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第35話

「改めて、一新一家組長、由良 風音(かざと)だ」 「あー、どうも?」 よろしゅうとか言っちゃう?と思ったが、隣で青筋を立てる神原の気配に気が付いて口を閉ざした。 広い部屋だった。15畳ほどの部屋で上座に座る風音の後ろの床の間には、綺麗に生けられた花が置いてある。 風音を上座に起き、向かい合うようにして両側に由良組と明神組が腰を下ろしていた。 由良組の方には雨音と雷音。その斜め後ろには、片時も離れることがないのか柘榴が座る。その向かいの明神組には万里と神原、そして由が座る。 こう並んで見ると全然似ていない親子だし、兄弟も似ていない。いや、身体つきは風音と雷音はそっくりだ。黒い宝石のような雨音の瞳は、どうやら父親譲りのようだ。 「今回は、うちの倅が勝手な動きをしたらいのぉ」 「え?どっちの?」 言った万里の頭を叩いた神原に、雨音がギョッとした。こういう主従関係は初めて目にするようだ。 「程度の低い男で、無礼を申し訳ありません。私、明神組若頭補佐の神原 海里です。こっちは若頭補佐の飛鷹 由です」 神原と由が頭を下げると、風音が顎を撫でた。それに神原が少しだけ首を傾げると、風音が片眉を上げてみせた。 「神原…。まさか、神原博巳の倅か」 「父を…ご存知でしたか」 「鬼神と呼ばれた男を知らねぇ極道もんは居ねぇなぁ」 「そうですか」 自嘲気味に笑う神原に雨音と雷音は気が付いたが、それに触れることはしなかった。神原は口元だけ笑みを作り、話を始めた。 「ご子息が勝手な動きをされたのかどうか私には分かり兼ねますが、雨音さんのおかげでうちの若頭の危ないところを救っていただき、感謝しております。今回のことを端的に申し上げますと、相内会稲峰組とうちの抗争に雷音さんの勤め先の店が巻き込まれたということが現状でございます」 神原の説明に雷音が肩を揺らしたが、神原は雷音を見据えるとゆっくりと瞬きをした。 「稲峰か…。まぁ、わしもお前らのとこの会長代行に聞いただけで、詳しいことは知らねぇしなぁ」 「え!?代行!?」 万里が風音を見ると、何か変なことを言ったかと渋い顔をした。万里はそれに笑って、小さく首を振った。 「代行会長とは、鬼塚氏のことでしょうか?」 神原が確認とばかりに聞くと、風音は頷いた。その返答に万里が今にも舌を鳴らしそうに前歯をギッと合わせたが、神原のやればどうなるか分かってるんだろうなという雰囲気を感じ取って、そのまま口を閉じた。 風音がそんな二人の微妙な空気の流れに気が付くわけもなく、話を続けた。 「あれとは昔に知り合ってな…。年はうちの倅よりも若いが、酒の趣味が合う」 「そうですか」 「しかし、あれは会話が出来ねぇ男で、詳しいことは明神に聞けということだが?」 他所の組の、しかも仁流会でもない組の組長にまでゴーイングマイウェイを貫ける精神には頭が下がると、神原は人知れず肩を落とした。 「稲峰組ですが…」 「俺が下手こいてもうて、そちらの息子はんに助けてもろうたんや」 神原の話を遮るようにして万里が言うと、風音がフッと笑った。 「なるほど…倅が何ぞ動いとることは知ってたけどなぁ。しかし、噂には聞いてたが明神組の若頭…思ってた男とはだいぶと印象が違うじゃねぇか」 「どないな男を思い描いとってくれたんか知らんけど、俺が明神組若頭、明神万里や」 「ははは、そうだな。てめぇとは一度、逢ってみてぇとは思ってたが拍子抜けしちまうなぁ。