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第33話

由良組の屋敷のある一室で、雨音は書類の束を整え息を吐いた。革張りの椅子の背に身体を預け、ぼんやりと天井を見上げる。 ふと手を伸ばしてデスクの上のリモコンを手にして、部屋の照明を落とした。既に陽が落ちた外は部屋と同じように薄暗く、目を閉じれば文字通りの闇だ。 そんなことをしているとドアをノックする音が部屋に響き、雨音が許可する声を上げるとドアが開いた。そのドアの向こう、廊下の照明が部屋の僅かな場所を照らした。 「どうかされましたか?」 現れたのは柘榴だった。部屋が真っ暗なことに怪訝な顔を見せ言うと、雨音は口許で笑みを作りリモコンで照明を付けた。 「お疲れのようですが、何かお持ちしますか?」 「いや、いい。大丈夫だ。それより、あいつは?」 「特になにも」 柘榴が言うと、雨音は少し考えたのちに立ち上がった。それに直ぐさま柘榴が反応し、ドアを開けた。 長い廊下を抜けると、数メートル先に観音開きのドアが見えた。木製の閂のされたドアの両端には屈強な身体つきの男が二人、姿勢良く直立していて雨音を見ると頭を下げた。 「おい」 柘榴が言うと、男が閂を外しドアを開けた。開け放たれたそこは薄暗く、長い階段が下へと続いていた。 「先に行きます。暗いので、足元にお気をつけください」 柘榴はそう言うと雨音の前に入り込み、先を進んだ。雨音は何も言わずに、その後に続いた。 階段を降りるとまた、長い廊下が続く。少し黴臭いそれに顔を顰めたが、先に灯りが見えたので雨音は唇をきゅっと結んだ。 先に見えたのは格子で閉ざされた牢屋だ。松の六寸角で出来たそれは頑丈で、大地震が起きてもびくりともしなさそうだった。その牢屋の入り口に、やはり初めに居た男たちとよく似た体格の男が二人、門番のように仁王立ちしていて雨音に深々と頭を下げた。 「下がってろ」 柘榴が言うと男達は頷き、雨音達が来た廊下を戻っていった。柘榴は年季の入った牢屋に嵌められた、それだけが時代を間違っているタッチキー式の南京錠を開けると雨音を中へと促した。 中は意外に広い。外から中が見えないような配慮からか、格子の前には衝立が立てられている。 その衝立の向こうへ行くと、部屋の真ん中に雷音が正座し雨音を迎え入れた。 「こんなところまですいません」 「入れたのは俺だ」 雨音は部屋に唯一あるソファに腰掛けた。白いシャツにジーンズ。野暮ったい格好をしているのに何でも様になる男だと、雨音は笑った。 「兄貴、俺は…」 「お前は、組を潰すつもりか?」 雷音は雨音を見上げると首を振った。 「そんなつもりはないし…本当はあんなことを頼むなんて御門違いだっていうのは分かってたけど、俺一人の力だけではどうにもならなかったから」 「無力だな」 雨音は口許を歪めて、蔑むようにして雷音を見た。 「お前は昔も今も、得手勝手で自由奔放だ。組のことなんて何も考えていないし、自分さえよければいいって思ってる」 「そうだな…兄貴の言う通りだ」 「お前はいつもそうだな、昔から俺が言うことにはそうだとしか言わない。お前、俺のことバカにして実は腹の奥で嘲笑ってるんだろ」 「違う、そんなこと一度だって思ったことない。俺は本当にそうだと思うから、そうだって言ったんだ。それに組は兄貴が継ぐのが当然だ。俺にはそんな甲斐性がないのは分かってるから、姿を消したんだ」 「親父が、お前がいいって言ってるんだよ。親父のお気に入りの鬼塚組の組長もそうだ。見た目だけじゃないか。背が高ければいいのか?筋肉隆々ならいいのか?顔立ちが野性味あふれていればいいのか?」 「そんなんじゃない、兄貴は…」 「うるさい!!!」 雨音は声を荒らげ立ち上がると、目の前の雷音を足蹴にした。雷音は抵抗することもなく、床に上体を倒し雨音に詫びた。 「今なら俺でもお前に勝てるかもな。すっかり腑抜けになりやがって」 雨音はそう言うと舌を鳴らして、部屋から出て行った。ふと雷音が顔を上げると、顔に懊悩の色が表れた柘榴が雷音に頭を下げた。 「兄貴のこと…色々と面倒をありがとう」 「いえ、自分は…」 「そうだね、俺が言うまでもないか。この家の中で兄貴が心許してるのって、柘榴とあの人くらいだもんな。あ、そうだ。俺が戻ってること、親父は知ってる?」 