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第31話
「戻りたくない…。確かに弟は…長らく姿を眩ましていて、とはいえどこに居るのかは把握はしてたんですよ」
「え?そない…いや、そうなんですか?」
万里の意外そうなそれに、雨音はふっと笑った。
「飛び出したとはいえ、一新一家の人間ですからね。でもこちらの匂いを嗅ぎとると、すぐに逃げてしまうんで大っぴらには見張ってはいませんけどね。その逃げ回っていた弟から連絡をもらったんです。力を貸してもらえないかと」
「それが、今回んことでしょ」
「幸いなことに、うちはあちら側の人間と密にさせていただいていて、手を引かすのは容易かったので。それでも何もなしでというわけにはいきません。それを承知で弟は頼んできたんです」
やっぱりなと万里は拳を握った。交換条件を出したってことだ。それも万里を、仁流会の人間を救うために。
「雷音を何に使うつもりですか?」
「言ったでしょう?組長が療養中だと」
「はっ、まさか組長?雷音が?あんさんは知ってはるんか分からんけど、雷音は極道んこと好かん人間やで。そんなんに組継がすってこと?ちゅうか、継ぐならあんさんでしょ、兄貴なんやし」
こうなれば遠慮も何も、言うなれば作法もない。こいつ馬鹿だろというのを前面に出して、万里は笑った。
極道の気質が雷音にあるかどうかと問われれば、万里は”ない”と即答出来る。別に雷音を過小評価しているわけではない。ただ、雷音だからダメなのだ。
長年、極道の世界に身を置く万里は、極道を毛嫌いしている人間はその世界には浸かりきれないことを良く知っている。それはまさに雷音のことだ。
何故浸かりきれないかというと、簡単なことでどうしても躊躇いや迷いが出るからだ。神原のように嫌いだと豪語しても、根っこから気質が極道であれば話は別だが雷音は違う。どう足掻いても、極道にはなれない人間だ。
そして、迷いが出る人間には誰も付いては来ないし、間違いなく簡単に死ぬのだ。
「父が…組長が、私よりも雷音が継ぐことを望んでいます。あなたも見てお分かりでしょう?私の容姿は極道には不向きです。それにひきかえ弟は、顔はともかくとして体格としては申し分ない。父でなくともそう思うでしょう。それに弟の方が何にしても秀でているんですよ、私よりも」
えらく自虐的なことを言うなと、万里は眉を上げた。まぁ、確かに雷音と比べてしまうとそうかもしれないが、容姿に拘るのであれば…。
「あんたん容姿があかんかったら、俺かてアウトやわ」
「明神さん、ご兄弟は?」
「唯我独尊の一人っ子やさかい、おらへん」
「なら、お分かりにならないでしょう。私とて、弟は可愛いものです。ですが、家も同じように大事です。弟の我儘で、長年守り続けている代紋を下ろすわけにはいきません」
「そりゃ、老舗極道なりのプライドもあるやろうけどな」
一新一家であれば他に継ぐ人間は五万と居るだろうと、雨音の後ろの柘榴を盗み見た。
極道は世襲制ではない。仁流会では多いそれだが、それも最近たまたま多いだけだ。
「ですが、どうしてもとおっしゃるなら」
「あ?」
「5億で手を打ちましょう」
「…あんた、なんの冗談?」
万里は小さく笑って、なぁ?と由を見た。だが雨音は本気のようで、その淫猥な唇が弧を描いた。
「あれは安い男ではないのです。あなたもご存知でしょう?5億でも足りないくらいじゃないですか?実はね明神さん。今回の件は父は知らないことなんです。弟が帰ってきてることも、明神組に手を貸したことも私の一存でさせてもらったこと。なので、今日の訪問は予定外でした。そちらの…鬼塚組長はあまり物事を考えて行動するということをしてくださらないので、静養中の父への連絡もお構いなしです」
雨音はさすがに肩を落とした。
だが心に物事を考えて動けなんて、天変地異を起こせと言ってるも同じことだ。まず不可能。
