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第45話 最終話

「そういえば、あんた、どないしてホストになったん?」 「急ですね。俺はスカウトですよ」 雷音は万里の身体を引き寄せた。足も絡めて耳元に口付けると、話をしたいのか顎を掴まれた。 「はいはい、大人しくしてますよ」 渋々という感じでそう言うと、万里はニッコリと笑った。不貞腐れてゴロンと仰向けになる雷音の上に、万里が肌を合わせてくる。 何これ、忍耐力でも試されているのかと思いながら、雷音は万里の背中に腕を回した。 「スカウトされる人間て、ほんまにおりはるねんなぁ」 「うーん、まぁ…俺は顔が派手だし髪も兄貴と違って色素薄くて、よくハーフと間違えられるんですけど、そのせいかスカウトの類はよく受けますよ」 ホスト、モデル、俳優、果てはアダルト関係…。容姿がこれの上に長身なこともあり、目立つのか声だけはよく掛けられた。 「はー、すごいねぇ。まぁ、あんはん、男前やしねぇ。やてホストとか抵抗あらへんかったん?」 「まぁ、とりあえず家に居る頃にバイトしたりして金は貯めてたんで、家を出たときも慌てて働く必要はなかったんですけど、でも、本名を名乗りたくないんで会社勤めとか無理だったんですよね。身分があやふやというか…」 「せやなぁ。由良やてけったいな苗字やもんなぁ。せやけど、一新一家の組長が由良やなんて業界の人間しか分からへんのやないの?」 「確かに。でも、家を出てすぐにコンビニのバイトに入ったんですけど、夜間に強盗事件が遭って。俺、バックヤードに居たんで、怪我とかもなかったし犯人もバイトの子が大声出してビビって逃げたんです。未遂は未遂だったんだけど、警察は来るじゃないですか。俺は犯人の顔も声も聞いてない、何なら悲鳴聞いて事件に気が付いたくらいなんだけど事情聴取は簡単にされるわけなんですけどね、そこで身分証明見せることになっちゃって、由良ってバレたんですよねぇ」 「そりゃ災難」 万里は少しはにかむように笑うと、雷音の顎のラインを指先で撫でた。 確かにあれは災難だった。一新一家の由良の息子とバレたときの、警察官との気まずさ。お互い、苦笑いしか出来なかった。 「結局、店にも居にくくなって辞めて、ぶらぶらしてたらホストのスカウトマンにスカウトされて。そっからはホストクラブ渡り歩いて、関西に流れ着いたところで蓮さんに拾われたんです」 初めは下っ端から。それからは引き抜き引き抜きで、常に上位のポジションに身を置けた。だがそのせいで妬み嫉みが酷く、低レベルの嫌がらせをよく受けた。 なので、長く身を置いているのはBAISERくらいで、あとは短い期間で辞めているのだ。 「ヤドカリみたいに、店変えたなぁ。次から次と…。プライドとかもなくて、引き抜きの声掛かれば迷いなく移ったし。でも太客まで俺に付いてくるから、店同士でいざこざ起こって迷惑掛けたり」 「ホストの恋人なんか持つもんやあらへんなぁ」 万里が両手を雷音の胸の上で組んで、その上に顎を置いて唇を尖らせた。雷音はその仕草に思わず吹き出した。 「まさか、妬いてるとか言うんですか?それなら俺も言わせてもらうけど、明神組がケツ持ちしてる店のホステスと遊んでるんじゃないですか?」 「え?あの子らは同伴で店に行ったあげて、売り上げに貢献してあげてるだけや。それと偵察」 それだけと言うが万里にその気がないとしても、この容姿に加えて仁流会明神組若頭。和花の存在を知っていたとしても、極道なんて愛人を抱えてこそ一人前なんて話もある。 我こそはと思う女が居ても、何ら不思議ではない。