「まだ、若もおっしゃられていません。最近は調子があまりよぉないんで、姐さんが看病してます」 「そっか。あのさ、もしかして兄貴が機嫌悪いのって」 「はい、明神組の若頭の方と補佐の方が来られました」 「マジで?もうバレたか。さすがだな。万里さんと神原さんか」 雷音が漏らした名前に柘榴は首を振った。 「神原…ではありませんでした」 「え?違うの?」 「はい、飛鷹という方です」 誰だそれと雷音は思いながら、まぁ、もう関係ないかと寂しげな表情で柘榴に頭を下げた。 「なんか、勝手なことしてごめんね。迷惑かけちゃって」 「いえ、自分は迷惑やなんて思うてませんから。もうすぐしたら、飯運んできますんでゆっくりしといてください。あんまり寛げる場所やないと思いますけど、なるべく早くに出してもらえるように自分も若に頼んでみますんで」 柘榴はそう言うと雷音に頭を下げ、そこを出て行った。そして牢のドアを閉めると、大きな南京錠を締めた。 由良家は歴史を長年歩んできた旧家である。その歴史ある屋敷には未だに、こういう古めかしいものが存在している。 とはいえ、雷音が居る牢は入り口が頑丈な木の牢で、その両脇に屈強な男が監視として立っているというオプション以外は快適な部屋である。 運び込まれたベッドもキングサイズの大きなもので、寝心地も最高だ。TVは観れないがTVラックの下にはDVDがぎっしり並んでいて、時間つぶしには最高だ。 高い天井の近くにある横長の窓で天気も分かるし、時計は許可されたので時間も分かる。風呂はさすがに付いていないので、風呂だけは監視付きで入浴。 逃げるつもりは毛頭なかったが、長年逃げ回っていたおかげで信用はゼロだった。 あの日、意を決して屋敷に電話を掛けた雷音を迎えにきたのは、柘榴だった。屋敷の電話にたまたま柘榴が出たのだ。 「雷音さんから連絡があるやなんて、夢にも思いませんでした」 迎えにきた柘榴の車に乗りこんだ雷音は、切羽詰まって見えた。柘榴はとりあえずアクセルを踏んで、車を流した。 数年ぶりの再会ではあるが、雷音はその再会に何を言うわけでもなく何度も大きく息を吐いた。明神の生死が分からないこと、これが雷音の切羽詰まっている原因である。 まだ生きてはいるだろうが、明日には死ぬかもしれない。明神組として動くにも時間がかかりすぎるだろうし、そもそもパイプを持っていないというのがネックだ。 「雷音さん?」 「兄貴に会いたい」 雷音は意を決してそう言った。柘榴は信号待ちの車列に並ぶと、雷音を見た。 「雷音さんから電話があったこと、若には言うてません。野暮用やったら自分が動きますんで、言うてください」 「俺のこと、どこまで分かってんの?」 「ホストをしてはることと、関西に居住していること。あと、最近は仁流会と懇意にしてること…これは若には言うてませんけど、明神組の若頭と親しいことくらいです」 「ダダ漏れかよ」 雷音は鼻で笑ったが、だがそれならば話は早いとも思った。 「若頭補佐に言われて何人か動いてるんで、仕方あらへんかと思います。せやけど、報告は若頭補佐が若に直接することになってて、補佐は若には必要なこと以外は何も言うてはりません」 「あの人らしいな…。野暮用かどうか、柘榴だけで動けることじゃないと思うんだ」 「何や、トラブルですか?」 青信号で車がゆっくりと動き出した。その間、雷音は迷いを覚えたような様子を見せたが、意を決したようにして柘榴の方を強く見た。 「稲峰組に囚われてる明神組若頭を救出してほしい」 「囚われて?稲峰組って相内会のですか?」 「そう…香港マフィアと手を組んで、何か商売を始めようとしてるらしいよ。それで仁流会の島に入り込んできて…」 「番犬の登場いうわけですか。やけどそれは仁流会の問題であって、うちが手を出すようなことやありません。反対にややこしなる」 「殺されるかもしれない!!」 雷音は叫ぶと、柘榴の腕を掴んだ。ハンドルを握っていた柘榴はギョッとして、路肩に車を停車させた。 「兄貴に言ってくれ。組に戻るって。言うことをなんでも聞く。ただ、明神万里の救出が条件だって」 「雷音さん…」 困惑する柘榴と共に無理やり屋敷に帰り、数年ぶりに兄である雨音と対面した。雨音は至極、冷静に雷音を見るとスッと手を伸ばし雷音の顔を撫でた。 「変わらないな」 雨音はそう言って笑うと、雷音の切羽詰まった事態を黙って聞いていた。