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第34話

「道着とかやったらどないしょうか思うたけど、ま、動きやすいからええわ」 Tシャツの下にラッシュガード。下はハーフパンツで中にはスパッツ。装備としては完璧だなと万里は身体を伸ばした。 「万里」 どうも心配でならないのか、顔がどこか不安そうだ。負けるとでも思っているのか、だとしたら失礼な話だ。 万里はサングラスを外して由に渡すと、子供の様に笑った。 「強ぉなっとるか、よぉ見とって」 万里は拳を合わせれると、同じ様なスタイルで道場の真ん中に居る雨音の元へ行くと頭を下げて向き合った。 「…ああ、それでルビーなんですね」 雨音は万里の目を見ると、そっと顔に手をやった。するっと左頬の傷を親指で撫でられ、そして左目の睫毛を撫でられた。 「まるで宝石みたいだ。とても綺麗ですね」 思いもよらない言葉に万里はフッと笑った。兄弟揃って同じことを言う。外見は似てなくても、やはり兄弟だ。 「見えてるんですよね?それとも、何か…こう靄がかかってるとか?」 「いいや、見てくれが悪いだけで見えとるよ。きっちりと」 「なら、遠慮はなしってことですね」 雨音がニッコリと笑うと、万里も同じ様に犬歯を見せて笑った。そんな万里の顔を見て、本当に格闘が好きなんだなと満足気な表情を見せ、すっと構えた。 「クラヴ・マガ…」 それはイスラエルで考案された近接格闘術で、生き残るための戦闘術といわれる人間が本能的に持つ条件反射を動きに取り入れるのが特徴だ。 万里が呟くと雨音は笑みを見せたが、次の瞬間には空を切る様な蹴りが炸裂した。すんでのところでそれを躱すと、身体を捻って雨音の背後に滑り込んだ。 だが雨音もそれを読んでいたのか、身体を回転させると同時に肘を向けてきた。その肘を払い、弾かれる様にして二人は離れると万里はニヤリと笑った。 「はー、クラヴ・マガは完璧ってとこ?」 「戦っている最中のおしゃべりは、感心しませんよ」 雨音は万里の胸元を掴むと、その足を掬い上げ床に倒した。ジョイントマットのおかげで痛みはないが、そのまま上に乗られると首元に腕を回された。 ハッとしたときには首を締め上げられていたのだ。 今度はブラジリアン柔術かよと万里は腹の方から腕を捻じ込み、それを外しにかかった。このまま締め上げられれば、一発で落ちる。 万里は両足を雨音の腰に巻きつけると、一気に腕を捻じ込み首を締めていた腕を外し、腰に巻きつけていた足を雨音の肩に回すと力を入れて雨音の身体を床に叩きつけた。 そのまま腕を取ると、足で関節を極める。雨音は苦しそうな顔を見せたが、最後まで関節を締めさせない様に身体を捩った。 だが身体を回転させても、万里の足は外れることも緩むこともなかった。 まるで蛇の様な男だ。掴んだと思ったのにスルスルと逃げていく。これが明神組のルビーかと雨音は思った。 「そこそこ、強くなったんやないかなぁ。ウエイトが同じくらいやし、万里はやりやすそうや。由良さんは、クラヴ・マガと柔術の他になんぞしてはるん?」 由は壁際で二人の攻防を黙って見つめている柘榴の隣へ行くと、顔を覗き込んだ。柘榴は由を横目に見ると、すぐに視線を二人に戻した。 「心配そうな顔やね」 「そういうわけではありません」 「そう?でも、俺も久々に見たけど昔よりも強なってるわ、万里。まぁ、そもそもあんたんとこの坊ちゃんが色々とマスターして鍛錬してるとしても、訓練と実践の違いやろうね」 「と、いうと?」 「万里は根っからの格闘好きやから、若頭の今でも前線に立つ。今回の事件は囚われてもうたけど、常に実践をして自分を磨いとるってわけ。万里は見ての通り華奢や。本格的に何かの武術を習ったいうんも、数年しかない。万里の格闘スタイルは、この世界で華奢な自分が前線に立つのに如何にダメージもなく、尚且つ相手を殺せるか。長年、命賭けて戦い抜いてきた男が編み出した”自己流武術”やねんなぁ。やから、俺にもあれは真似出来ひん。俺の見た所、あんたんとこの坊ちゃんは実践を積んでるわけやあらへんのやない?」 柘榴が由を睨んだ瞬間、ダンッと大きな音がした。