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第21話
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お忙しい方のための
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三ヶ月後——。
「いい加減、もう帰って来たら? あんなこともあったんだし、やっぱり私、心配で——」
「大丈夫だよ。こっちはしっかりやっているから。ごめん。今、制作の途中だから、もう切るね」
スピーカーの先で母親はまだごちゃごちゃ言っていたが、あえて聞こえないふりをして電話を切る。
鍾乳洞で迷子になり警察に保護されてから、母はますます心配性になった。
だが、思っていたよりはましな方だ。当然強制送還されると思っていたのだが、たぶん奎 が上手く言ってくれたのだろう。今のところ送還される気配はない。
一応警察の方にも「創作で使う素材を探していたら迷ってしまった」とだけ言ってある。目の見えない人間ならさもありなんと、警察の方も特に突っ込んで聞いてくることはなかった。
「……ふう」
額に浮かんだ汗を袖で拭う。早朝から昼までぶっ通しで粘土をこねていたため、さすがに疲れた。ポキポキと肩の骨を鳴らす。
アトリエの小窓からは、秋の気配を感じさせる冷たい風が入ってきていた。屋敷の後方にある森も既に紅葉し始め、カサカサと乾いた音をたてている。
今取り組んでいる制作は、集落の町内会から頼まれたものだ。二年前に亡くなった、青島家の長——青島久周 の遺書が一ヶ月前に公開され、かつてこの集落で何があったのかが明らかになった。その悲劇を記憶に留めておくために、川沿いの鍾乳洞の入口に慰霊碑を建てることになったのだ。春海には、そこへ一緒に立てるオブジェを依頼された。
これから集落は、さらに高齢者や障害者に優しい町として、村おこしをしていくという。
そのため、ここ何日かはアトリエにこもりっきりだ。丹波や奎が定期的に様子を見に来てくれなければ、まる一日ものも食べない、休憩もしないという日が続いただろう。母の電話を取らなかった日も何度もある。ちょっと前ならば考えられなかったことだが、今は怖いとは思わなかった。
自分でもよくわかっている。
集落を手伝いたいという使命感と同時に、胸にぽっかりと空いた穴を何かで埋めようとしていることを。
悠紀のいない生活には、数ヶ月経った今でも慣れなかった。彼と過ごした期間はたかが数週間のはずなのに、まるで生まれた時からずっと一緒にいた人から引き離されたような喪失感を覚えた。
それほどまで彼は屋敷に、そして自分の中に深く染み込んでいた。
ノー・モア・ゴースト。ノー・モア・怪奇現象。
本当の意味で、ここからが自分の初めての一人暮らしだというのに、心は何も躍らなかった。数ヶ月前の自分が、どうしてこんなものを夢見ていたのかと疑問に思うほどだ。
「そろそろ休憩でもするか」
アトリエから出て、裏口を通って屋敷に戻る。すると、コンコンと玄関からノックの音が聞こえてきた。
丹波か、それとも隣さんか。
しかし集落の人間だったら「三田さ~ん、いるぅ~?」と、勝手に入ってくるはずだ。初め、集落の人たちが戸に鍵をかけないことを知って驚いていた春海だが、今ではすっかり田舎の風習に染まりきっていた。
おかげで屋敷の方も今では幽霊屋敷の厳めしさをすっかりと無くし、近所の人が農作物のお裾分けついでに縁側でくっちゃべっていくこともよくある。
コンコン。再びノックの音。
「はい、今でます」
手すりに掴まって玄関へ向かう。ガラリと戸を開けるが、訪問者は押し黙ったままだった。
「……? どちら様ですか?」
答えはない。だが、確実に人がいる気配はする。
「あの、すみません。僕、目が悪くて……何か御用ですか?」
湖から上がってくる風が、ふわりと嗅ぎ慣れた香りを春海の鼻腔に運んできた。
(いや、まさか……そんなはずはない……)
彼は死んだ。天国へいった。こんなところにいるはずないのだ。
これまで何度も、部屋で物音がする度、庭で人の気配がする度、もしやと思った瞬間はあった。だがその度に裏切られ、絶望してきた。もうあんな気持ちはこりごりだ。
「あの、イタズラとかなら警察を呼びますよ。僕が見えないからって、何もできないと思っていたら大間違いで——」
くすりと小さな笑い声がした。まるで必死に抑えていたが、堪えきれず吹き出してしまったというような声だ。
「しばらく見ないうちに、また一段と強くなったようだな」
