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第10話

自分だけのテリトリーのはずの部屋に、有無を言わさず他人が次々来る。しかも、極道。 何の冗談だと笑いたくなる。 厄日は万里に逢ったあの日から始まっている様で、雷音は大人しく後ろをついてくる神原を見た。 「広いですねぇ、開放感がある」 不動産の物件案内でもされているかのように、神原は部屋を見渡してニッコリ笑う。 本当に”客”なら、どれだけいいか…。 「座ってください。コーヒーでいいですか?」 「お構いなく。…あれは?」 神原はダイニングの椅子に腰掛けると、”あれ”を探す素振りも見せずに頬杖をついて窓から見える景色を眺めた。 「薬で眠ってます」 「…薬を飲んだんですか?」 意外そうな顔をして、目を丸くするものだから雷音はサイフォンからコーヒーを入れて神原の前に差し出すと頭を振った。 「言っておきますけど、変な薬は飲ましてませんよ。睡眠薬を。アレルギー、ないんですよね?」 「アレルギーはありませんね。ああ、葱がダメなくらいですけど。ただ、薬嫌いでね。効き過ぎる体質なのか」 ああ、やっぱり効きすぎる体質なのか。雷音は泥のように眠る万里を思い浮かべた。 「連れて帰るなら、今が運びやすいですよ?」 「いや、連れて帰るつもりはありません。様子を見に来ました」 愕然…とはこの事で、雷音はふんっと鼻を鳴らした。 「あんたなぁ」 あまりの不躾な、非常識さに苛立つ。不法侵入、アポ無し訪問。挙げ句の果てには子守り要求か。 馬鹿にするなと言いたくなって神原の前に乱暴に腰掛けると、珍しく態度に出たせいか神原が笑った。 「いや、本来はきちんとお願いしてからあれを放り込むべきでしたが、窮地の状況でしてね」 「窮地って、部下であるあなたの顔は綺麗ですね」 親である万里がボロボロで、見た限りでは神原の顔は傷一つない。窮地の状況と言う割には暢気にコーヒーを啜る余裕さえあるし、万里の身体を気遣う様な言葉一つもない。 不自然なそれに蛾眉を顰めると、神原は相変わらず余裕の表情で雷音を見た。 「私は生憎、戦力にならないもので。それに、今回はあれが勝手をしたせいで組は大騒ぎですよ」 「勝手って、まさか単独?」 「いつものことです。後先考えず行動して、尻拭いをしないといけない部下のことは考えない」 神原は雷音が出したコーヒーを美味しいですねと言いながら、そこに居ない万里を嘲笑った。 「尻拭いって、人殺しの尻拭いですか」 「人殺し?ああ、新聞を読んだのですね。期待に応えれず申し訳ありませんが、やったのは明神じゃありませんよ」 神原はテーブルの隅に置かれた新聞を横目で見ながら言う。その言葉に雷音はホッとして、それに慌てた。 ホッとする必要なんてないのに、万里がどこで何をしていようと関係がないのに…。 「奴等はね、仲間意識が薄弱でして。それこそ失敗すれば、内部情報漏洩防止のために始末するんですよ。仲間より内部情報優先ってね」 「益々、最低ですね。俺は神原さんと彼の関係について、あれこれ言う気もありませんし意見もしません。ただ、俺を巻き込むのは止めていただきたい」 本音だ。そんな内部情報漏洩のために仲間を殺す様な連中とモメているのなら、尚更勘弁してほしい。 雷音は夜の世界の人間ではあるが、ただの水商売だ。 勤めているBAISERだって蓮を善良な一般市民と見れるかは置いておいて、とりあえずは風俗営業許可も取っているし税金だって納めている健全な店だ。雷音には後ろ暗い事なんて何も無いのだ。 それを極道の島争いだか何だか訳の分からない、それこそ命の危険にも曝される様なゴタゴタに巻き込まれるのは死んでも御免だ。 「私もそうしたいのは山々だったんですけどね?とりあえず、派手にやってくれて警察にもマークされてる上にあれの命まで危ぶまれてるんですよ」 「明神組ならいくらでも隠れ蓑ありそうですけど?」 それに、本当に自分には何も関係のないことだと思うんですけど? 「まぁ、ないとは言いませんが、ノーリスクではないし色んな面での面倒も重なるんでね」 「俺ならノーリスクだと?」 雷音は思わず吹き出して笑った。そんなリスクどうこうで自分に白羽の矢が立ったのか。 