見ればどうにか万里の技から逃れた雨音が、万里を蹴飛ばしたところだった。 「あらら…。ああ、でも言うとくけど、あれが明神万里の実力やと思わんといてくださいよ」 「どういう意味ですか」 「あいつね、全回復してないんよね。今、あいつの実力、あれで60%ほど」 由はそう言うと、頬を上げて微笑を漏らした。 万里は転がった身体を足を上げた反動で起こしあげると、うーんと肩を回した。何だか自分の身体なのに、勝手が効かない感じがする。 「さすが、明神組若頭ですねと言いたいとことですが…噂は噂というところですか」 「え?あー、どへんな噂が流れとるんかは知らんけど…。まぁ、ザマぁないってとこやねぇ。あかんあかん」 やはり、まだ早かったか。身体のあちこちがギシギシと痛むので、技も完璧に極めれない。無理に極めようとすると、こっちへ反動が返ってくるような感じだ。 一発受けるだけで身体への負担が大きい。これはあまり打撃は受けたくないなぁと思いながら、万里はファイティングポーズを取った。 雨音もそれを見て同じ様に構えると、万里とのこれが楽しくて仕方がないのか笑みを零した。 攻撃は雨音の方からだった。脛のあたりに蹴りを飛ばしてきたと思いきや、それを脛部分に軽く当てるだけですぐに上段蹴りをかました。 それを両腕を交差させてガードして、万里は後ろ回し蹴りをする。だが雨音もそれを腕で受けると、脇腹あたりに蹴りを入れてきた。 二人して弾かれるようにして離れると、万里は小さく笑った。 「はは…ジークンドー、ね」 万里は脇腹を擦ったが、雨音はどこか不可思議な感じが否めなかった。当たったのに、当たった様な感覚があまりないのだ。 混乱する雨音の隙を狙い、万里が回転回し蹴りをする。雨音はそれにハッとしたが遅く、ガード諸共、吹き飛ばされてしまった。 それに柘榴が一歩前に出たが、由がそれを手で制した。 「いやいやいや、それはあかんよ。ここで、あんたと俺で一戦交えてもええんよ?」 柘榴は由を睨む様にして見たが、深い呼吸をして身体を下げた。 「万里の癖、教えたろうか?」 「え…?」 「悪い癖やから止めろちゅうんやけどな、初っ端は相手の力を見よるんよ。で、見終わったら反撃」 「今までも、力量を見ていたということですか?」 由は指を鳴らし、二人の方を指差した。 「因みに、今からが反撃」 由は会心の笑みを漏らすと、変わってないなと呟いた。柘榴は俄かに信じられないという顔を見せ、万里達を見た。 万里は呼吸を整えて、首を回して両手をぶらぶらと振り出した。今更、柔軟運動?という感じだが、次に見せた顔は獲物を捕らえた猛獣のような獰悪な表情だった。 その顔に雨音が怯んだんのを万里は見逃さなかった。構えていた手を取って、それに足を巻き付けると、そのまま後ろに捻りあげた。 筋がギリッと鳴り、雨音が苦痛に声を漏らしたが万里は雨音に乗りかかるようにして身体を載せると体重をかけた。 体格の差がない万里に乗りかかられ、雨音が堪らずに膝を付くと腕を捻りあげられたまま首に腕が回った。焦った雨音がその腕を掴むと、腹に両足が回り後ろに倒された。 腕に、首に、万里の腕や足が巻きつく。そのとき雨音は、大蛇でも相手にしているかのような恐怖に狩られた。 蛇のようにしなやかな身体は的確に雨音を締め付けていく。このままでは本当に落ちると、意識が遠のき始めた。 目の前で光が飛ぶ。大きな光と閃光のような強い光、混じり合ってぶつかり合って互いに強い光を放ち争う。 「く…そ…」 雨音が小さく声を漏らした。そして次の瞬間、首に回った腕に噛み付いた。 「いたぁ!!」 万里は雨音を押し退けると、噛まれた腕を見た。じんわり血が滲んでいる。 「か、噛むとか!!」 ゲホゲホと噎せる雨音は身体を転がして、万里から距離を取った。起き上がろうにも、膝に力が入らない。 「痛いわぁ…。なんちゅうやっちゃ」 万里がゆっくりと雨音に近づく。それに雨音は唇を噛んだ。怖いと思ったのだ。このルビーの目を持つ男を。 凡ゆる格闘技で挑んでも、まるでダメージを受けていない。これが、仁流会明神組若頭の実力…。 雨音がどうにか立ち上がろうとした瞬間、道場の灯りが消えた。窓のない道場はそれだけで真っ暗になり、万里は驚いて周りを見渡した。 「停電!?」 