春海は自分の耳を疑った。まさか、そんなはずはない。でも……。
「その声……悠紀 ? いや、まさか、でも……」
はっと春海の頭にある考えが過ぎった。
「もしかして君……また成仏できなかったの!? 三途の川っていうのは、そんなに元不良には厳しいものなのかい!?」
ガクリと相手が肩を落としたのが、見えなくてもなぜかわかった。
「おいおい、相変わらずボケてるな。まぁ、それも懐かしいけど」
悠紀はふっと笑うと、春海の片手をとった。悠紀の手は固くて温かかった。まるで生きている人間みたいに。
「これだったら信じるか?」
悠紀がぎゅっと相手の手を両手で握った瞬間、バチンと静電気のような衝撃が春海の身体に走った。目の奥で、ポカンとバカみたいに口を開けている自分の顔が閃光する。
「な、何、今の——」
「やっぱりな」
というと、悠紀(とそっくりな声をした人物)は、春海の感触を確かめるように手の甲を親指の腹で優しくさすった。
「幽霊の時から薄々と感じていたんだ。お前に触れると、俺の視界にうつったものが直接お前に伝わったり、その逆で、お前の気持ちが直接俺に伝わってきたり……波長が合うからとずっと思っていたけど、もしかしてこれは魂同士が繋がっているからかもしれない」
「魂が、繋がり合っている……? まさか、いつ、そんな……?」
「初めに春海が俺の魂に触れてからずっと。でも特にあの時、玄関でお互いに抱き締め合った時、俺は一層、強く感じた」
驚いた。悠紀がそう感じたことではない、悠紀の感じたことを自分もまったく同じように感じていたからだ。
「たぶん、春海がじいちゃんの過去の映像をちょくちょく見ていたのは、俺と魂が繋がりあってたからだと思う」
「……?」
首を傾げた春海に、悠紀はさらに一歩近寄った。触れ合った手の皮膚にパチンと先ほどよりも小さな電流が走り、脳裏に白い部屋の光景がフラッシュする。
「……これは病院?」
「あぁ。俺がずっといたところだ」
悠紀の声は、淡々としていた。感情を押し殺しているというよりは、どう感じていいのか困惑しているような声音だった。
「俺はずっと意識不明の状態で眠っていたんだ。二年前、じいちゃんの遺言を受けて屋敷を捜索した俺は、蔵の床下で隠された扉を見つけた。だが、いざ中を探ろうとした時、幽霊となったじいちゃんと遭遇して……落ちた。その寸前、触れたじいちゃんの身体から彼の記憶が俺に流れ込んでくるのを感じた。意識不明になっている間も、繰り返し繰り返し、壊れたフイルムみたいに、それは俺の中で再生され続けた。で、ふと屋敷で目を覚ました時——こうゆうのを幽体離脱っていったんだっけな、俺は全ての記憶を無くしていた。でも唯一、断片的に残っていたじいちゃんの記憶があって、そのために自分自身をすっかりと青島久周少将だと思い込んでいたんだ」
「意識不明……? じゃぁ、君はずっと生きていたということかい? 屋敷にいる間も、身体は生きていた?」
「ギリギリ。だが、屋敷で生魂として目を覚ました時には、ほとんど死に近いような状態だった。医者ももう意識を取り戻すことは絶望的だと諦めて、ただ最後の時を待つだけだった。お前に会うまでは」
春海の手を握る悠紀の指に、さらに力が入った。
「お前と会って、俺は生きる意志を——ほとんど幽霊だったのに、こんなことを言うのはおかしいけど——生きる希望を取り戻した。あの鍾乳洞の入口の時も、こんな残り少ない命でもお前のために使えるなら何の悔いもなかった。でも最後の最後、あの世の入口でじいちゃんが言ってくれたんだ。『守りたい者がいるうちは、最後まで諦めるな』って。で、気がついたら自宅のベッドで目を覚ましていた。一人、泣きながら……」
ぐずりと鼻を啜る音が聞こえた。春海が咄嗟に相手の手を握り返すと、悠紀も握り返してきた。
「……ごめん。こんなに遅くなって。本当はもっと早く会いに来たかったんだ……けど二年間も昏睡状態だったおかげで、すぐに喋ることも歩くこともできなくて。リハビリも辛くて、何度も投げ出したくなった……でも、その度、春海の顔が浮かんできて、耐えることができた。昔から俺はチャランポランでよく周りから『途中で投げ出すな』とか『真面目にやれ』とか説教されてばかりだった。中でも、一番痛烈な説教は春海からだったよ」
「え……? 僕? 別に、何か言ったつもりはないけど……」
「もちろん。春海は、他人にとやかく指図する人間じゃない。でも普通の人間にとってみればどんな小さなことにだって、お前は一生懸命、全力でやっていて俺はその姿を見て無言の張り手をくらわされた気分になったんだ」
悠紀のマメで堅くなった親指の肌が、春海の目元を撫でる。