危機感がないなぁと雷音は困ったように眉を寄せた。 「そういえば、清水谷さんに聞きましたよ。殺された子がいるって。その、和花さんが可愛がってた子だって」 「はは、清水谷さん、BAISERに通うてるんや」 「勉強になりますよ。酒を美味く飲むのは、いいグラスといい男だって。ああ、明神さんのことも褒めてました」 「うそうそ」 万里は大きく手を振って、それはないと言った。 「清水谷さんは俺のこと気に入ってはくれとるけど、この目と傷を気の毒そうに見はるさかいなぁ」 「本人に言われたんですか?」 「うーん、俺はずっとこの傷と生きてきたせいか、相手がこの傷を見て何を思うてるんか分かるんよねぇ。ほとんどの人が気の毒そうな顔しはるわ」 「俺、好きですよ」 雷音は万里の涙のような傷を指先で撫でると、左目のラインも軽く撫でた。 「あんたは、今まででおらへんタイプやわ」 「で、どうして清水谷さんのとこの子のことで動いたんですか?」 「どないしてて…。せやなぁ、どないやっても女は非力や。ええように使われて、ええように切り捨てられる。どんな女の子でも幸せになる権利はあるし、みんな一生懸命に生きとるんや。それを道具か何かと勘違いした奴らの暴挙には、それよりもさらに強い奴がその傲慢さを叩き潰してやらんと、いつまでも不幸な子が生まれる」 「俺もそれには賛成ですね」 柔らかい髪に指を滑り込ませ、くるっと巻きつけてみる。だが簡単にするっと指から逃げていくところは、万里そのものだなと思った。 「髪、変に弄ってないから綺麗ですね。俺、色々とやり過ぎて傷んでるや」 「毛根は大事にしたらなあかんで。まぁ、あんたはハゲても男前やろうけどな。で、あんた枕はせぇへんの?」 赤い目がゆらっと揺れたような気がした。それに思わず吹き出してしまう。 「はは、本当に妬いてるの?やべぇ、嬉しいかも。あのね、自慢じゃないけど、俺、スカウトされたって言ったでしょ?」 「する必要もあらへんかったってこと?」 「まぁ、そういうことかな。女の子はセックスよりも、俺を連れて歩くことに喜びを感じてくれましたからね。アクセサリーと一緒なんです。俺、ホストっていう職業を、とにかく家業から逃げるため仕方なく選んだって感じで、やれコールだバースデーだバレンタインだ指名だ太客だって辟易していたんですよね。女の子に夢っていうか、楽しませてあげるっていうことにも片手間なとこがあって、多分、店に来てた子たちは本気で俺を大事にしてくれてたんだろうけど俺は腐ってたから、その、愛なんて何の糧にもなりゃしねぇって本気で思ってて」 万里の腰に腕を回して、ぐっと引き寄せると艶っぽい唇に口付けた。 「大事にする」 「は?誰を?客を?」 雷音は万里の質問に答えずに柔らかく微笑んだ。そしてまた口付け滑りの良い絹のような肌を楽しむように掌で撫でると、これからの行為を遮るように無機質な携帯の呼び出し音が響いた。 「俺のか…」 項垂れて、チッと舌を鳴らして万里は起き上がる。そしてリビングの方へ向かうと通話を始めた声が聞こえた。 雷音はそれを聞きながら、喉が乾いたなと起き上がる。流石に万里のように全裸で部屋を歩き回る勇気はなく、アンダーウェアを拾い上げた。 万里のためにローブを持ってリビングの方へ行くと、すでに通話は終わっているようだった。だが、万里はスマホを握りしめて部屋に佇んでいた。 ただならぬ様子に雷音が怪訝な顔をする。そして万里へ近づくと、そっとローブを掛けた。 「どうかした?」 「……堪忍、帰る」 万里は一言そう言うと、それが合図のようにバタバタと動き出し着替えを始めた。 「え。ちょっと…。何かあったんですか!?」 