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第6話

「あんた…何考えてんだ…」 不埒な衝動を掻き消す様に、雷音は舌打ちをして頭を振った。苛立った様に見える雷音に万里は首を傾げた。 「何を考えとるんって?」 「この前…この前の御礼参りかっ」 「なんや、この前て?」 まるっきし雷音の言い分が分からないとばかりに、万里は蛾眉を顰めた。 その顔に皆まで言わす気か!と雷音は苦虫を噛み潰したような顔をして、クソッと悪態付く。万里はその顔を見て、ああ…と指を鳴らして笑った。 「あんたと寝たこと?」 「おまぇっ!」 サラリと天気を言うように言われ、雷音は思わず万里の口を手で塞いだ。 道の真ん中。通行人も居る中で、とんでもないことを事も無げに言い退ける…。 もうここまでくると性格の不一致というよりは、人間的感性の不一致。然もなくば常識の不一致。 とどのつまり根っこの部分から合わない。 「…なんやのんな…ビックリするやないの」 艶っぽい、だが、紡ぎ出す言葉はこちらの肝を冷やすその唇を塞いでいた雷音の大きな手を、万里がぐいっと退けた。 「お前なぁ!」 「なんやの、変な子やな」 男同士の情事の話を聞かれることを何とも思わないのか、万里は雷音の行動に眉間に皺を寄せ表情を露骨に顔に出す。 本気で分かっていないところが、罪が尚、重い。 「…はぁ」 「店、行こか」 万里は落胆する雷音の肩をポンッと叩いて、満面の笑みを浮かべた。 スローテンポのジャズが流れ、店内は外の喧騒さが嘘のような穏やかな時間が流れる。 賑やかなネオン街とは正反対の少し仄暗い照明。暗過ぎず、明る過ぎず。 それこそ肌荒れは元より、メイク皺なんて見えない様に配慮された程良い照明に照らされる店内。 我が家ほどに慣れたそこが、今はひどく居心地が悪い。 雷音は万里に半ば引き摺られるように店に来た。これには玄関口の黒服の美田園も驚いた顔を見せていたが、無理もない。意気揚々とする万里と違い、雷音は意気消沈。 何があったのか分からない美田園は、それを雷音に聞く事も出来ずただ見送った。 万里はそのままご機嫌で店に入ると馴れたように店内を歩く。そんな万里に店内の黒服は慌てたように二人に頭を下げ、困惑気味に雷音を見た。 「いいよ…七番入るから」 雷音は諦めた風に黒服に告げると、万里をエスコートした。 パーテーションでそれぞれの席が個室のように区切られ、その中でも少し奥ばった所にある席。ゆうに10人は腰掛けれるであろう柔らかな高級ソファに、万里はゆったりと座る。 そんなご満悦気味の万里に嘆息して、雷音は万里の前の一人用のソファに腰掛けた。 「は?何でそこ?こっちゃ来いな。大体そこ、ヘルプの席やし」 さすが店に通い詰めただけあって席割りまで熟知している。雷音は軽い頭痛を覚えながらも、渋々、万里の隣に腰掛けた。 「コート、お預かりしましょうか」 何もかもが無茶苦茶だ。自分でも今更か!と言いたくなるタイミング。 常識であれば入ってすぐに黒服、もしくは同伴した雷音が客のコートを預かるのに、雷音は万里に半ば引きずられ入店。その姿を見た黒服は、どうしたらいいのか分からなかったのだろう。 何とか自分のコートだけは黒服に渡したが、客にコートを着せたまま店内を歩かせる失態を侵した。 蓮にバレれば、大変なペナルティを課せられることになるだろう。新人でもしないようなミスだ。 「ああ、堪忍え。あんはんに恥かかせたなぁ。久々に逢えたさかいに、舞い上がってしもたわ」 「は……?」 「コートはいつも預けへんねん。俺、一応有名人やさかいに」 「有名…ですか?」 「こん店は蓮が管理しとるさかいなんら危険やあらへんけど、極道ゆーんは世界がどないなっても島争いと命ん取り合いしとるさかいな…俺もターゲットや」 口角を上げて、可笑しく笑う万里には危機感は皆無だ。