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第1話

「ここ藍原は、日本の中でも独特の文化を持っている。気候もよく、四方を海に囲まれているけれど土壌もよく、作物もよく育つ。だからこそ多くの武将がここを欲しがった」  まるで演説でもするかのように声高らかに言うのは、日本史の臨時講師・羽曳野だ。元々冴えない風貌だが、黒縁メガネと固い髪質のせいでより冴えなく映る。スーツではなく、どこで買ってきたのかが解らないようなスエットの上下に、健康サンダル。見た目はおよそ教師には見えない。  社会科の教員免許を持っている歴史研究家。それがこの人の正体だ。だからこそ服装には気をつけろとこの間学年主任に注意を受けていたのを思い出す。  その話を半分聞き流しながら、窓の外を眺める。  今日も天気が良い。空は青く澄んでいて、7月にふさわしい日差しが照り付ける。換気のために開け放たれている窓の外から、裏山の清々しい夏のかおりが運ばれてくる。2階建ての校舎からはのどかな田園風景と町並みしか見えないが、建物はどれも少し古ぼけていて、どこか情緒を感じさせるものだ。 「でも知っての通り、彼らはここを命がけで守った。ここが栄え、歴史情緒溢れる町並みを保てたのは、領主であった尼木保全(やすとも)や家臣たちのおかげというわけだ」  すごいだろうと羽曳野が声を弾ませた。まるで自分の功績のように語る姿に誰かがケチをつけそうなものだが、このクラスには誰もそういう生徒はいない。羽曳野の授業は受けが良い。  羽曳野はいつも尼木の話をする。日本国内でも有数の史跡が集まるこの藍川地区では、尼木の話は尽きない。  とても有能な領主だった。美丈夫であった。かの有名な関白に最後まで抵抗し、唯一落城しなかった城の基礎までもが残っている。落城はしなかったものの、尼木とともに炎上し、城の細部はいまだ以て解明されていない。  そのため、ここ藍原島には歴史ファンが多く訪れる。羽曳野もそうだ。元々日本史が好きだったそうだが、大学で藍原史に触れ、この島で研究をしながら教鞭をとる道を選んだのだと言っていた。 『倫殿、そこはもっと感動すべきところです』  言いながら洟を啜る輩が一人。現代にそぐわない和服姿のこの男は、俺にしか見えていない。ただの幽霊ではない。俺の守護霊だ。  名を志摩隼人亮(しま はやとのじょう)と言う。腰まで伸びた長髪を後ろで括り、二藍という独特な紫色の着流しを纏っている。いつも宙に浮いているから分からないが、かなりの長身だ。ベース型の顔に凛々しい柳眉、やや垂れ目で穏やかそうな瞳、高い鼻梁に形のよい唇が均等に配置されている。昔の人にしては今風の顔だが、子だくさんだと言っていたからかなりモテたのだろう。  そして俺、上月倫音(こうづき りんね)は、先ほどから話題に上がっている尼木保全の魂を継承しており、そして尼木保全の末裔だ。そのことを公表こそしていないものの、15歳になったときに身内のみで執り行われた元服の儀で、嫌というほど天木の話を聞かされたし、幼いころから隣にいるハヤ(隼人亮の愛称。俺だけが呼ぶ)が思い出話のように話してくれたから、おおよその藍原史は頭に入っている。 「尼木氏には有能な部下が二人いてな。一人は志摩隼人亮。槍の名手であり、戦にはこの人無くては勝てぬと言われるほどだった。徳川の本多氏にも劣らぬ豪傑で、猛将。ほら、観音寺の裏手にある墓地に祀られているだろう。保全の墓は観音寺に。そして志摩の墓は観音寺裏に。同じ寺に祀られていないのには、実は理由がある」  教室の中が少しざわついた。ここからはみんなが知らない話だからだ。けれど俺は知っている。俺は窓の外の、遠くの雲を眺めるふりをして、隣で興奮冷めやらぬといった表情で羽曳野の話に聞き入っているハヤを窓ガラス越しに見ていた。 「志摩が尼木氏の死没後、関白に下ることを拒否して切腹したことはみな知っているな。志摩が観音寺の裏手に祀られているのは、その際に残した言葉に由来する。  尼木氏は部下や民にこれ以上の被害がないように、一人も戦で亡くならぬようにと嘆願書を認め関白に降伏する形となったが、志摩はそれを受け入れず切腹したのだから、いわば上司の意思に反したことになる。切腹する際、介錯を務めたのがもう一人の部下である南条晴賢(はるかた)。志摩は南条に自分の思いを伝え、この世を去った。  南条は志摩、尼木氏亡き後、尼木氏の子を連れて関白に下り、尼木氏の血を繋いだと言われている。けれど南条が連れていた子が尼木氏の子であることは、じつはほとんどが知らない。最近の研究で明らかになったんだ」  羽曳野が興奮気味に言った時、まるで幕引きをするかのようにチャイムが鳴った。一部の生徒からブーイングが上がる。 「はびっきーが勿体ぶるから話聞けなかっただろうがよ!」  真っ先に声を上げたのは、志摩隼人亮の家臣の子孫だと自称しているクラスメイト・丹川全人(にかわぜんと)だ。きりりと整った眉。切れ長の目は少し吊り上っている。がっつりと右分けにして立てたトサカのような髪型が特徴的で、目立つ容姿に比例してなにかと注目の的だ。それはガタイも態度もでかいからだろう。兄貴肌でクラスの中心人物でもある。  嘘だと思ったこともないが、ハヤが言うには事実らしい。ハヤの家臣で一番槍だった丹生全亮(にぶとものり)の末裔だと言う。丹生氏は関白に下った後、丹川と姓を改めた。