「ですので、急用で客が来るから相手をしろと言われ、それについて誤魔化さなければいけなかった私への配慮も少しはしていただきたいものなのですよ?」
お前のアホな行動のために、どれだけ骨を折ったと思ってるんだと神原が言うとこんな感じかと、万里は首を傾げた。
「で、あんたのそん暴利な願いに何日くれはるん?」
「そうですねー。10日が限界ですね」
「10日ね。了解。ほな、10日後にまた来させてもらいますわ」
万里は言うと、お茶を一気に飲み干し立ち上がった。由もそれを追って、部屋を出た。
「万里、返せってどういうこと?つうか、5億も無理よ」
「あーあ、心んとこなら5億くらい速攻で用意してまうんやろうな」
あんな馬鹿でかいビルとフロント企業を抱えてくるくせに5億も吹っ掛けてくるとはなと、万里は乱暴に靴を履いて屋敷を出た。
5億。自分が動かせる金といえば2億ちょっと。神原に泣きついたところで、両断されるのは目に見えている。それよりも殺されるだろう。ということは、八方塞がりか。
「ほんで、どないすんの?」
車に乗り込むと、一新一家の舎弟らしき男が門を開けていた。万里達はそこから外に出ると、高速へ向かった。
「まぁ、とりあえずは帰って…。組には帰られへんからー」
どうするべきかと息を吐く。組はだめだ。それじゃあ、何もならない…。
自分で盛大に蒔いた種を自分で回収しなければ、いつまでも成長出来ない。
「万里、柘榴ってあれ、知り合いか?」
「あ?あー、うん。ちょい顔つき変わってて気が付かんかったけど、あないなけったいな名前、そないあらへんやん」
柘榴、下の名前は女のような外人のような妙な名前だった。祖父が付けたと、名前を聞いたときに言われたなと昔を思い出す。
「柘榴ってのは、まぁ、確かに」
「あれ、俺が前にやらかして中に入っとった時、同じ房におった男やわ」
「そうなん?」
意外な顔をする由に頷く。今よりもまだ細く、今よりも眼光が鋭かった。今は、刺々しさが落ちた感じだ。
「腕っ節のええ男やったで。気さくやったし」
「何で入っててん」
「殺人未遂やて」
「へー、ゴージャスやな」
殺人未遂だけど、傷害で片付いていたはずだ。敏腕弁護士が弁護にまわったと。もしかして、あの頃から一新一家に通じていたのか。
万里は自分の名前だけを語っただけで、素性は離さなかった。あえて、苗字も言わずにいた。
それに柘榴も何も言わなかったし、聞いても来なかった。なので万里を覚えているとすれば、今、初めて明神組の人間だと知ったはず。
「妙な…再会なったなぁ」
万里は小さく呟いた。
万里と由は関西に戻るや否や、蓮に連絡をつけた。神原に知られないようにして、話がしたいと。
蓮は元は神原の知り合いではあるが、馬鹿な男ではないと思っていた。案の定、蓮はBAISERとは関係のない場所を用意してくれ、万里と由はそこに出向いた。
そこはとあるマンションの一室だった。一等地に聳え立つ高級マンション。その最上階の角部屋に呼ばれた万里達は、その絶景に目を見張る。
「下降りたら忙しない町やのに、上から見たら綺麗なモンやねぇ」
「お前、明神組が血眼になって探し回ってんぞ」
蓮はリビングのソファに座ると、戸棚から引っ張り出してきたウイスキーボトルを開けて飲み始めた。
「そいつ、誰や」
「飛鷹 由いいます。一応、まだ明神組の若頭補佐」
「何や、極道か。雷音の代わりに持ってきた新人かと思うたわ」
「雷音、なんやて?」
「何もくそもあらへん、ある日いきなり無断で早退して、そっから無断欠勤。最終、郵送で退職願や」
「律儀やねぇ」
「律儀なわけあるか。あいつの抜けた穴、どこまでデカイ思うてんねん」
蓮は苛立ったように酒を煽った。万里はその蓮の前に滑るように座ると、身を乗り出して蓮の顔を覗き込んだ。
「取り返せへん?」
「は?取り返す?何をや」
「雷音」
「はぁ?お前、あいつの居場所知ってんのか」
「知っとるよー」
万里は蓮の手からウイスキーグラスを取ると、それに口をつけた。その万里の隣に由が座り、甘ったるい笑顔を浮かべた。
