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第33話

「あ。」 「ぶ、ぐふふふふふ」 先程の甘い雰囲気はなりを潜め、柴崎は空気が抜けるような情けない声を出しながら旭に持たれかかられた、シンプルに重い。 「あぁぁ…」 「うぐぇ、おも…どいてー!!」 「あだだだ、いたいやめろぉ!!」 びたびたと滑らかな柴崎の背に旭の紅葉が咲いていく。遅刻厳禁、皆勤賞である旭に慈悲はない。 なによりも柴崎の設定する目覚ましの音が勤め先の朝のオープニングメロディーというだけでもはや面白い。 ぎしり、とベッドを軋ませ柴崎が起き上がる。日頃スーツに隠された鍛え上げられた腹筋を目の前にし、なんだか気恥ずかしくなり、思わず目を背けた。 そんな旭の様子など気にすることもなく、柴崎は手を伸ばしスマホのアラームを止めると、そのまま朝のシャワーを浴びるべくベッドから立ち上がった。 「は!?!?なんで自分だけパンツはいてんすかあんた!!!」 「だってお腹冷えたらいやじゃん」 「おれのぱんつは!!!!」 「お前ははかないでいい。」 「なんという!」 情事後の翌日、けだるげな朝からのピロートークなどドラマの中でしか存在しないのでは、と本気で思った瞬間である。 昨夜無情にも柴崎によって脱がされた旭のボクサーパンツはベッドから少し離れたカーペットの上にポツンと落ちていた。 手を伸ばして取るには微妙に距離があり、かと言って寒い部屋の空気に素肌を晒すのもなぁ、と思う。 結局ぶすくれたまま、旭も起き上がろうとして思い出した。 「俺今日お休みだ」 「まじ?んだよつまんねーの」 ちぇー、という無邪気な様子に、少なくとも寂しく思ってくれているのかな?なんて都合のいいように考える。思いを確かめるように肌を重ねたのだが、気恥ずかしくも不器用に格好をつける柴崎に気付くほど旭は鋭くない。 そう、柴崎誠也は照れていたのだ。 あの子供滲みた意地悪をしたかと思えば、大人の余裕をかます。 振り幅の広く掴みどころのない男が、明確に照れていた。 好きなやつと両思いって、こんな感じなのか。 甘酸っぱいと感情を味に例えた最初の人間はきっと有名なシェフに違いない、知らんけど。 などと頭の中はまとまりがなくお祭り騒ぎである。流石に表情にこそ出さないが。 ようするに、いい年した大人が浮かれているという様子を気付かれないうちにシャワーを浴びて切り替えたい。 そしていつもの格好いい柴崎さんに戻るのだ。 「おれも一緒に出ようかな、」 「え?いればいいのに。」 「え、いいの?」 「お」 う、とは続かなかった。 柴崎もまったく意識せずに旭が夜までいると思っていたからだ。 言われた旭も、まさか柴崎のほうからいいよ?と言ってくれるとは思わなかったんだろう、期待と気恥ずかしさ、そして純粋に嬉しく思う。 正直な瞳はまるで続きを促すかのように見つめてくる。 そんな目で見られるとまじで格好つけられなくなる。ぐるる、と喉の奥が鳴り、じわじわと顔が熱くなるのを誤魔化すように、ぽいっと鍵を投げ渡した。 「悪いけど、も一個作っといて」 「え、なにを」 「鍵、お前のぶん」 あの間抜けなうさぎがじとっと見つめてくる。旭は一瞬何を言っているかわからなかったが、ぶっきらぼうなその様子にやっとこさ柴崎が照れているのだ、と自覚した。 こっちみて投げろよ危ないな、とか、合鍵は作ったものを相手が渡すのがセオリーなのでは?や、こんなとこまで不器用なのかよ。など 旭は色々なことを思ったが、胸の奥深く。柴崎ですら知らない軟らかい部分が甘く鳴いた気がした。 なんだか例えるなら、空気が桃色だ。 「はぇ…」 「帰りは19:00くらいだわ、お前はまだ寝てろ。」 風呂、と一言言うとペタペタと素足で床を踏みながら水場へと消えていく。 絶対に気のせいじゃないだろう。柴崎の耳が赤くなっていた。 なんだか、恋愛って恥ずかしい。 息苦しくてすぐ死にそうになる。 この人はどれだけ俺を不整脈にさせるんだ。 チャリ、と金属の擦れ合う音を立てながら、すり、と鍵の表面を優しく撫でる。 指輪をもらって喜ぶカップルもいるけど、俺はこっちのほうが嬉しいな… きゅ、と手の体温が移る。信頼の証。 旭はそれを宝物のように両手で包みながら、ぽふんと音を立て枕に顔を押し付けた。 くふん、とひとつ吐息のような笑みを漏らすと、家主の言うことを聞くように目を閉じた。 どうかこの幸せが夢でありませんようにと、手の中の熱源にお祈りをして。 旭にはこの連日、宝物が2つも増えた。 一つは彼のミドルネーム。そしてもう一つは合鍵。 起きたらまず合鍵を作り、夜のご飯でも作ろうか。そして、行ってらっしゃいはまだ恥ずかしくて言えないから、まずはおかえりからだ。 待ってていいのだ、誠也さんの帰りを。 旭は小さく呟いた。感謝の気持ちは、きっと受け取ってもらえないだろうから。 だから自分だけの宝物の一つとして、ポツリと呼んだ。 ダレルという三文字にいろいろな気持ちを含めて。

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