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第12話
「これ、なん?」
万里は出された食事に目を丸くした。
鮮やかな赤色のプチトマトとサニーレタスや貝割れを散りばめたサラダの横に、太いソーセージにも似た肉の塊が二本。香りは気に入ったのか、すんすん鼻を鳴らす。
「アイリッシュ・ソーセージっていうんですよ。それをパイ生地で包んでオーブンで焼いたんです」
「…で?結局、ソーセージ?」
「まぁ、そうですけど」
言ってしまえばそうだが、それでは何だか夢がない。折角のアイリッシュ・ソーセージも形無しだ。
「普通のソーセージとは味が全然違いますよ?食べてみてください。あ、サラダも食べてくださいよ」
「ああ、うん。いただきます」
万里はフォークとナイフを持って、それに手を付けた。先ほどのローズヒップティーのことがあってか、どこか恐る恐るな姿に口角が上がる。
「あ、美味しい!こんソースがめっちゃ美味い!」
少しだけ齧りついた途端、万里の表情がパッと明るくなった。
そして、野良猫が差し出された餌を安全と認識したかのように、がつがつと食べ出した。
「それね、オリーブオイルとヴィネガーとマスタードと塩こしょうを混ぜてるんだけど、平気?」
「へっちゃら。やて、すごいなぁ。俺には死んでも出来ひん」
話半分聞いているような感じで、万里は食べるのに必死だ。好き嫌いはないと言っただけあって、選り好みせずにパクパク食べるところは好感が持てる。
自分が作った物をここまで美味しそうに食べてもらえると、嬉しくて顔が緩んだ。
「結構、簡単ですよ。混ぜるだけだし」
「混ぜるだけって、適当やったら無理やん。分量とかいっこも分からん。サラダとかマヨネーズでええやんって思うてまう。あ、せや、俺が寝てる間に神原来やはった?」
折角の気分が台無しになる嫌な名前が出てきたと、雷音は思わずサラダに伸ばした手を止めた。
「よく知ってますね。確かに、来られましたよ」
「知ってるってゆーか、あいつんことやから来とるやろうな思うて。怒ってはった?」
「何で神原さんが怒るんですか?怒るのは俺ですよね?」
「なんで?」
なんでだと?と、目くじらを立てても仕方がない。自分の非常識は万里達の常識だということを、いやというほどに認識したばかりだ。
そう一人納得し、雷音はグラスの水を飲んで呼吸を整えた。
「あのね、ここにあなたが居る事自体が、俺にとっては理不尽なんですよ?」
「そうなん?」
そうなんだよ!と叫びたいが、叫んでも何をしても無駄な事くらいは学習している。怒るだけ馬鹿馬鹿しいということも学習済み。
結局、何もかもが無駄に思えて雷音は万里に食事をするように促した。
「神原さんは、あなたを頼むと言ってました。あなたの仕出かしたことの尻拭いが大変で、あなた自身にまで目がいかないそうですよ」
チクリと厭味を混ぜてみたが、万里はサラダを頬張りながら”ああ、そうなん”なんて返事を返して来る。
ほらな、やっぱり何を言っても無駄なんじゃんと雷音は落胆を流し込む様に、水を飲んだ。
「そう言えば、神原さんはあなたの事は他人からは侮蔑している様に見えるけど、敬愛していると言ってました」
「…え?なん?堪忍、ややこしい言葉はかなん。どないな?」
雷音の言う意味が分からずに、さすがに万里が蛾眉を顰めた。
「あー、だから、唯一無二の関係ってこと」
「ああ、はは、そう」
万里はフォークを置くと、くすっと笑った。それがどこかホッとしている様に見えて、雷音は何故か胸が痛くなった。
それに、何だこれ?と欲しくもないのにまた水を飲んで喉を潤した。
「神原はなぁ、変態やから」
「は!?」
まさかの衝撃告白に雷音はフォークを皿の上に落とし、高い音が二人の間に響いた。
「…あ、変態言うたら怒らえるんやった。やてな、神原はしゃーなしに極道になったんやえ?極道なんてしゃーなしでなるようなもんやあらへん」
「しゃーなしって…そうなんですか?」
「せや、神原ん親父は俺の親父の右腕でな。そりゃ腕ん立つ極道もんやったんやけど、その息子である神原自身は有り得んくらい弱ぁて。せやけど、厭味なくらい勉強の出来はる男やったん。やて、頭があってもあかんねぇ。世知辛い世ん中やおへん?親が極道もんやさかいに、神原はええ学校出てんのに就職なんかなくてなぁ。俺はもともとアホやし、親父に恩返したかったから極道もんなるって決めてたけど、神原はせやあらへん。居場所探してもがいてみたけど、結局ここしか居場所がのうて、極道。神原がどっか冷めとるんは、しゃーなしのせいかもなぁ」
「それのどこが変態なんですか」
変態というよりは、未来を絶たれた可哀相な少年の成れの果て。悲劇であって、変態要素は皆無ではないだろうか?
