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第5話 オレの失恋の顛末について

「……?」  全身がギシギシと痛んで悲鳴を上げている。とんでもなく痛い、怠い、億劫。  死んで地獄に行った方がまだマシだと言われる演習の時もここまでひどくはなかった。  仄かに明るい光が差し込む部屋。見覚えはないが、経緯は分かっている。  昨日訪れた娼館の一室だろう。途中で酔い潰れたのか、いや、身体に疲労感があるということは誰かとどうこうなったのか。  それにしても腕も、足も、腰もやたらめったら痛みを訴えていた。ふくらはぎ、太もも、背筋。大きな筋肉はどこも酷使された形跡があって。 「……!?」  自分の身体の様子を一つ一つ確かめて行って、その途中でオレはとんでもないところの違和感に気付いてしまった。 「うそだろ、尻が、痛い」  掘られた!? 誰に!? ここの女の子、昨日指名したと思ったあのお姉さんに!?  驚愕にぷるぷる震える。その振動さえ響くのでやっていられない。  視線を滑らせると、赤みの強い髪が目に飛び込んで来た。  ――――赤髪? 「待て待て待て、いや待って?」  女の子じゃ、ない。髪が短すぎるし、頭もデカいし、肩幅もあり過ぎるし。これはどう見たって男、男と言うかオレの親友の持つ特徴と合致してしまっている。 「ん……」  寝返りを打ったその顔が瓜二つなことに更に驚愕した。  いやいや。いやいやいや。なにこれ。どういう状況? 「あぁ、なるほど? よく似たそっくりさんか」  世の中、自分に似ている人間が三人はいるとか言う。どういう訳だか昨夜、俺はアレクの他人の空似さんに出会って、その空似さんで失恋の痛手を――――いや、おかしい。それもおかしいだろ。全然現実的じゃない。 「何も理解できない……」  頭が痛い。浴びるほど飲んでおいてアレだが、アルコールによる頭痛は微かなものだった。俺の身体は酔いはするが、分解能力が異様に高い。だから、これは純粋に現状を理解できないが故の反応で。 「だから酒の飲み過ぎだとあれほど」 「――――」  寝てたと思っていた相手が口を開いた。  声まで聞かせられちゃ、もう否定できない。  隣で素っ裸で横になってらっしゃるのは、同僚で親友で失恋相手のアレクセイ氏だ。  状況を整理したい。でも、情報が足りない。  誰か解説してくれと願うが、恐ろしすぎてアレクには何も聞けない。 「気分が悪いのか」  悪い。最悪だ。鳩尾がきゅうっと絞られる感覚。 「な、んで」  この状況、経緯はともかく結果は分かる。  ベッドの上、素っ裸の二人、痛む尻。どう考えても一線超えて致している。致している。  ヤケを起こしたのは事実。けれど不貞をしたかった訳ではない。 「どう、誤魔化せば」  血の気が引いた。世の中していいことと悪いことがあるのだ。オレは他人を傷つけてまでアレクを欲しがったつもりはなかった。 「誤魔化す? これ以上まだ何か俺に対して誤魔化す必要がある何かがあるのか」 「お前にじゃない、お前の奥さんにだよ!」  罪悪感などまるでなさそうな声にイラつきながらくわっと叫んでも、アレクの顔色は変わらない。 「そんなものはいない」 「いるだろ! 将来的にそうなる相手! 今はまだそうでなくとも、もうこれは十分に背信行為に当たる」 「当たらない」  見合いがまだだから? 婚姻関係を結んでいないから?  でも、二人は見合い前からもう。 「ふ、ふざけ」  それとも、オレとの行為は一夜の過ちみたいなものだから、ノーカンで済まそうということだろうか。 「落ち着け。昨夜から思っていたが、お前は恐ろしいくらいに盛大に勘違いをしている」 「はぁ!?」  これが落ち着いていられるかと食って掛かろうとしたら、肩をグッと押さえられた。  そうして真っ直ぐにこちらと目を合わせ、アレクは言った。 「見合いはしない」 「……?」  ミアイハシナイ。  異国の言語を使われたようだ。理解が及ばない。 「聞いてるか? 全く響いてない気がするんだが。俺が何て言ったか分かるか?」 「ミアイハ、シナイ」 「そう」  見合いはしない。  はぁ。しない。そうですか。 「ってそんなことできる訳ないだろ! 上官の紹介っていうか、その上官の娘だぞ、話が出た時点でノーなんてほぼない案件」 「まぁそうなんだが」 「それにオレは見たんだからな! お前がその上官の娘と仲良く茶をしばいてたところを! 見合い前から意気投合してたじゃないか、それを何が見合いはしないだ嘘もほどほどに」 「しないんだよ。好きな相手がいるから」 「――――」  オレは再び言葉を失った。  好きな相手。アレクにそんな相手が。  純愛を貫く代わりに将来を棒に振る決意をしたということか。  っていうかこれ、もしかして改めて失恋してる? 「俺にもいるし、エレノア嬢にもいる」 「えっ」  エレノア嬢とは見合い相手だろう。 「俺達は双方破談を望んでいて、どうすればそれをスムーズに叶えられるか、それを話し合うために昨日は顔を合わせていた。俺とエレノア嬢は恋仲の二人でも未来の夫婦でもなく、互いの幸せのために互いを人生から弾き出そうと画策する同志、戦友だ。まぁある意味運命共同体とも言えるが」 「…………」  アレクに好きな人がいて。  エレノア嬢にも同じく想う相手がいて。  結婚を当人達が望んでいない。だから破談に向けて共同戦線を組んでいる。  ……なるほど? 