「こんなに大きな困難を抱えているのに、こんなに生き生きとしている奴、俺の周りには一人もいなかった。周りはみんな、俺と同じように恵まれた環境で漫然と生きている奴ばっかりだったから……でも俺は、もうそんな奴に戻りたくない。だから、毎日毎日、血を吐くような思いでリハビリに耐えた。早くお前に会えるように……」
グッと悠紀が春海の首の裏に手をかけて引き寄せ、二人の身体がピタリと寄り添った。
悠紀の身体は、もう透けてはいなかった。リハビリのおかげか、堅く引き締まった身体が服越しに伝わってくる。鼻先に感じる彼の首筋の皮膚は温かく滑らかで、とくとくと鼓動する脈までもがしっかりと感じられた。
——生きている。
悠紀は今、ここで生きているのだ。自分と同じように。
「じゃぁ、本当に、君は……悠紀、なんだよね……?」
春海はわずかに顔を上げ、相手の頬に手を這わせた。まるで最初に会った時のように。
「あぁ、俺だ」
頷いた悠紀を見て、春海の中で感情が決壊したダムのように溢れ出してきた。相手の背中に腕を回し、思い切り抱き締める。
「お帰り……お帰り……」
喉からひっきりなしにもれてくる嗚咽を抑えることはできなかった。悠紀の肩口で声はくぐもり、白いシャツに涙の染みができる。
「ただいま。帰ってきたよ」
悠紀はポンポンと背中を叩くと、自らもきつく春海を胸に抱いた。
二人は長い間、抱き締め合っていた。狂ってしまいそうな歓喜と、巣の中で眠る小鳥のような安心感が身体を包み込む。異なるリズムだった二人の鼓動と呼吸は、やがてとくとくと一つにまじりあっていく。
——魂が繋がっている。
先ほどの悠紀の話を、今なら信じられる気がした。
耳元で、悠紀がくすりと笑う。
「なんか変だな。いつもは『お帰り』って言うのは、俺の方だったのに」
「それなら最初から変だよ。幽霊が律儀にお見送りとお出迎えをするなんて。幽霊になっても、やっぱり君は育ちがいいんだなあ。素敵なことだ」
「俺のことをそうやって誉めてくれるのは春海だけだよ」
「わっ……!」
突然、ふわりと身体が浮いた。何事が起こったのかわからずにいると、後ろでピシャリと玄関の戸が閉まる音がした。
「悠——……!?」
背中を壁に押し当てられ、そのまま唇を奪われる。支えるものが壁しかない不安定な体勢で、春海は目の前にいる悠紀の腰に足を回すしかなかった。
「ふっ……」
衝動的なキスの合間に、悠紀の唇が離れた。その隙をついて、春海は相手の頬をつねる。
「ちょ、君っ! 何をやっているんだい!? 目の見えない人間にこんなことをしたらダメだろうっ……!」
「……ごめん、でも俺、ずっと春海に会いたくて……」
悠紀は春海の首筋に顔を埋め、低く唸った。熱い吐息が敏感な皮膚をくすぐり、春海の身体に甘い戦慄が走る。
春海は相手の髪に指をからめた。老久周と違って襟足まで長い髪は柔らかく、陽だまりの匂いがした。
悠紀の感触。やっと感じる、生きている悠紀の感触だ。
「……僕もだ。僕もずっと会いたかった……」
相手の首に腕を回し、指先で相手の髪の感触を確かめながら、悠紀の額に優しく口づける。すると、悠紀はご褒美をもらった子どものように、へへへと笑った。
「……そういえば、君は何歳なんだい?」
何気なくきくと、考え込むような沈黙が一瞬あった。
「事故にあった時は大学生だったから、今……二十三? まぁ、大学は今も一応在籍しているみたいだけど」
「えっ、じゃぁ、年下ってこと!?」
悠紀がむっと顔を上げた。
「年下じゃ不満なのか……? 一体、何歳だと思ってたんだ?」
「う~ん。大正生まれの幽霊だから、百才オーバーかなと」
「そりゃ、期待させて悪かったな。百才オーバーの包容力がなくて」
ふんと拗ねたような鼻息に、思わず笑いがもれる。
「冗談だよ。でもそれなら、僕が世話を焼いてあげないとね」
ポンと頭を撫でると、悠紀は動物みたいに春海の首筋に鼻先をこすりつけた。
「よろしく頼むよ。俺、春海に甘やかされるのがすごく好きみたいだ。俺を顔とか家柄とか金とか、色眼鏡で見ないで誉めてくれるのは、春海だけだ」
「まぁ、かけたくてもかけられないからね、色眼鏡。でも、そうゆう君も奇特な人だよ。普通、僕みたいな人に甘えたがる人なんていないよ」
悠紀は反論しようとして顔を上げたが、考え直したのか、代わりに再び口づけてくる。舌と舌が絡み合い、二人の呼吸と唾液とがかさついた唇をしっとりと濡らしていく。
「言っておくけど、俺は甘やかすのも得意だからな」
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