど」
「いえ。ちょっと、匂いを嗅ぎたくて」
ウィーンと、窓が自動で開く。途端、梅雨の湿った風にまじって、初夏の新緑と咲きたての花の匂いが車内に流れ込んできた。
春海はその自然な空気を鼻いっぱいに嗅ぐ。
「本当にここらへんは自然が多いですね。おかげで仕事が進みそうです」
「そういえば、三田さんは、芸術家の先生でしたよね?」
「先生っていう程では……最近、やっと自分一人で食べていけるようになったぐらいで」
「でも町内会の人たちが言っていましたよ。良い村おこしになるんじゃないかって。ほら、あるでしょう? 村人よりも人形の数の方が多い〝人形の村〟とかが」
「あはは。期待を裏切って悪いんですけど、僕は人形作家ではなくて造形の方なので」
「どう違うんですか?」
「う〜ん、造形は主に、オブジェとか彫刻とかですかね。特に僕は触れられる作品というか、木とか粘土とか石とか質感のあるものを使って、僕みたいな目の不自由な人や子どもたちが直に触って楽しめる作品を造っているんです。──あ、そろそろ湖ですか?」
「当たりです。よくおわかりで」
「水の匂いがするので」
身を乗り出さない程度に窓に近づくと、涼やかな、清廉とした匂いが鼻腔に溢れた。車が進む度、匂いはどんどんと濃くなる。
「これが……奥多摩湖ですか?」
「えぇ、そうです。水原集落は丁度、この湖をのぞむ山の麓にあるんです。人口五十人にも満たない小さな集落ですが、後方には古代から続く自然林が広がっていて、近くには関東一の鍾乳洞もあるので、夏休みともなると家族連れや学生さんたちで賑わうんですよ。キャンプやトレッキングも、都内から二時間ほどで来られるので、日帰りでも楽しめます。まぁ、でもそれ以外の時期は静かな、自然以外何もない集落ですけど」
「それを聞いて安心しました。混んでいるところはちょっと苦手なので」
春海は再び、すんと水の匂いを嗅いだ。車の窓から入ってくる柔らかい風が、春海の長めの髪と紺色のシャツをはためかせる。
「確か、この湖──奥多摩湖は人口湖なんですよね?」
「ええ。正式名称は小河内貯水池。いわゆるダム湖ですね。小河内というのは、ダム建設の際に沈んだ村の名前です。建設当時は村民の反対運動があったらしいんですけど、結局はみんな折れて、住民たちは各地に散り散りになったとか。その後、ダムは戦前から戦後、約十九年をかけて完成しました」
「十九年か、長いですね」
春海は数秒躊躇い、思い切って尋ねてみた。
「……あの、……海みたいですか?」
「海、ですか?」
意図を図りかねて、丹波が首を捻る。
「あっ、すみません……ええっと、その、広いですか?」
「……ええ、ええっ! ものすごく。視界に入りきらない程です。もちろん琵琶湖ほどではないですが。言われれば、そうですね。確かに海みたいです」
「そうですか、良かった……」
小さな呟きに、セナがぴくりと耳を動かす。
しばらくすると、バンはなだらかな坂道を上り始めた。集落に入ったのだろう。アスファルトと昼食を煮炊きする匂いが窓から漂ってきた。
「確か、以前いらっしゃった時に、集落の中は見て廻ったんですよね?」
通りすがりの住人が「よう、さっちゃん」と気さくにかけてくる声に答えながら、丹波が聞いてきた。
「ばっちりです。地図も完璧に頭に入っています」
「それは頼もしい。何度も聞くようですけど、本当に大丈夫ですか? その、三田さん……のような人がこんなところで一人暮らしなんて……」
丹波が、ちらりと春海の持っている白杖とセナのハーネスを見た。
「都内の方が設備的にも充実していると思うんですけど……」
春海は、ふるふると首を振る。
「確かにそうですけど、でもここも負けてはいませんよ。以前、見学に来た時びっくりしたほどです。点字ブロックもバリアフリーもしっかりしていて。都内にも負けないくらいですよ」
「そうでしょうっ」
丹波は、興奮ぎみに頷いた。
「実はここ水原で代々の名主職を勤めた青島家──いわゆる庄屋さんですね。彼の一族は戦後、都内に移って回船業で成功しまして、今はもう集落とは直接の繋がりはないんですけど、毎年、福祉関係の充実を目的に寄付をしてくれているんです。何でもご家族の方に足の不自由な障がい者の方がいたらしくて、その遺志をついで家族の方も寄付を続けて下さっているんです。他にも元小河内の村人が支援して下さったり──ダムができる前はうちの集落が小河内村と一番近かったので。今はどこもそうですが、うちは老人が多い集落なので、とても助かっています。あ、そろそろ着きますよ。三田さんのマイホームに」
マイホーム!