「……上手くいくのかは分からないが、まぁ、話は分かった。そこは一応信じるけど」 「信じてもらえて何よりだ」 「でも!」  でもそれとこれとは話が別だ。 「それじゃなんでこんなことになってる!? 好きな子がいるクセに、お、お前、この状況、オレと完全に致してるじゃないか! そもそも何故娼館に!? お前の純愛はその程度か、見損なった、完全に見損なったぞ」 「シオン、お前なぁ……」  アレクは落胆の溜め息を吐いた。落胆したいのはこちらだと言いたくなる。 「そこは覚えていないのか」 「何を」  そうして爆弾発言。 「お前、俺のことが好きなんだろう」 「は……」  好きですが。  だけど何故その言葉がお前の口から出てくる? 「いや、何を、昨日のは酒に酔ってて、事故みたいなもので。そもそもこういうところに来たってことは、オレはお前じゃない相手を探していた訳で、まさかそんな」 「好きだって言ったろ。俺に失恋したんだって泣いてたじゃないか」 「はっ!?」  本当に少しも覚えていないのか、と問われ、ドキリと胸が音を立てる。  そう、違和感があるのは尻だけではない。記憶の方も断片ならば残っていた。 「え、まって、どこからどこまで」  夢だと思っていたものが、もしかすると夢ではない?  あれこれ喚いた記憶が頭を掠めて、ザっと血の気が引く。 「思い出したか? 昨夜は随分従順にコレを呑み込んでくれたよなぁ?」 「!?」  上掛けの下、臨戦態勢でなくともご立派なモノを示されてぎょっとする。 「それで、オレに失恋したから自棄を起こしたんだって、そう言って、泣いて、その後俺の言ったことは覚えてないと」 「っ、ぁ」  駄目だ。死にたい。誰か殺してくれ。こんな生き恥を晒すとは思わなかった。本人相手に、オレは一体どれだけの醜態を。 「両想いなのか、と俺は言ったんだが」 「両想い? 何言ってる、そんな訳ないだろ。しっかりしろ」  もう無理だ、と思った。こうなった以上、騎士団にもいられないと。  失恋一つで職まで失うハメになるとは思わなかったが、そうだな、一緒の職場にいるのはどうせ辛いし、転職を検討すべきだと。 「しっかりするのはお前だ。俺の好きな相手はシオン、お前なんだから。お前が俺をどう思ってるのかも分からないのに、気持ちを確かめる前に見合いを断ろうとするくらいにはな」 「――――は」  なのに。  オレの耳はこの期に及んで都合のいい幻聴を聞きたがって。  いや、違う。幻聴じゃない。  そうだ、アレクの言う通りだ。しっかりしろ、オレ。目をかっ開いて現実を認識しろ。  好きって言った。両想いだと。  間違いなく、言った。 「お前が娼館に現れたと聞いた時には、本当に何が起こったのかと。今までそういうところに出入りしていないと思っていたのに」 「そ、そもそもなんでそんな情報……」  オレはずっとコイツが娼館に現れたのは当然そういう目的からだと思って詰っていたのだが、そもそもの前提が違うのかもしれない。 「ニグラスのヤツが緊急魔法通信を飛ばしてきた。お前が花街にいると」  初めから、オレを探してここまで来たらしい。  いや待て、今普段聞かない単語を聞いた気がした。  緊急魔法通信。 「それ、有事の際にしか使わないやつ」 「実に適正な判断だった」 「何言ってんの? 始末書もんだよ、会議にかけられるやつだよ!」  ニグラスのアホは何をやらかしているんだ。それを当然のように受信しているアレクもアレクである。 「いや、アイツはよくやってくれた。本当に頼りになる仲間だと思う。後のことについてはこちらで上手いこと取り計らう」 「本当に何言ってんの?」  もっと真剣に受け止めて、何かできないか検討すべき案件なのにと思っていると、 「シオン、お前は知らないだろうが」 「……あれ?」  いつのまにか仰向けに押し倒されていた。  今、何故こんな体勢になる必要が? 「お前の生活は割にもう包囲されている。余計な害虫がつかないようにな」 「言ってることがよく……うわっ」  昨夜まで友情以外の意味合いで触れたことがなかったと思っていた大きな手が、オレの胸元を這う。  ドッと心臓が早鐘を打ち始めた。  精悍な顔、がっしりとした筋肉に覆われた肉体、こちらを見つめる目には確かに熱があって。 「っんぁ」  手のひらに乳首を押し潰されて、オレの喉からあられもない声が出た。  恥ずかしい。まだ全部事態を体を受け入れ切れていない。  でも、どうしよう、やめてくれ。いや、やめないで。 「お前の片想い歴が何年かは知らないが、俺の方も相当年季が入っているということだ。つまり、逃してやるつもりはない」  好きなヤツにこんな風に迫られて、オレに抵抗の余地などあるはずがないのだ。  なんだか、思っていた以上に向けられるものが重い気がするけど。  まだまだ聞いてないことがある気配が濃厚だけど。 「いいよな、シオン?」 「え、え、なにが」 「もう逃がしてやれないが、それでもいいな?」  問われて、その圧に押されて、反射的に肯定の言葉が漏れ出ていた。 「は、はい」  そうしたらアレクは見たこともないようなたっぷりの笑顔をオレに向けまして。 「シオン、愛している」  情熱的な告白と共に、態度でもその“愛”を示し――――つまりそう、両想いの感動に浸る余裕もなく朝からオレはまた散々に啼かされたのであった。  めでたしめでたし?

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