「俺から報告させてもらいますとね、まぁ、俺は逢うたことあらへんねんけどね、楢崎雷音くん。彼のお兄さんに逢うてきました」
「兄貴?あいつ、兄貴おんのか」
「ちなみに、楢崎は偽名です」
「は?偽名?」
「本名は由良雷音。関東で仁流会の次に大きい老舗極道、一新一家の由良組長のご子息です」
「…は!?あいつ筋もんなん!?」
「蓮はーん、俺、あんたんそんしれーっと惚けるとこ大好きやわ」
万里は酒を飲み干すと、グラスをテーブルに置いてボトルを手にした。蓮はどういう意味だと言わんばかりに、万里を睨みつける。
「BAISERを一人であそこまで大きぃした、あんさんこそ筋もんやないの。なぁ、蓮道会会長、蓮 詠作の息子…蓮 周はん」
万里はニヤリと笑って、ボトルに口を付けて煽った。蓮は微動だにせずに万里を見て、ふんと鼻を鳴らした。
「知っとったんか。このぼんくら」
「いやいや、まさか。ただ、一流外資系企業の花形営業に身を置いて、トップの成績を叩き出していた男が何であへんな店をやってるんか不思議やな思うてな。夜ん世界に生きんでも、将来を保証された出世街道真っしぐらなんにね。興味あることは調べたなるやろ?」
「はっ、アホくさ。あんなクソみてぇな会社、どないでもええわ。蓮道会な、久々に聞いたわ。そんなあんたらほど規模のあるわけでもない、ちんけな組や。それが極道の家の子やって分かった途端に、相手先への印象が云々ぬかしよって。そんなんやったら極道売りに出来る商売したろう思ってた時に、系列組の扇組ってとこに組がハメられて、親父は鉄砲玉でぶっ殺されて組は解散。あっけないもんやで。まぁ、俺は認知されてた子やないから関係ない思うてたら、扇組の舎弟の花房組が親父の借金あるいうて俺のとこに来よった。よお考えたら、全部仕組まれたことやいうこっちゃ。俺の会社への極道もんやていうリークも親父が鉄砲玉にぶっ殺されたんも、全部扇組組長の浦和の描いた絵図やったってことや。ほんで、お前の親父や」
「あ?親父て、会長?」
「明神 万葉や。うちの親父と若い時に、臭い飯食うた言うてたわ。そのよしみやて金貸してくれてな。それでBAISER立ち上げたんや。で、死にものぐるいで金かき集めて稼いで、ようやく完済したつうわけや」
極道がふっかけてくるような額なら、相当な金額だろう。明神組が間に入った分、それ以上の集りはしなかったということか。
だから神原は蓮を知っていて、蓮は万里を店に招待したのか。色々と繋がったなと、万里は笑った。
「せやかてあんさん、よぉ、お客はん集めたなぁ」
「アホか。俺がタダであの一流企業辞めた思うか?いただけるもんは貰っただけの話や」
「そん、扇組?潰したら良かったやん」
「寝首かかれるよな親父の仇を取る気はあらへんし、俺は極道もんやあらへん。そもそも、家が嫌いでお袋も弟も俺も、全員が親父置いて逃げたんや。葬式にも身内では出ずやしな。少しは家族の恨み思い知ったやろ」
「えげつないなぁ。まぁ、あんさんはその自分の事情があって、雷音に情けかけて雇っとったんやろ?ほな、最後まで面倒みたらんとあかんやん」
「あ?」
「雷音はそん嫌いなお家の組長に、担ぎ上げられそうになっとるんやて」
「は、はは!!あはははは!!あいつが組長?あんな、クソ派手な顔の男が?」
どう考えても畑違いだろうと、蓮は膝を叩いて大笑いをした。
「やからー、俺と結託して取り返せへん?これは、明神組若頭としての誘いやあらへん。あんさんも知ってん通り、俺は好き勝手し過ぎて組での立場も危うい」
「お前が?」
「そや、せやから神原やのうて飛鷹を連れてるんやて」
「はー、お前も難儀な男やのう。で、どないせぇ言うてんねん」
「雷音には雨音ってゆーお兄ちゃんがおってな、そんお兄ちゃんが雷音を欲しかったら5億用意せぇ言うてるんやて」
「…あほか」
一刀両断。蓮は呆れたという風に肩を竦めて、ソファに大きく凭れた。