こんな華奢とは聞いてなかったからなぁ」 「期待を裏切ってもうて堪忍ね」 幾度となく聞かされてきた見た目の感想には辟易としている。若い、華奢、ベビーフェイス。だが全ての噂には必ず”明神のルビー”が付いてくるのだ。 赤い目の若い男、赤い目の華奢な男、赤い目のベビーフェイス…うんざりだ。 「まぁ、それは置いといて。うちの倅に助けてもらったっていうのに、手合わせしてたっていうのはちゃんとした理由があるからだろうなぁ?」 風音の言葉にビクッと雨音の肩が震えたのが分かり、万里は口角を上げて笑った。 「噂、聞いとるなら分かるんやない?」 「噂?てめぇのか?噂っていっても、明神組は仁流会の牙。そのルビーは血で染まってる…こんな噂だぞ?」 ほら、やっぱり結局ルビーじゃんと万里はスッとサングラスを外すと、風音を射抜くように見た。さすがの風音も、万里のその目の色に眉を動かした。 先ほどは離れていたせいで分からなかったようだが、この距離ならハッキリとその燃えるような真紅の色は見えるのだろう。 「はぁ…箔のついたもんこさえやがって。だから、明神のルビーか…。てめぇが暴れるから、その目が返り血で染まるってことか?」 「いつん時代の人間やねん。返り血なんか浴びひんわ、気色悪い」 万里はサングラスを掛けると、どうして本当のことを言わないのかと困惑の色を隠せない雨音と目があった。 だが、すぐに視線を外して風音を見ると、徐に雨音を指差した。 「あんたんとこの倅もええ動きしたはるけど、自分や組は守られへんってゆー、どこぞ気後れしとるとこがあるな」 「ちょっと!」 雨音が驚いて声を出すと、風音がすっと右手を上げた。雨音はそれを見て口を閉ざし、俯いてしまった。 「明神組若頭…。てめぇは会長の倅らしいが、若頭に就任するときに親父さんは喜んだか?」 「いや、何やったら組畳むくらいの勢いで反対された」 万里のそれに、雨音も雷音も驚いた顔をした。雷音にしてみれば知り合ってからの明神組若頭としての万里の動きは、全て極道となるために長い年月を掛けてその全てを叩き込まれたように育ってきたと感じていたからだ。 極道の子として育てられてきたのであれば、自然とその道へ進むのであろう。だが、組を畳むほどに反対とは…。 「反対か…」 「極道にするために育てたんやあらへんゆーんが、かーか…おかんの言葉や。俺のこの目ぇ見て一番落ち込んだんが親父や。顔に傷、目も異質。堅気として暮らすには難しいちゅうてな」 「親が極道もんだからこそ、我が子には堅気として過ごしてほしい。勝手な話かもしれねぇけどな、どこのどんな親だって願う話だ」 風音のそれに、雷音と雨音が驚いた顔をした。まるで、そんな言葉を聞いたことがないと言わんばかりだ。 万里はその親子三人が並ぶ姿を見て、寂しそうに笑った。 「俺は…あんたんとこの息子らが、正直、羨ましい」 「羨ましい?」 「俺には、明神万葉ん血は一滴も流れてへん。姐である冬子ん血もや。俺は訳あって養子になったさかい、書類上の親子やいうだけや。やからて愛情がないわけやあらへん。胸焼けするくらいの愛情持って育ててもろた。そん親に恩返しする術が、俺には組を継ぐことしかなかったちゅうだけや」 「そこまでして育ててもらったんなら、元気に過ごすことが親孝行だと思わねぇのか?」 万里はそれに直ぐに頭を振った。 「俺のために血ぃ流した組員もおる。親が組守るために魂注いでるんに、子である俺がのうのうと暮らすわけにはいかん。親と家を守るんが、子の役目や」 これが明神万里かと、雨音は思わず息を呑んだ。家業を、親が築き上げてきた極道という家を守るために命を賭ける男の信念。 果たして自分はどうだろうか。