スラックスを履いてシャツのボタンを留める万里の目つきが、極道のそれに変わっていた。雷音はその顔を見て、まさかと口走った。 「組で、何かあったんですか?」 万里はスーツのジャケットを着ると、そこで初めて大きく息を吐いた。深い深呼吸にも似ていて、自分の中で何かを沈めているように思えた。 そして雷音の方を見ると、ゆっくりとソファに腰掛けた。 「どうせ黙っててもバレるさかい言うけど…風間組が襲撃された」 「え!?」 あまりの衝撃に大きな声が出てしまい、思わず口を押さえた。 「オヤジ…風間組長も負傷して若頭補佐が殺られた」 「まさか、そんな…」 万里は煙草を咥えると、火も点けずに唇で弄んだ。 まさか仁流会の会長が襲撃されるとは。いや、極道のトップに君臨する者だからこそ、常に命は狙われている立場ではあるはずだ。 だからこそ、仁流会のセキュリティ、防護は屈強であると聞いたことがある。それこそ、一新一家でさえも太刀打ちが難しいと思われるほどにだ。 そんな仁流会への襲撃を行った規模の組織があるということか?それも、負傷させるほどの力がある組が…。 「雷音。多分、これから当分、逢うのは無理や。襲撃してきた人間が誰なんかハッキリせんうちは、俺と雷音は逢うんはリスクが高い。これはBAISERの雷音やのうて、一新一家の由良雷音に言うてんねん」 じっと真っ直ぐに見つめられ、雷音は頷いた。 「確かに、うちが関与していないっていう100%の保証はないんで、それは分かります。正直、仁流会と戦争が出来る組といえば、うちになるでしょう。そんな中、俺と明神さんが逢ってるのが漏れれば明神さんが疑われることになりかねない」 「俺は雷音の親父さんにも兄貴にも逢うてるから、一新一家への敵対心とかはあらへん。それこそ、鬼塚組のんとは仲もええみたいやから、上手いこと渡っとるって思うてる。せやけど、仁流会の全員がそうかて言うたらちゃう…」 大きすぎる組織に敵対心を持つことはあっても、馴れ合うような感情は持たない。極道であるなら、当然のこと。 「分かってます、でも…」 雷音はすっと手を出した。それに万里も応えるように手を出すと、ぎゅっと握った。 「絶対に、生きて戻ってきてください。これは約束してください」 恐らく、ひどく情けない顔をしていると思う。だが、どうしても地下駐車場から助け出した時の万里の姿が忘れられないのだ。 抱き上げた時に息があったこと、温もりがあったことに声を上げて泣き出しそうだった。生きてると、心から安堵して傷だらけの万里を抱きしめたのだ。 また、あんな思いをするのかもしれないと、次こそは冷たくなった万里を抱きしめることになるのかもしれないと背が冷えた。 「人は守るもんがあると強うなるし、自分を守られへん奴は誰も守られへんて言うやん」 掌を指の腹で撫でながら、万里は雷音に言い聞かせるように話す。それでも安心出来ないことは分かっているが、万里とて雷音と二度と逢えないようなことにはなりたくないのだ。 それに、明らかに今までと違う自分だと思った。 「約束な…」 万里はニッコリと笑うと、煙草を指先で摘んで雷音の手の甲に口付けた。すると、まるで時間切れのように万里のスマホが鳴った。 ワンコールで鳴り止んだスマホを見つめ、万里は立ち上がった。 「また連絡するさかい、ええ子にしててな」 いつもと変わらぬ笑顔を万里は見せると、サングラスを掛け雷音に口付けた。すっと離れそうになった瞬間に雷音は万里を抱きしめると、深く口付けを返した。 本心は、行かせたくない。万里は、明神組は仁流会の牙だ。仁流会に牙を剥いてきた者に、その牙で返す。それは、絶対に無事であるという保証がないのも同じだ。 