その言葉を聞いた瞬間、それまでの会話が全て吹き飛んでしまった。歓喜と期待が、うずうずと身体の中で動き出す。
しばらくすると、バンがゆっくりと止まり、セナも「待ってました」とばかりにすくりと立ち上がる。
「ちょっと待っててください。今、そっちに行きますから」
丹波がエンジンを切り、慌てて運転席から降りようとする。
「いえ、大丈夫ですよ。一人で降りられますので」
セナに導かれながら、春海はゆっくりとバンを降りた。地面に降り立ち、二三度、大きく深呼吸をする。
欅と樫が庭に生えているらしい。まるでワインを楽しむかのように古い木の匂いゆっくりと味わう。
「はぁ。私も久しぶりに坂上に来ましたけど、やっぱり立派なお屋敷ですね」
バンから降りてきた丹波が春海の隣で嘆息をついた。春海は、浮き立ちそうになる声を隠すのに苦労した。
「立派ですか? どんな感じですか?」
「そうですね。お武家さんみたいな立派な門があって、屋敷自体は宮作りのこぢんまりとした平屋です。正面側には縁側がぐるりと巡っていて昼寝したら気持ちよさそうな、昔ながらの日本家屋で……すみません、語彙力がなくて」
「いえ、大満足です」
春海は、自然と頬に浮かぶ笑みを抑えることができなかった。
「でも、本当にもったいない。こんな立派な屋敷が今まで業者の間を転々としていたなんて。まぁ、あんなことがあったから仕方ないんですけど」
丹波は門からちらちらと中を覗いていたが、決して、足を踏み入れようとはしなかった。まるで、それ以上近寄ったら何かが飛び出してくるのではないかと恐れているかのように。
「あんなこと、ですか?」
「ええ」
丹波は心ここにあらずといった様子で頷き、振り向かずに言った。
「失礼ですけど、おいくらでした? 高かったですか?」
「いえ、全然。バイアフリー仕様にしても、お釣りがくるほどでした。元々日本家屋にしては凹凸も少なかったので。でも、なぜ?」
「……いえ」
丹波は顎に手をあて、うーんと唸った。
先ほどまではきはきと話していた女性とは思えないほどの歯切れの悪さだった。足元に向けられていた丹波の視線が、ふいに春海の方に向く。
「……三田さん。本当に、一人で大丈夫ですか?」
何が、と問う前に頷いていた。
「もちろんです。こんな身体ですけど、一人で暮らす訓練は受けていますし、丹波さんは週に一回様子を見に来てくれさえすれば──」
「いえ、そういうことではなく……もしかして聞いていませんか? 不動産屋さんから、この屋敷のこと?」
「といいますと?」
「あのですね。この屋敷は──」
続く言葉は、坂下から響いてくる声にかき消されてしまった。
「さっちゃーん! そんなところにいたのか! 木村のじいさんが若い娘じゃないと、デイサービス行かないっていうんだよ! 面倒だけど、行ってくんねえかな!?」
丹波はちらりと春海を見てから、坂下に向かって大きく手を振る。
「わかりました! すぐ行きまーす! ……ごめんなさい。三田さん。そうゆう訳で……」
丹波の声は申し訳なさそうだったが、少しだけ安堵の響きもあった。
「大丈夫ですよ。大変ですね。集落のアイドルは」
「変わって欲しいくらいですよ。──確か、屋敷の中も前に見られたんですよね?」
丹波はバンのキーを開けながら聞いた。
「ええ、大丈夫です。今日は送っていただいてありがとうございました」
「お安い御用です。荷物は明日届くはずなので、またその時に。そうそう、お隣さんが布団を干しておいてくれたので、今日はそれを使ってください。……あと」
丹波の声がぐっと低くなり、重々しいものになる。
「……夜はくれぐれも気をつけてください」
そのままバンはエンジン音を響かせながら、行ってしまった。春海は、ちらりと隣のセナに目を向ける。
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