自分はただ、風音に認めて欲しいがためだけに組に居るのではないのだろうか。 万里の言葉は雨音の心を揺さぶった。 「たらればの話は好きじゃねぇが、もし、お前さんが組をやめたいと言えばどうなる?」 「二つ返事でやめさせてくれるやろうな」 風音の質問に万里は即答した。 「何やったら、代紋下ろしよるわ。せやけど、若いもん抱えてそない勝手が出来るわけあらへん。出来るわけあらへんけど、俺が本気でやめたい言うたら全力で動いてくれるんは確かや」 「それが親心だな」 風音はそう呟いて笑うと、隣で小さくなる雨音の肩を叩いた。 「え…」 急に肩を叩かれて、困惑する雨音の瞳に風音の優しげな顔が映った。 「お前は自分が極道に、組の次期当主としてふさわしくねぇって思ってるんかもしれねぇがな。自分の決めた道があるなら、その道を行けばいい。それが組を継ぐことだって言うんだったら、何でもしてやる。雷音はこの世界が合ってねぇから、自分の道を模索するために家を出たんだ。お前もやりたいようにやっても、誰も文句は言わねぇよ。お前の母親が死んじまったときに、ちゃんと腹ぁ割って話せば良かったんだがな…。悪かったな」 「父さん…」 思いもよらない風音の言葉に、雨音の黒真珠のような瞳からキラキラとした涙が零れ落ちた。自分を勝手に不甲斐ないと思い込み、煮詰まり、行き詰った日々を送っていたのか、ようやく許されたと思ったのか…。 雨音はただ、涙を零して泣いた。 「今回は、色々と手間をかけてしまって…」 風音が席を外し、とりあえず居なくなっていた間の報告も兼ねて雷音も席を外し、5人になった部屋で雨音は憑き物が落ちたように万里に柔らかく笑った。 思わず、可愛いと言ってしまいそうな柔らかさだ。 「いやいや、あんた、これからヤバいんちゃう。そないな笑顔ほかで見せたらあかんで」 「え?」 本人は何のことだかと言わんばかりの顔だが、まぁ、片時も側を離れないような側近も居ることだし大丈夫だろうと勝手に解釈して万里は首を振った。 「せや、香港マフィアの件は助かってんけど、もし持ってたら情報欲しいねん。稲峰一徹の行方」 「ああ、稲峰は…」 雨音が言おうとした時、失礼しますと声がかかり長身の男が部屋に入ってきた。先ほど、道場に居た長身のサングラスを掛けていた男だ。 高い鼻梁に人懐っこさが伺える目元。ただ鋭さが垣間見えるので、やはり極道のそれである。 長めの前髪を緩く後ろに流す男は、万里たちを見るとニコッと笑った。 「ああ、ちょうど良かった。親父と一緒に屋敷を離れとったんですけど、ご挨拶がまだでしたわ」 男は雨音の隣に腰を下ろすと、胡座を組み、深々と頭を下げた。 「一新一家由良組 若頭補佐 成田 志馬です。どうぞ、よろしゅう」 「はぁ、よろしゅう」 万里はどこかで見たような顔だなと思いながら、成田をじっと見た。それに成田が気が付き、人懐っこそうな笑顔でにっこり笑った。 「どうされました?」 「いや、どっかで逢うてないかなて」 「初めてお目にかかりますよ。で、稲峰ですけど」 「ああ、死んでへんよねぇ?」 「生きてますわ。小金貯めよったんか、それ持ってね。仁流会を敵に回したあげく、香港マフィアにも睨まれてもうてねぇ。あちらさんに取られる前に捕まえんと、死体とご対面ですわ」 「そりゃ困る。生きててもらわんと」 「うちのが見張っとるんで、これが住所。転々としとるみたいやから、とりあえず今おる場所やて言うときますわ」 万里は成田からメモを受け取ると、それを神原に渡した。神原はそれを手にすると、失礼と席を外した。 「すぐにうちの連中が行くさかい、捕まえれる思うわ。