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第1話

 こんな世の中間違っている。 夢と希望を胸に秘め、大きな一歩を繰り出してからきっかり半年後。 踏み出した歩幅を大きく超えて後退し、俺は過去にとらわれないぜと回れ右をした。 訓練された軍隊の一員になったかのようなきれっきれの動きだった。 要するに逃げたのである。 服飾の専門学校を卒業したのち、小さいころからの夢であったアパレルデザイナーの狭き門を叩いた俺は、自信と若者特有の謎の優越感に浸っていた。 仕方ないだろう。末尾に長音符のつく職業は特別感があってかっこいい。憧れの職業なんて所詮チープな妄想からのスタートが8割動機だ。 安い妄想のまま終わらせず、たった半年だけでも夢は叶ったのだからいいじゃないか。 及第点だ。よく頑張りましたで賞。 だってそうじゃないと、そう思わせておかないと。 報われないじゃないか、小さいころの自分が。 過去とは踏み固められた土壌、気が向いたら耕して、育んで、また生まれなおせばいい。       勤めていたデザイン会社を辞めた俺が新たに職場として選択したのはアパレルの販売員だった。 結局好きなものからは離れられず、直接のニーズを聞きたいからという、こじつけたような理由で再就職した。それから三年間、横浜のファッションビルでしゃかりきに働いた。 「前の会社を半年で辞めていたから心配していたけれど、うちのブランドが性に合っているみたいでよかったよ。」 「いやー、おかげさまでのびのびとやらせてもらっています。」 「真顔で言われてもあんまりしっくりこないんだよなぁ…。」 休憩室の喫煙所で、苦手とする食えない上司から呼び出された俺は、煙にまみれながら、乾いた笑いを漏らしていた。 『旭君、エマージェンシーコールだ。奴が店回りに来る。』 店長からそれを聞いた途端、アットホームな職場は一転した。今回の生贄は?大丈夫だ、売り上げは取れている。みんな忙しいふりをしろ!トイレに行ってきます!あっ、俺は入金に行ってきます! まるで蜘蛛の子を散らしたかのような慌てっぷりだった。怖いのはそれでも微笑みを顔に張り付けながら洗練された動きでそれぞれが四方に散るという、刷り込まれた回避行動だ。 そして訪れたマネージャー直々のご指名でストック整理をしていた俺がドナドナされたわけである。 「接客も個人売りも申し分ないし、一皮剥けてみたくない?」 「はぁ…」 「つまり百貨店に新しくオープンする外資ブランドのスタッフとして立ってもらおうかなって。」 「えっ。」 「14日後にはもうそこにいるイメージね。」 「えぇっ!?」 こうして昇格という名の人身御供、もとい誰もが知る有名ブランドのオープニングキャストとして送り出されたのである。

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