「ハイリスクではないと思ったのですが?私の勘違いでしたか?」 「さぁ、どうでしょうね」 「ふふ、どうでしょう…ですか」 「明神さんを連れて帰ってはくれないんでしょ?なら、俺の質問に答えてもらえますか?」 「答えられる範囲で」 「どうやって入った」 「ああ…」 雷音の怒気を含んだ言い方に神原は笑った。それが更に腹立たしかったが、雷音は顔に出さずに神原を見据えた。 いい加減、プライバシーフル無視の状態での自宅訪問は腹が立つ。帰ってきて部屋に他人が居るだとか、正面玄関の厳重なセキュリティを易々と突破して、部屋の前に登場とか。 そのうちに、ここに他の誰かが移住でもしてきそうな気さえしてくる。そんなもの、誰であろうと真っ平御免だ。 「どうやって…簡単ですよ。蓮さんに貰いました。キーを」 「くそっ」 やっぱりなと、雷音は思わず悪態をつく。この厳重なセキュリティを潜れるのはその道のプロくらいだが、ドアに傷一つないのは気になっていた。 まるで、キーを使った様な、そういう形跡がない綺麗さ。では、可能性として残るものと言えば…。 「彼は合理的ですから」 「俺にはそう思えませんね。ここは蓮の持ち物だが、今は俺が借主だ。あなただって、借りてる部屋にいきなり何の連絡もなく同居人が増えるのは嫌でしょ?」 「確かに困りますね」 「困るけど、ここのキーを持ってるんだ?で、暗証番号もご存知だと」 「私は共同玄関だけね」 「ということは、見張りも居る」 「いえ。見張りは居ませんよ。うちのは目立つ人間が多い。例えばあなたと明神が初めて会った日に居た男。他人に言わせると大男らしいんですが、小山内とか目立つでしょ?うちは、どちらかと言うとああいうのばかりで、車内に居ても目立つんですよね」 あのぶっきらぼうの男か。どことなく黒服の美田園に似た男だが、確かにあの男は車内に居ても目立って仕方がなさそうだ。 「え?ちょっと待ってください。見張りが居ないって、彼は狙われてるんでしょ?ということは、俺に店を休めと?」 「いやいや。BAISERのNo.1ホストを休ます訳にはいきません。それこそ蓮に集られて損害が大きい。いつもと同じ様に過ごしていただいて結構。そうですね、犬か猫でも飼ってると思ってください」 「あんた、自分の上司をなんだと思ってんだ」 「なんでしょうかね。私と明神は特種かもしれませんね。他人から見ると、私が明神をひどく侮蔑してうように見えるようですが、反対です」 「はぁ?」 言っている意味が分からずに、雷音は蛾眉を顰めた。誰が見ても神原は明神を侮蔑している。 本人が居ない場所で悪口を言うなんていう可愛いレベルのものではない。どちらかというと、嫌悪でもしているのかと言いたいほどに神原は万里に対して辛辣だ。 「ふふ、敬愛していますよ、心底。明神も、私に絶対の信頼を持っている」 「肝胆相照らすって訳か。じゃあ、あんたが首輪つけてどっか繋いでおけよ」 「そうしたいのは山々ですが、私はあれの尻拭いで走り回らないといけなくてね。今は手が回らないんです。良ければ預かっていてほしいんですけどね」 「俺に選択権はないだろ?蓮さんが鍵を渡してるじゃん」 苛立が抑えきれずに髪を掻く。そうだ。選択権は無い。 部屋の鍵は持ってないなんて言っていたが、それも怪しいものだ。第一、万里が部屋に居ることがそれを証明してる。 しかも、その万里は雷音の飲ませた薬のせいでベッドで爆睡。その部下の神原は、万里を連れて帰る気は毛頭無いと言う。 「本当、最悪」 「すいませんね。ご無理を言って。何か必要なものがあれば言ってください。すぐに用意しますから」 「着替えは持ってきてるんでしょ?」 部屋の隅にあるボストンバッグを指差して言うと、神原はふっと笑った。 「用意万端で素晴らしいですね。じゃあ、そうですね。明神組若頭様には家政婦でもしてもらっときますよ」 「無理です」 「は?なに?客人としてもてなせと?」 至れり尽くせり、上げ膳据え膳で労われとでもいうのかと神原を見ると、神原はいえいえと言いながら笑った。 「本当に犬猫と考えてもらったほうが早いんですよ。あれは生まれてこの方、野菜すら洗ったこともない男です。掃除はおろか、洗濯機の使い方も知りませんよ。