「アホやないで。俺が動かせる金が2億。それを10日で5億にして、耳揃えて渡したらええねん」
「いやいやいや、お前、アホ?計算出来ひん子か?」
「出来るし、方法を知っとる」
「あ?方法?」
「あんさんのウサギちゃんや」
「ウサギて、安曇の事か」
蓮の表情が変わり、万里を睨みつける。もう隠す気もないのか、それは極道の息子という顔も垣間見れた。
「そもそもは、あんたんとこのウサギちゃんよこせ言うて始まった戦や。それに柴葉が加わり、俺が加わり、結果、稲峰がトンズラこいとる。多分、俺ん組の連中が血眼なって探しとる思うわ。なんやて稲峰は後ろ盾や思うとった香港マフィアからも見放されてもうて、逃げ場失うとるからなぁ。まぁ、そっちゃの片付けはうちがするけど、雷音をこんまま見殺しにしはるゆーんはどないなん?」
「…お前、安曇を魔法使いか何かと勘違いしてへんか?いくら安曇でも、そんなアホみたいな金額」
「あんさん、金持ってるやろ?」
「あ?」
「俺の2億とあんたの金。そん合わせた金を安曇に転がさせたら?夢物語かてならんのやないの?」
「アホか、そんなギャンブル出来るか」
「大丈夫やて、あんはんが出した金は俺が被ったるから」
「お前への貸付つうことか?そんな組も破門されかねん、お前がか?それよりも神原を呼んだ方が、ええんちゃうか?」
「海里は無理やて」
そこで初めて由が口を開いた。
「海里はねぇ、自分では分かっとらへんけど根っからの極道やから。格闘センスはゼロやけども、さすが鬼神の息子やて思うほど根っこは極道やから、組の利益にならんことは一切受け付けへんよ。楢崎雷音が動いてくれた事で万里が助かったいうんがあったとしても、それはそれ、これはこれ。あいつの非道な男やさかいね」
由はそう言うと笑った。そして、何かを思いついた様に手を打った。
「ほな、どうやろう。あんたが損することがあったら、俺を使うてくれてかまへんよ?」
「由!」
万里が我鳴ると、由は唇の前に人差し指を立ててそれを制した。
「お前を?」
「見た目は合格範囲かなーって思うとるんやけど?ホストでも裏方でも何でも、好きに使うてくれてかまへん」
「ほー、言うやん。そこまで自分に価値があると?」
「ホストは無理でも、用心棒は必要やろ?ご存知の通り、明神組は武闘派やからね。そこんとこ若頭補佐の俺の腕は折紙付。エンコ詰めても今は上等な義肢があるさかいに、大丈夫やろう」
「由て!!」
「うるさいで、明神。お前、刺青は?背中一面にモンモン入ったような奴は、ホストにも用心棒にもいらんで。俺、あれ嫌いやからな」
「見る?」
由は言うと立ち上がり、ジャケットを脱いでシャツのボタンを外した。すると見事に割れた腹筋が顔を出し、シャツを脱ぐと胸から腹は綺麗な筋肉が付いているだけで傷一つなかった。
蓮が指を回すと由はモデルのようにクルッと回って、背中を向けた。これもまた綺麗なものだ。無駄な贅肉が一切なく、筋肉だけで構築されているような身体。
その項、首の後ろ辺りにどこかの国の言葉と十字架の大きめのタトゥーが彫り込まれていた。
「何や、おしゃれタトゥーか」
「ね、綺麗なもんやろ?」
由はシャツを羽織ると適当にボタンを締めて、ジャケットを羽織った。そしてポケットからチュッパチャプスを取り出すと咥えだし、それに蓮は怪訝な顔をした。
「その年でそないなもん食うてる男、初めて見たわ」
「堪忍ね。俺、酒もあかんしタバコもせぇへんのよ。ホストとしては、そこは不合格やね」
「別にそんなんはどうでもええわ」
蓮は投げ捨てる様に言うと項垂れ、しばらく考えるとスマホをジャケットから取り出した。
「今回のことに関しては、うちもこのまま見過ごしてちゅうわけにもいかんからな。やて、なんかしら起こった時は、その男貰う。あんたらの世界の、言った言わんは俺には通用せんからな」
「はいはい」
由はにっこり笑って言った。
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