唇を離すと、額を合わせて息を吐いた。 「もし、力になれることがあれば、いつでも言ってください」 「うん…。ほな、行くわ」 するっと腕の中から万里が抜け出す。引き止めそうになる手をぐっと握って耐え、玄関まで見送った。 じゃあ…と扉を閉める時の万里の顔は明神組若頭の明神万里の顔で、戦闘モードに入ったときの万里の顔だった。 これは大きなことが起こるかもしれない。雷音はそんな予感がして、すぐに部屋に戻るとスマホを取り出した。 そして、最近追加された番号を呼び出すと、迷うことなくタップした。 「あ、兄貴?俺、雷音…。遅い時間に悪い。ちょっと、耳に入れていた方がいいと思って…」 数日後、BAISERの休憩室で雷音は衣笠と顔を近づけて神妙な顔で話をしていた。店には戻ってきたものの、雷音が一新一家の人間になったことは蓮以外は誰も知らない。 もちろん、奏大にも告げていなかった。奏大に告げても何も問題がないことは分かっているが、余計な心配は掛けたくないというのが本音だ。 「じゃあ、仁流会全体が襲撃を受けてるんですか?」 雷音がギョッとした顔をすると、衣笠はニヤリと笑った。 「明神組は日常茶飯事とはいえ、鬼頭組への襲撃、それに鬼塚組若頭も襲撃を受けたって話やからな。鬼頭組や鬼塚組を直接狙うような襲撃は、滅多にあらへんからなぁ」 思いも寄らない事実に、雷音は生唾を呑み込む。やはり、大きな何かが動き出しているに違いない。 だが、極道から距離を置き続けていた雷音は、仁流会のパワーバランスもよく分かっていないところがある。なので、グリモワールを持つと言われる衣笠から情報を得ていたのだ。 「鬼塚組は5代目組長が急死したあとに突如現れた今の6代目が継承したものの、その組織は謎が多いせいで眉唾物の情報が錯綜しとる状態や。その組織の若頭を的確に襲撃したっていうんがポイントやな。この戦争、仁流会にとっての瀬戸際なるかもな」 衣笠はブランデーを煽ると、唇を舐めた。 「絶対に勝つとは言えないってことですか?」 「極道のトップに君臨し続けることが如何に難しいんか、あんたとて知らんわけやないやろ」 横目で見られ、雷音はぐうの音も出ずに俯いた。一新一家とて平穏無事に日々を暮らしてきたわけではない。なので、この世界で王者であり続けることというのが、どれほど過酷でどれほどの命が犠牲になってきたのか目の当たりにしてきた。 恐らく、仁流会はそれ以上に過酷な状態を生き抜いてきたのだろう…。 「衣笠さんは、どこがやったんだと思ってるんですか?」 「俺?そうやなぁ…」 衣笠が語ろうとすると、衣笠のスマホが鳴った。衣笠は雷音にニッコリ笑ってスマホをタップした。 「はいはい、どないしたん?」 衣笠の会話を他所に、雷音は自分のウイスキーを口にした。今日は大雨のおかげで客足が疎らだ。 そのおかげで衣笠と話をすることが出来たが、自分に知識がないのが煩わしい。いっそのこと衣笠を連れ帰って、仁流会の情報を貰えるだけもらおうか。 そんなことを思っていると、衣笠が急に立ち上がり休憩室のTVを点けた。雷音はそれを横目に見ていたが、次の瞬間には立ち上がり衣笠の横に立っていた。 「ジャーナリスト仲間から連絡来てね…」 TVには夜のニュースが流れていた。そこで、仁流会の会長である風間組が襲撃されたこと、そしてそ仁流会の会長補佐である鬼塚組組長が襲撃を受けたことをキャスターが抑揚のない声で伝えていた。 「仁流会、終わっちゃうかもね」 衣笠が呟いた言葉は、雷音の耳には届かなかった。

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