だからと言って、同情はしないが…。
「変態?ああ、やて、神原は己はめっちゃ弱いけど、人が痛めつけられとるんとか見るん、大好きやもん。あれって、極道しゃーなしとか言うてるけど、絶対に根っこは極道やんねぇ。変態そのものやおへん?」
知らねーし。何、そのサド告白。興味もなければどうでもいいわと、雷音は嘆息した。
やっぱり疲れる。何か、もう、どっと疲れる。
「で、あなたは恩、ですか…。恨みじゃなくて、どうして恩なんですか?」
前に少しだけ聞いた話では、抗争に巻き込まれ、両親は死に自分は一生消えない傷を心と身体に負った。
何クソと極道への復讐心は芽生えても、感謝や、まして恩だなんて絶対に感じないものだ。
雷音の非常識が万里の常識であったとしても、ここはどう曲げてもこれ以外の感情はないはず。恩ではなく復讐だ。
だが万里は恩だと言う。復讐や恨み言ではなく、感謝のそれだ。
「あれ?こん話、イヤなんやろ?」
「じゃあ、いいです」
「うそうそ、雷音が聞いてくれるんやったら話すし。まぁ、せやなぁ。正直、恨みはあらへんなぁ。俺なぁ、弟おんねん」
「え!?一人っ子でしょ!?」
出逢ってからまだそんなに日は経っていないが、傍若無人な我が儘っぷり、自由気まま、欲しい物は何でも我が手中にという性格。勿論、人の意見なんて聞かないし聞き入れない。
そんな万里は紛うことなき、向かうこと敵無しの王様として育てられた究極の一人っ子じゃないのか?
間違えても、何かあればさすが兄貴と言われる様な信頼してくれるような弟が居るようには見えない。
万里には申し訳ないが、雷音が弟ならばこんな兄貴は嫌だ。
「ちょい、あんた、世ん中の一人っ子に喧嘩売ってんで。俺の性格でなんでそないな判断したんか知らんけど、弟おんで。まぁ、昔ん話やけど」
「昔?え?まさか、その抗争で…」
最悪の事態に雷音は口を覆った。それに万里は手を振った。
「いやいや、ちゃうで。弟は事件の日、あんまり具合ようのうて親戚ん家におってん。元々、身体の弱い奴やったから。せやから、事件には巻き込まれんやった」
「じゃあ、なんで…今は?」
「んー。事故で両親死んでもうて、しかも加害者は極道や。それも、明神と抗争真っただ中の組や。そない中に一般市民の俺等が巻き込まれてもうて、警察が派手に動き出して明神もそん組も身動きとられへんようになって抗争どころやのうなった。その事態に、もしかしたら報復されるんやないかって親戚中が戦々恐々。あの頃は仁流会自体がそへん均衡を保てとった訳やない。島争いでぐらぐらに揺れとった時や。仁流会は基本的には堅気には手ぇ出さん決まりやけども、それも風間組が親なってからの話でなぁ。あの頃は堅気も極道もんも関係あらへんかった。しかも、明神と争そっとた組はイケイケの武闘派。法律も警察も怖いもんなしや。そないな連中の抗争に巻き込まれてもうて、俺は怪我までしてもうて、親も死んでもうた。親戚連中からすれば、極道の報復にビビらなあかんわ、身寄りのないガキが二人出てまうわ…。踏んだり蹴ったりやな。まぁ、親戚連中が一番困っとたんは、あてのない俺等兄弟ってゆーよりも、俺の扱いや」
「どうして、あなただけ…?」
「弟は小さかったから、訳分かってへんかった。せやけど、俺は顔にでっかい傷こさえてもうてる。どこ行っても、目立ってしゃーない。しかも事故ん事もはっきり覚えとるしなぁ。まぁ、葬式は俺の預け先どないしはるかちゅう会議ん場にならはったわけや」
「そんな…」
確かに、今でもそこに色濃く残る傷は、嫌でも目に入る。涙の様に流れる傷は、真っ赤にいつまでも色付いていて、この世界に居るからこそ”普通”に見られるそれは、表社会の、しかも子供の顔にあるとどうだろうか。
考えるまでもない。
「弟は幸い、親父の弟夫婦に引き取られてんけどな。そこが俺もって言うてくれた。やて、そこにはすでに子供おったさかい、俺まで養えるわけあらへん。そんな事、俺にやて分かった。で、どへんしょうか思うてたら、親父が来やはった」
「親父?」
「明神組組長。今は御隠居さんしとるから、現会長やな。おもろいでー。葬式が一気にホラー会場みたいになってなぁ。まぁ、それもそないやな。#命__たま__#狙われてる奴直々んお出ましや。もしかしたら、葬式会場が戦場になってもおかしない。かと言うて帰ってくれやの、どないしてくれんねんやの言える様な根性持った親戚は誰一人おらん。なんや言ういうても、明神組組長や。チンピラとは格がちゃう。どっか行くにも大名行列の護衛付きや。せやけど、親父は身一つで来やはった。護衛もなしで、己の足でな。そんで俺に土下座した」