もちろん、人間の食べる物を作ったこともないです」 「はぁ!?ちょっと、どういう教育してるんですか!?」 「私の子供ではありませんから」 そりゃそうだろう。そんな当然のことをしれっと言われても、どういう反応をしていいのか分からない。 冗談を言うタイプじゃないだけに、何だか腹立たしい。 「だから、食に興味がないんじゃないですか?」 痩身なのはそういう体質とかもあるかもしれないが、食べ物への執着がないのも原因のはずだ。以前も何も食べないで酒だけ喰らうような事をしようとした。きっと、万事が万事、あの調子なのだろう。 赤い目と痩身な身体、男とは思えぬ色気と色香。それに加えて食べるという事に関心がないのだから、本当は人ではないのかもなんて馬鹿げた事さえ思えそうな万里。 雷音が普通では考えられない行動をしたのも、そのせいだ。 「そういう管理は、部下であるあなたがするべきなのではないのですか?」 「は?私が?でも、食に興味がないわけじゃないんですよ。ああ見えて、味にうるさい面倒な男でして、その辺で適当に食べるということが出来ない男でしてね。それに家事が一切が出来ないのは、やる必要がなかったせいもありますね」 「それでも、必要最低限って言葉があるでしょ」 「やらしてみても構いませんが、この部屋が火事でまる焦げになる姿は見たくはありませんねぇ」 心底、残念そうな顔をしながらぐるりと部屋を見渡され、俺も見たくねぇよ!と息を吐いた。 「じゃあ、手負いの野良猫と思って、煮干しでも与えておきますよ」 ヤケクソだ。とんだどら猫じゃないか。 「よろしくお願いします。ああ、それと連絡先を頂ければ幸いです」 「嫌だって言っても、蓮に聞くんでしょ?」 個人情報とかそういうのはタブーだって耳にタコができるほど毎日言うオーナーは、雷音に無断で雷音の部屋の鍵を極道に渡し、手負いの野良猫を放り込んだ。 だが、文句を言ったところで”オーナーは俺だ”と開き直りかねないのが蓮なので、もう言うだけ疲れそうだ。 「蓮さんに聞くよりは、あなたから直接頂きたいですね。何だか後ろめたいでしょ?そういうの」 「はっ、今更ですか」 「まあ、今更ですけどね。野良猫ですけど、うちには必要な野良猫なんで何かあった時のための保険と思っていて下さい」 神原はそう笑って、名刺を一枚取り出してテーブルに置いた。雷音はそれを手に取ると、「へぇ…」と声を上げた。 「明神マネジメント株式会社…ですか。代表取締役なんですね」 意外さに目を丸くする。恐らくというより、確実に明神のフロント企業であるそこの代表が神原なのであれば、万里はどういう役回りなのか。 その雷音の考えを読んでなのか、神原が長い指でテーブルをトンッと叩いた。 「ビジネスの話は私にお願いします。明神は裁量がないので、表とは関係ないんですよ」 「明神組のフロント企業に、ビジネスの話をするような博打打ちではないので。表とは関係ないってことは、彼は組しかないんですか?」 「…?いえ、一応、ここの名刺を持っていますよ。肩書きはありませんけどね」 「へぇ。そうなんだ。いや、彼は組の名刺をくれたから」 小さく笑うと、神原は明神が眠る方をチラッと見た。あのボケとか言いそうな雰囲気だ。 「あれには一応、裏の名刺は使うなと”躾”はしているんですけどね」 「野良猫に躾するだけ無駄じゃないですか?俺は、滅多に貰わないものなので面白かったですけどね」 「私のも差し上げておきましょうか?」 「結構」 胸ポケットから名刺入れを取り出す神原を、手で制する。そんな物騒な名刺は1枚で十分だ。 「そうですか。では、何かありましたらそちらの番号におかけください。裏に個人用の番号も書いてます。どちらかには必ず出ますから」 神原はにっこり笑って立ち上がり、雷音に見送られ部屋を出た。 どっと疲れる。何だこの休日は。明神はもしかしたら疫病神なのかもしれない。いや、恐らくそうだ。 迂闊に手を出した自分を今更責めたところで何も変わらないが、あの日の自分を殴りに行きたい気分だ。 「マジ死ね、俺」 後悔先に立たず。ろくなもんじゃないと雷音は神原の名刺を忌々しげに見た。

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