勝手に家を飛び出し長い間、家のことを雨音に押し付けてきたのだ。 易々と雷音の願いを聞いてくれるとは思わなかったが、雨音はあっという間に一新一家と繋がりのある香港マフィアに連絡を取り、稲峰組と徒党を組んでいるマフィアに手を引かせ、万里を救出したのだ。 その迅速さは、雷音にとっては青天の霹靂だった。突然、家を飛び出し逃げ回り、帰って来たと思ったら無理難題のお願いをしてくる愚弟は、兄である雨音にとっては恨みの対象でしかないだろう。 雷音は昔から、雨音に嫌悪されていたのだ。 数日後、万里と由は由良邸に来ていた。 以前と同じ部屋に通され、二人して前を見据える。以前と違うところはといえば、万里がサングラスをして来ているというところだろうか。 完璧に完治という状態ではないが、痛みもなくなったので眼帯は外した。こういう目をしていると、易々と眼科へ行けないのが鬱陶しいところだ。 すっと襖が開いたので顔をあげると、柘榴だった。柘榴は頭を下げると横にずれ、後ろに居た雨音を先に通した。 雨音は万里と由を見るとニッコリと笑い、二人の前の座布団に座った。 「お待たせして、申し訳ありません」 雨音の後ろに影武者の様に柘榴が腰を下ろしたところで、雨音は”それで”と万里を見据えた。 「あー、約束の金な」 「無謀でしたからね、別に無理だったとしても当然のことですから」 雨音は残念でしたねと言ったが、万里がすっと右手を出すと由がそこにスマホを乗せた。 「ま、無謀やったいうやつやな」 万里はスマホを雨音へ滑らすと、ニヤリと笑った。それに雨音がまさかとスマホを手にすると、そこに信じられない様な額が表示されていた。 「あんた、現ナマでとは言わなんだやろ?それが約束の金。何の不正もあらへん、口座残高やから」 「あなた、一体どうやって」 「明神組舐めたらあかんでって言いたいけど、まぁ、色々とな」 明神組の力ではなく、これは安曇一人の力と言っても過言ではない。万里も由も実のところ諦めていたところだったのだから。 だが安曇は約束通り、万里の要求した金額を用意した。数字に強い男というより、先を見通す先見之識があると言っていいだろう。 稲峰でなくとも欲しくなる、まさに打ち出の小槌のような男だ。 「参りましたね、まさか本当に用意するとは…」 「やて、これを渡す気はあらへん」 万里がそう言うと由はぎょっとした顔を見せ、雨音は蛾眉を顰めた。 「渡す気がないということは、あれはもう良いということでよろしいですね?」 「いや、そら困る」 「…明神さん」 「仁流会明神組は武闘派として名を馳せてきた歴史がある。そら明神組が代紋掲げたときからのことで、みな拳で闘って来た」 「なので、今回も拳で勝負したいということですか?」 「さすが、話が早い。やて、あんたやのうてかまへん。そん後ろの、あんたん護衛とでええよ」 万里が犬歯を見せて笑うと、雨音も妖艶に笑った。 「あなた、一新一家のことをあまり知らない様ですけど、私はお飾りの若頭ではないんですよ」 雨音はすっと立ち上がると、襖を開けて万里たちを促した。 万里と由は立ち上がると柘榴の方へ目をやった。すると柘榴が手を差し出し促したので、大人しく雨音に続いた。 前を行く雨音の後に続き長い廊下を歩きながら、歴史を感じる佇まいに感嘆する。屋敷から外へと続く廊下の両側は枯山水の庭となっていて、実に見事だ。 奥の竹林が風情を出し、日本の情緒を惜しみなく感じさせる。都市部から遠く離れているわけでもないのに、ここだけがまるで別世界だ。 「こちらは別館になっていて、あとから増築した建物になります」 雨音はそう言うと、観音開きの木の扉を開いた。確かに、木をふんだんにあしらってはいるものの、近代家屋という感じの内装だ。 「どうぞ」 雨音に言われ中へ入り、万里は口笛を鳴らした。そこは道場だった。その奥はトレーニングルームになっており、設備としては完璧なものだ。 「はは、自分のとこに道場とか」 「素敵でしょ」 雨音はネクタイを解くと柘榴に渡した。 「動きやすい服装でやりましょう。このスーツ、気に入ってるんです」 「ま、確かにせやな」 万里も頷くと、雨音は服を貸しますと柘榴を見た。柘榴はそれに頭を下げると、奥へと消えてしまった。

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