そんな万里に雷音は呆れた。 コートは何処でも何時でも脱がない。ということは、そのコートに襲撃された時に抵抗するだけの何らかの武器が隠されているということか。 今更ながら蓮の浅慮さを呪う。もし今この時点で警察の一斉検挙が来たら?絶対にないとは言い切れない。 BAISERがいくら高級ホストクラブを謳っていても、所詮は夜の商売をしているのだ。 叩かれて一つも埃が出ない訳ではない。 「そのコート。いや、いいや。命取りって言うなら、あんな街中で堂々とチンピラ相手に喧嘩なんかする?」 「ないない。俺の顔知っとる奴は少ないんよ。神原を明神万里や思うとる奴もおる。それに、あへんゴミも掃除しとかなこの辺荒れてまうで」 万里はフフッと笑い、コートのポケットから煙草を取り出すと口に銜えた。すかさず火を…と動きかけた手を、雷音は止めた。 「覚えててくれたん?」 「ええ…」 「そない嫌いなや…傷つくやん」 「別に」 嫌っているのではなく根本が合わないだけ。とは言わずにいた。 「ここは色んな業界のお客はんがおるけど、俺の世界の奴はおらんのかなぁ」 「居ませんね。まず審査が通りません。あなたは蓮が誘ったから…」 「せやねぇ。あ、何や飲もか…俺、ウォッカ」 「かしこまりました」 雷音はスッと、テーブルの下に付けられたボタンを押した。ボタンを押すと、黒服の腕につけられた時計の液晶にテーブルナンバーが映し出される仕組みになっている。 BAISERの店内に数多くある席はパーティションで一つ一つが区切られ、見え難い。黒服も点在させてはいるが、ゲストの視界に入ると世界観が崩れてしまう恐れがある。 当初はベルで呼ぶなど色々と方法を模索したものの、ベルはどんな高級な物もどうしても安っぽくテーブル一つ一つにある世界をチープにしてしまう。色々と試行錯誤の末に辿り着いたのが、今のこれだ。 雷音がボタンを押すと直ぐさま黒服が飛んできて、君主に仕える執事のごとく片膝をついて頭を下げる。 雷音が注文を告げると、黒服は頭を下げ下がっていった。 「まぁ、よお教育されとる。なぁ、あの子等もホストなるん?」 「黒服ですか?黒服からホストになる人間は居ません。うちは蓮のスカウトのみなんで、黒服は黒服としてスカウトするんです」 「ほな好きでしとるん?」 「好きでと言うか、黒服はそっちが専門なんですよ。元々が一流ホテルのベルボーイとか、三ツ星レストランのウエイターとか出身で…うちは客層が特殊なんで」 「さすが蓮やなぁー。何でも完璧」 「料理も普通じゃありませんよ。何か召し上がります?」 「ああ、ここはシェフもすごい奴やって聞いたわ…。やて、料理はええわ」 万里は煙草を燻らしながら、首を振った。 「料理なく、ウォッカ?」 「食細いねん」 「見れば分かる…。ウォッカなんか飲むなら、何か食べてください」 「えー」 「朝、何食べたんですか?」 不貞腐れる万里に、雷音はまさかと声を低くした。 「朝から食うたらリバースするがな」 「…昼は」 「総会あって暇なかってん」 「ちょっと待って。あんた、今日、何も食べてないの?」 「あ、神原が食え言うて、コンビニの…」 雷音は万里の言葉を聞かずに、テーブルのボタンを押した。黒服がすぐさま駆けつけると、“ウォッカ、キャンセル”と告げた。 「ええー!」 それを聞いた万里が拗ねたように声を上げたが、雷音は聞かずに黒服に耳打ちした。黒服は妙な顔を見せたが、すぐさま頭を下げ、下がっていった。 「あんはん、酒飲まさんの?俺、お客はん」 「あんた細すぎるんだよ」 「抱き心地悪かったか?」 「ばっ!そういう意味じゃない!そんなんじゃあ、倒れますよって言いたいんです」 あの日の情事を思い出し、雷音は小さく息を吐いた。 万里の前では雷音はホストとしての雷音になれない。言葉使いも滅茶苦茶で、話術すら何も出ない。 