今回は色々とおおきに」 「いやいや、雷音さんも帰って来て、オヤジとご子息二人の長年の蟠りも取れたんが俺にとってはプライスレスなんでね」 「成田!」 雨音に叱られ、成田は笑って頭を下げた。 「ああ、せや、あんた。俺のこと覚えとる?」 「え?」 急に話しかけられた柘榴が、驚いた顔で万里を見た。そして小さく頷いた。 「やっぱそうよな。堪忍、名前なんやった?下の名前」 「愛生(いぶ)です」 「せや!!それそれ。あー、スッキリした」 「知り合いですか?」 「ああ、まぁ、ちょっとな」 成田に聞かれて言葉を濁した。あまり触れられたくないかもしれないので、確認は本人にしてくれというものだ。 それから程なくして、一新一家の屋敷を出て関西へ戻るべく車を走らせているのだが、万里は途中のダムとか山とかに放られるのではないかと気が気ではなかった。 ハンドルを握る小山内はいつも通りだが、助手席に座る神原の醸し出す雰囲気は突き刺さるものがある。 万里の隣に座る由だけが頼りではあるが、盛大に船を漕いで寝る寸前だ。役に立たねぇ!! 「あの…海里」 「神原」 「あ、神原、あのー」 「昔から誰かを犠牲にして、自分がどないかなるんが好かんのは知ってる。せやけど、そんな甘っちょろい考え持ったまんまで、明神組の若頭が務まるとでも思ってんのか。極道になる、会長や姐さん、組に恩返しするちゅうて極道なったくせに、お前の勝手な行動が組の存続を危うくしてるんやぞ」 万里は何も言えなかった。盃を受けた時に、これで明神万里として育ててきてくれた両親に恩返しが出来ると思った。そのために必死に動いてきたつもりだが、こうして勝手な行動をして、結局みんなに迷惑を掛ける羽目になった。 やっぱり、向いてないのかもなーと視線を外に移した。そして、車内に万里の息を吐く音だけが響いた。 そんなに長く離れていたわけではないのに、街並みが懐かしかった。万里は覚えのある街並みを見ながら、隣で深い眠りに入ってしまっている由を揺さぶった。 「由、もう着く」 「…うーん」 由はあまり車が得意ではない。自分でハンドルを握っていれば問題がないのだが、誰かの運転する車に乗ると眠ることが多い。 何故ならば、ひどい車酔いをしてしまうからだ。なので極力ハンドルは自分で握るのだが、舎弟も居る状態では無理だよなと後ろを振り返る。 万里達の車にピッタリと張り付くようにして付いてくる由の愛車。神原が連れてきた舎弟が運転しているのだが、ようやく帰ってこれたと安堵しているところだろう。 変な緊張感を持たせて、後ろから突っ込まれたらどうするつもりだ。 「お疲れ様でした!」 門を入ってすぐに、舎弟が綺麗に並び一同に頭を下げる。万里は外側から開けられたドアから出て、ぐっと拳を握った。自分の家だというのに、この異常な緊張感…。 大きな枡格子を開け、思わず悲鳴をあげそうになった。そこに冬子が居たからだ。 「か…!」 「親父が呼んでますさかい、早う行きなさい」 「え!!」 冬子が”親父”と呼ぶのはただ一人。明神組会長であり万里の父である、明神万葉だ…。 万里がふっと後ろを振り返ったが、神原は万里を押し退けて中にとっとと入ってしまったし、顔色の悪い由も”ただいま、酔ったわ、もう無理”なんて言いながら、その後ろを付いていってしまった。 冬子はというと、由が酔ったというのを心配して一緒に中に入ってしまったのだ。 「え、うそ…」 マジかよと思いながら、これはもうどうにも出来んなと渋々と靴を脱いで由達とは違う方向へ向かった。

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