「雨音さん!!」 柘榴が慌てて雨音の元に駆けつけるが、同時に由も万里の元へと走った。 床に手をついたまま動けない雨音を柘榴が抱えるようにすると、すかさず懐から銃を取り出し万里の方へ向けた。だが由も急な停電で立ち尽くす万里を自分の背後に押しやると、同じように懐から銃を取り出し雨音の方へ向けたのだ。 「あかんやーん、柘榴はん。身体検査、ちゃんとせな」 「忠告どうも、これからは気をつけますわ」 二人の会話だけが暗闇に響く。何がどうなっているのかと思っていると、パッと照明が灯った。 その瞬間、二人ともお互いに銃口を向けた。 「由!!」 「柘榴!!」 雨音と万里の声が響いたが、そこに第三者の声が割り込んだ。 「やめんか!!」 声の方を見れば、白髪の着物姿の男が険しい目つきで4人を睨むようにして見ていた。 「く、みちょう…」 雨音の言葉に万里はギョッとしたが、すぐにその男の隣に居る人物に血の気が引いた。 「か、海里…」 まさかの展開に思わず後ずさるが、その後ろの長身の男に気が付き更に困惑した。 「は?雷音?」 何がどうなってるんだと思わず由を振り返った。由はさっと銃を仕舞うと、にっこりと微笑んだ。 その微笑みで何もかも汲み取った万里は、舌を鳴らした。 「海里と繋がっとったんか」 「堪忍な、いや、やて万里は暴走してきだしてるし、俺は万里を組から破門するために戻ってきたわけやないんやし」 「やからて、海里はないやん」 「は?海里しかおらんやん」 何を言うてるんという顔をされて、そうだけどと頭を掻いた。 「雨音」 低いバリトンが道場に響き、雨音がビクッと肩を震わせた。あれが一新一家組長。雰囲気が自分の父親に似ているなと思った。 呼ばれた雨音は床に腰を下ろしたまま、もう起き上がる気力もないようで柘榴が心配そうに見ていた。 「明神組の若頭か」 「あー、せや。若頭の明神万里…まぁ、今んとこ」 言葉を濁してチラッと神原を見れば、鬼の形相だ。誰が許しても、あれは許す気なんてない顔だ。これ破門しかないんじゃないかと思うほどだ。 神原の鋭い視線は万里を突き刺している。どこから繋がっていたのかと、妙な汗が背中を伝った。 「ここで話すのもあれじゃろう。おい、席を用意しろ」 振り返って言った先には見知らぬ男が立っていた。長めの黒髪を緩く後ろに流し、サングラスをしているので顔つきはよく分からない。もしかして、これが若頭補佐かと伺っていると、思いっきり頬に衝撃が走った。 「痛い!!」 頬を押さえて見ると、慣れないことをして手が痛かったのか神原が手を振りながら万里を睨みつけていた。 「かい…」 「神原」 「あ、神原…えーっと、これには訳が…ちゅうか、痛い」 「そりゃ、殴られたら痛いやろうなぁ。でも、お前はアホやさかい、殴って頭のねじを直さんといかん。平手の一発や二発じゃ直らんねん」 「いや、あの…どこから?」 万里が恐る恐る顔を上げると、その間に由が割り込んできた。 「もうそれくらいにしたって。それが約束やで」 痛かったなぁと子供に言うように万里の頬を撫でる由を、愕然とした表情で万里は見た。 まさか、初めから全て神原に筒抜け?その万里の表情で言いたいことを全て察した由は、屈託のない笑顔を見せた。 「俺は万里のためだけに生きとるんよ?危険を回避するために色々とやろうと思うんは当然やろ?」 「やからて、神原にチクるとか」 「海里に言わんで誰に言うの?冬子さん?」 「いや、なんでやねん。俺のこと殺す気やん」 「俺、そないに伝手のある人間やないんやしね。これ以上、大ごとなる前に引く…引き際も大事やで」 そう言うわれるとぐうの音も出ない。結局、自分でどうこうしようとしていたことは全て、神原に筒抜けだったわけだ。 「俺、一人でアホみたいやん!!」 何だか恥ずかしいわ!と言っていると、神原に鬼の形相で睨みつけられた。 「お前がアホなんは百も承知二百も合点や。俺が何度、息の根止めたかったか…」 腹の底から憎んでいますというのを、まさか側近である男から言われるとは…。だが神原が来てくれたおかげで、安心したのは万里の本心だった。

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