それは尼木氏に仕えていた丹生氏と、関白に仕えた丹川氏とは別人であるという丹生氏の意志だったと伝えられている。 「まあまあ、落ち着け丹川。また来週の授業の時に、丹生氏のとっておきの話を聞かせてやるから」  苦笑を漏らしながら羽曳野が言う。丹川は渋々と言った表情で頭を掻いた。 「じゃ、また来週。ああ、そうそう。明日の5限は猪川先生じゃなくて俺が来るから、よろしくー。丹川、ほかの授業も俺の授業とおなじくらい真剣に聞いてくれよー」  丹川を揶揄するかのようにのんびりとした口調で言って、羽曳野が教科書を閉じる。俺は慌てて号令をかけた。 *** 『いやあ、羽曳野殿は随分博学ですなあ』  学校から野帰り道、満足した様子でハヤが言った。  本来ならば高校三年の授業で地域密着型の日本史を教えることはないのだろうが、去年赴任してきた校長が藍川地区の大ファンで、ぜひとも子供たちに日本史と地域の歴史を一緒に教えて欲しいと熱を上げた為に成立してしまった。先程の羽曳野、そして猪川は藍川の歴史を辿ることで日本史に精通する切欠になったからと、校長と意気投合してしまったらしい。  それに藍川地区は昔から周囲との結びつきが強い為、俺たち高校生も今更地元のことを聞いても‥‥というタイプではない。寧ろみんなが聞きたがっている。尼木保全という領主が慕われていたなによりの証拠だ。 『しかし、その知識以てしても、捻じ曲げられているか。それは聊か寂しゅうございます』  俺はちらりとハヤを見やった。ハヤは俺にしか見えない。だから外でハヤと話そうものなら、どこか気でも狂ったのじゃないかと思われてしまう。いつもは外で話さないようにしているが、周りに人がいないことを確認し、ハヤに話しかけた。 「なんのことです?」 『いえ、私が切腹をしたのは、関白に下ることを拒否した為ではありません。広義で見ればそうでしょうが』  ごにょごにょとハヤが言い淀む。俺がハヤに視線を向けたからだろう。ハヤは眉間に皺を寄せ、咳払いをした。 『関白が嘆願書を拝受なさった後、私は一旦城に戻っております。その際に炎上している城を見て、その中に殿がおいでだと南条に聞かされました。私は気が気ではなく、助けに入ったのですが』  そう言いかけたとき、ハヤの顔に緊張が走った。俺は思わず顔を上げた。目を凝らし、あたりの様子を窺う。けれどいつもとは変わらなかった。 『気のせい、だったのでしょうか』  ほうと息を吐き、ハヤが言う。ハヤは腰に差した祓串に手を掛けていたが、すぐにそれを収めた。 「それで?」 『ああ、そうでした。城に殿を助けるために入りましたが、火の回りが早く、中に入る事さえ叶いませんでした。南条が止めるのも聞かず、腹を切った。それは事実です。ですが南条に殿と別の場所に弔って欲しいなどとは伝えておりません』  俺はぽかんとした。ならばなぜ、さも当たり前のようにそんな話が伝わっているのだろうか。 『私は死ぬまで殿と共にあるつもりでした。そのような覚悟を持っていた私が、何故別の場所に弔って欲しいなどと言いましょうや。それで本懐を遂げた気になるのであれば、このように貴方様の魂を捜して彷徨ってなどおりませぬ』  確かにそうだ。幼いころからハヤが隣にいるのが当たり前で、気にしたことがなかったが、言われてみれば天木と家臣たちの墓の位置は、不自然なほど離れた位置にある。  まるで結界でも張っているかのようだと以前から思っていたが、おばあさまに尋ねても知らないと言われたし、ハヤなどもっと知らないだろう。  何故そう思い至ったかというと、天木の家系は昔からあまりに早世だからだ。家系図をたどってみると、当主はほぼ同じ年齢で没している。それでも事故だったり、病死だったりと理由は様々だが、太閤の呪いとも言われている。それ故に血を分け、絶やさぬようやってきた。  それが緩和されたのは、明治維新の際、天木と名を改めた俺の先祖が、純粋に尼木保全の血を受け継いでいる俺の曾祖父の代から名を上月と改めさせてからだ。内内にそうしたのだと伝わっている。上月家、明星(あかぼし)家、天木家、空閑(くが)家は、それぞれが尼木保全の血を擁した子供を育てているが、それを知っているのは正統な後継者のみだ。俺は15になる年に、祖母からそれらを聞かされた。何故父が死んだのか。何故俺には不思議な力があるのか。合点がいくと同時に、いつ殺されるかわからない恐怖に、身が竦んだのを覚えている。  尼木保全を手中におさめたかった関白は、戦に敗れ戻ってきた将を様々な方法で葬った。関白ではなく、尼木保全を恨み、憎んだ者の魂が悪しきものに喰われ、“鵺”と呼ばれる存在になった。俺の両親はその鵺により殺されている。起こる筈がない場所での落石事故だった。  けれど俺にはハヤがついている。父にはハヤが見えなかった理由は、尼木保全の血を引いてはいるが、魂を継承していなかったからなのだそうだ。ハヤはいままでも俺を鵺の手から救ってくれている。  いつもと変わらない空気だ。けれどハヤが警戒していたとおり、何かの気配がある。確かにある。 「ハヤ」  一旦ハヤを読んだが、どうやらなにも感じていないようだ感じていないようだ。やはり気のせいなのかも知れないと感じたが、用心することに越したことはない。 「帰ろう。おばあ様が待っている」 『御意』  俺はハヤを携え、なんとなく不穏な空気が流れる中、急いで家に戻った。 ――

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