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第9話

『ああ……』  湊音はしばらく水族館の中でボーッとしていた。明里はもういない。ボー然としてしまい動けなかった。  湊音にとって初めての失恋。女性にビンタされたのも初めてである。頬がもう赤みも引いたはずなのにまだ傷むのは心の痛みなのであろう。  明里が他の男性とも関係を持っていた、それが衝撃的だったようだ。頭の中で彼女とセックスしてる時の表情や動き、交わりを湊音は思い出す。とても純粋でウブな女性という印象を持っていた。  そして嫌がらず何度も受け入れてくれる従順な子だとそれをいいことに湊音は調子に乗っていたのではと彼は自分で反省する。  スマホに着信が入る。李仁からのメールだった。 「どーぉ、デートの方は。楽しんできてね^_^ また聞かせてね」  文字だけで李仁の声が脳内再生される湊音。その文字がぼやけて見えるのに気付いた。 『涙……なんで僕は泣いてるの?!』  気づけば溢れ出る涙に動揺する湊音。人が周りに沢山いる。カップル、家族連れ、子供たち。恥ずかしくなってきた。ハンカチで拭うがそれでも溢れ出る。  湊音はとっさに李仁に電話をした。すると仕事ではなかったのか、すぐに通じた。 「あら、どうしたの? デート中でしょ。何かあったかしら」  湊音はその声を聞いてさらに涙が溢れる。 「李仁さぁああん……」 「湊音くん?!」  夕方、また李仁の勤める本屋の横のカフェで湊音は座る。ここまでどうやってきたのか分からないほど気持ちは絶望していた。  とにかく李仁に状況を説明して慰めてもらったものの、やはり振られたことが一番のショックであった。明里が好き、というわけでもなかったのだがもともと人間不信というのもあり裏切られたのもあった。 「おまたせ、湊音くん。今日は夜の仕事は休みにしてもらったから」 「……僕のために休んでくれたんですか」 「そうよ。たまたま代わりの人いたからよかったけどね」  湊音は明里のために普段行かないような高級レストランを、予約していたのだ。兎にも角にも恋愛経験が少ない彼はとりあえずこういうところに連れて行けばいいという思考が仇となってしまった。 「はい……すいません、付き合わせてしまって」 「大丈夫。今日はとにかく美味しいもの食べて。明日は仕事なんでしょ」  李仁はとても気分が良さげである。私服はいつも派手なのだが今日はシックな服装である。ピアスも少なめである。 「いつもね、ロッカーには普段着とこういう落ち着いた色味のやつを一式用意してあるの。いきなりのデートとかのために」  湊音はびっくりした顔をする。李仁はその反応に笑う。 「これも立派なデートよ。あなた泣きながらレストラン予約キャンセルできないところだから李仁さんついてきてくださぁいって泣きついて。別に1人でも、他に友達とかでも誘えばよかったじゃん」 『いないもん、友達なんて』 「あ、私が友達ってことかー。同い年だしさ。国語科の先生だよね、本も好きでしょ」 「ん、うん。まぁ……」 「気が合いそうね」  と微笑む李仁。それを見て湊音は再びドキッとする。 『……なんだろ、なんでこんなにもドキドキするんだろう李仁さんに』

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