「え…?」
「小学校になるかならんかくらいのガキに畳に額擦り付けて、すまんかった言うてなぁ。俺、そんな親父見て、初めて泣いてん。病院で傷が痛んでも、親が死んだん知っても泣かれへんかったんに、畳に額擦り付けてなんべんもすまん言う親父見て、わんわん泣いた。そないな俺見て、俺の爺さんが親父に言うたんや。”悪い思うてるんなら、こいつを育ててやってくれ”言うてな」
「そ、そんなの!!」
雷音は思わず声を荒らげて、テーブルを叩いた。食器が派手に音を鳴らして、万里はそれに柔らかく笑った。
「おかしいか?厄介払いか?やてな、それが一番なんや。極道ちゅう肩書きが煩わしいて自分の進みたい道に進まれへんかった神原みたいなんもおるけど、俺には極道ちゅう肩書きが俺を護る盾にならはったんやえ」
「盾?」
「誰も、誰一人として、俺のこの頬の傷を指差して言う人間がおらんかったってことや」
雷音はそれを聞いて口を噤んだ。そんな雷音を見て、万里はにっこり笑うとプチトマトを頬張った。
「もし普通にどっかの親戚んとこ行っとったら、俺は極道に両親を殺されて顔に傷こさえた可哀相な子や」
まさにそうだ。普通の家庭に預けられていれば、万里は一生”両親を極道に殺された可哀相な子”だ。
だが極道の子供になってしまえば、大人はその陰口を一気に噤む。
更に大人連中はその傷の事はタブーだと我が子に言い聞かせたりもするだろう。
天と地との差とはこのことか。天国と地獄。だが天国は果たしてどっちなのか…。
「弟さんとは逢ってないんですか?」
「明神になってから、俺は明神しか家族やないと思うてる。俺が下手に関わると、爺さんがやったことも無駄になるしな。でも、あの家族なら平気やわ」
「そう、ですか」
万里の壮絶な過去に、雷音は目を伏せた。やはり聞くべきではなかったと、後悔の念が押し寄せた。
「そへんな顔しなや。折角、俺に興味持ってくれた思うたのに、そへんな顔されたら話したん後悔するやん」
雷音の俯いたその顔に、万里が眉を寄せて少し困った顔をした。それに雷音は顔を上げたが、また下げた。
「いや、そういうつもりじゃ」
「そない?ほな、俺も極道嫌いの雷音に聞こうかいなぁ」
万里は微妙になってしまった空気を変える様に、ちゃらけるように言う。
多分、きっと万里は今まで何十回と、この微妙な空気を味わってきたのだろう。空気を変えようとする様が、とても自然で慣れていた。
「そうですね。いいですよ、俺も聞いたし…」
「お、そうなん?ほなー、家はどこ?」
「ここ」
「うわー、手厳しい。ほな、兄弟は?」
「兄が、一人」
「え?兄弟おるん?」
万里は意外そうな声を上げて、へーっと何度も口にした。
「兄貴、雷音の兄ちゃんやったら男前やろうなぁ」
「似てないんで」
「そないなん?いっこも?」
「そうですね、どちらかと言うと、あなたに似てる」
雷音は万里を見て、フフッと笑った。
「え!?俺!?俺と雷音はいっこも似てへんで」
「そうですね。でも、それくらいに兄とは似ていません」
「ふーん、仕事とか、何してはんの?」
「さぁ、何してるんでしょうね」
「はぁ?」
「長い事、逢ってないんで分かりません」
「逢ってへんって、電話くらいしはるやろ」
「しません。だって、俺は兄貴に嫌われてるから」
雷音は自嘲してフォークを手に取った。サラダをつつきながら、記憶の奥にある兄の顔を思い出した。
だがそれはいつも雷音の方を見てはおらず、常に、目は背けられたまま。苦々しい顔をした兄の横顔。
雷音は兄が笑った顔を知らない。覚えていないだけかもしれないが、多分、見た事がない。
普段から凛とした人だった。
万里に似ているのは容姿だけで、万里の様に笑ったり騒いだりおちゃらけたりしない。
自分にとても厳しく、そして、いつも、何かに、誰かに、雷音に、怒っているようだった。
「ほうか、まぁ、兄弟円満っていうんも少ないもんやしな」
万里はそれ以上、何も言わずに料理を食べる事に集中しだした。
万里はいい加減に見えて、とても周りの空気を読む男だと思う。それは恐らく、その顔の傷と赤い目のせいで好奇な視線に曝されてきた故の気遣いなのだろう。
相手が何を望んでいるのか、そして望んでいないのか。それを見極める確かな目を持っている。
「さすが、お兄ちゃん」
「は?なにが?」
「いえ、何も」
雷音は笑って、招かれざる客の万里とともに食事をして、有意義な時間を堪能した。
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