普段であれば“あなたの美しい身体が壊れてしまわないか心配で…”などという月並みな台詞が口を衝いて出るのに、万里相手ではどうにもならないのが腹立たしく情けない。 「お待たせいたしました」 雷音があれこれ考えていると黒服がお盆に載せたおにぎりとお味噌汁、そして漬け物を万里の前に置いた。 「…はい?」 「何か食べても胸焼けするタイプでしょ」 「はー、せなやぁ」 「空腹をほったらかしていきなりがっつりいくから、身体が拒絶してるんです。これならまだ胸焼けもマシだから…」 「あららー。あんはん優しいお人やなぁ…美味しそう。もらうで」 万里は満面の笑顔で手を合わせると、ご飯を口に運んだ。意外に箸の持ち方が綺麗で、所作はきちんとしていた。 「こへんなメニューあるんやねぇ」 「ありません。料理長がいつも俺に作ってくれるんです」 「あら、そない」 「時間帯が夜だと、さっぱりしたもん食べたくなるんで」 「なぁ、あんはん、俺苦手なん?それとも、関東人はみんなそないな感じなん?」 「は?」 「なんや水臭いし、あ、話し方な。俺、あんはんと仲良うなりたいから通ってるんに、もっとフランクに話してぇな」 「フランク?どういうことですか?」 「それやそれ、けったいな日本語使いなや。普通でかまへん。お客はんやけどお客はんと思わんといて」 「意味わかんね」 雷音はガンガンと、頭の内側から鈍器で叩かれているような頭痛を覚えた。 よそよそしくて当たり前ではないか。自分が極道だというのを忘れてるのではないか。 ただのゲストとホストであればフランクにと言われれば要望に応える事かもしれないが、常に一線置いて距離を保たないといけない世界の相手に、そんな無謀な事は出来ない。 そもそも一度の過ちが原因でこんなに懐かれてしまって、自分の失態を後悔しているというのに。 「ええ味。これ美味いわ」 雷音の苦悩を他所に、万里はご満悦で料理を頬張る。味噌汁が気に入ったのか、美味しいを連呼していた。 「料理長は京都の人間なんで、口に合うんでしょ」 「ああ、さかいに懐かしいんやわ」 「あのー、今時の極道は暇なんですか?」 「暇ちゃうわ、朝から晩まで総会や何や…おかげはんであんじょうやらしてもろてるわ。仁流会も相変わらずで、時代の荒波に押されることなく代紋掲げとるしな」 「忙しいなら、俺なんかと遊ばなくてもいいじゃないですか」 「何でも息抜きは大事やで…はぁ、ごっそうはん」 何だかんだ、万里は出された食事を平らげた。腹が減ってないというのは、もう、空腹感が解らないほど感覚が鈍ってるのではないのか。 雷音は今日、何度目かの溜め息をついた。 「あんはん、ホスト好きなん?」 「あんたは極道好きなのか?」 「質問返しや、女みたいや」 万里はクスクス笑いながら、煙草を銜え火を点けた。 「生まれた家が極道でしたーか?」 「親はサラリーマンや、極道とは無縁のな」 「…へえ」 あまりの意外さに雷音は目を丸くした。万里ほどの地位の極道は、大抵は親が組の幹部だったりするものだ。 万里がチンピラなら、素行の悪さが大人になっても抜けきれず…と理由は様々だろうが、この若さで若頭に着任しているのだ。何かしらのコネがなければ無理だろうと思っていたが…。 「じゃあ何?極道が憧れ?」 「恩があってな」 「はあ?」 極道に怨みはあっても恩がある人間など、この世界に居たのか。あまりに不適当な言葉に雷音は首を傾げた。 「話したろか?」 「いや、別に…」 「今日、あんはんアフターは空いとる?」 ニヤリと弧を描く唇がまるで雷音を誘っているようで、雷音はゾクリとした。 離れないと、関わってはいけない。頭では必死に警告を出す自分が居るが、一度重ねた身体は、またあの蜜のように甘い肌を求めていた。 そして雷音は気が付くと、小さく頷いていた。

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