7 / 7

第7話

 翌日、教室に入った俺を待っていたのは、翔たちからの労いの言葉だった。泣き腫らした目で登校したせいだ。朝起きてから、蒸しタオルで温めたり氷水で冷やしたりと腫れた目を目立たなくする努力をしてみたが、無駄だった。  おばあ様がいなくてさびしくなったのかとか、散々な言われようだ。俺と翔は元々よく話す方だったが、それにゼンと旭まで加わっているからか、他のクラスメイト達が物珍しそうにこちらを眺めていた。  ハヤは旭に姿を見られたくないと言って、旭の視界に入らないところに逃げている。いつもは真剣な面持ちで俺の教科書を眺めているというのに、さっきまでの古文の時間には退屈そうに目を細め、時々転寝をしていた。羽曳野の授業がないときは大抵こんな感じだ。字の巧さと文系か否かは必ずしも比例しないのだなと秘かに思う。  六限目の数学の授業が終わった。チャイムが鳴り、先生の合図とともに号令をかける。先生が教室から出て行ったのを見届けて、ゆっくりと席に着いた。  なんだか今日はどうも調子が乗らない。昨日妙な鵺に出会ったからなのだろうか。いつもと較べると体が重いように感じる。幸い今日は部活もないし、居合の稽古も休みだ。今日は早めに帰って、ゆっくりと休もう。そう思い立ち、机の横に掛けていた鞄を手に取った。  ゼンは翔となにか楽しそうに話している。ゼンの元に旭が寄って行く。それを遠目に見て、俺は三人に声を掛けることなく席を立ち、教室を後にした。 『よろしいのですか?』  廊下を歩いている最中に、ハヤが声を掛けてきた。俺は周りの人に気付かれないよう、小さく頷いた。  俺と一緒にいるということは、鵺に襲われる確率が高くなるということだ。特に旭なんかは鵺に誰かと間違われて追われたと言っていた。普通の人間には見えもしない鵺の声までわかったというのだから、旭の霊感はずば抜けていると言ってもいいだろう。  昇降口まで一直線に向かい、靴を履きかえる。教室から見えない裏門へと向かい、そこから学校を出た。  不思議なことに、校外に生徒は見当たらなかった。裏門は駅通りまでの近道だから、いつもなら電車通学をしている生徒に必ず出会う。立ち止まり、鵺や式神の気配がないかと神経を研ぎ澄ませたが、なにひとつ感じない。ハヤがどこか心配そうに俺を眺めている。 「大丈夫、少し、疲れているだけだから」  ぼそりと、誰に言うともなく呟いた。それは多分、自分に言い聞かせたかったのだと思う。いつもと体が違う。それだけははっきりしている。けれどそれが疲れなのか、鵺の塵を浴びたせいなのかは分からない。腹の痣がずきりと疼いた。  ハヤは微力な式神の感知能力ではやや劣るものの、陰力の強い物への感知能力は俺以上だ。そのハヤがなにも感じていないということは、この周辺に強い鵺はいない。そうすると、この妙な疼きはなんなのだろうか。ふと疑問が浮かぶ。くらりと立ちくらみがした。思案するよりも帰路に着く方が先だと判断した俺は、ずきずきと疼き始めた腹の痣に手を宛がい、重い体を引きずって家路を急いだ。 『倫殿、どこか具合でも悪いのですか?』  俺は首を横に振った。具合が悪いわけではない。ただ、痣が疼く。蟀谷を冷や汗が伝った。 『倫殿?』  ハヤが心配そうに俺を覗き込んだ。膝が震えている。学校から家までの、たった2kmの道程が、やたらと遠く感じた。  ずるずると足を引きずるように歩きながら、やっとの思いで公園に辿りついた。この公園まで来たら、家まではあと500mほどだ。けれどもう限界だった。  数か月前に新設されたばかりの多目的トイレに駆け込み、壁にもたれかかりながら蹲った。 『大事ありませぬか?』  ハヤが尋ねてくる。息がうまく吸い込めない。浅い呼吸を繰り返しながら、疼く腹を押さえた。 「なんだ、またてめえらかよ」  開けっ放しにしていた扉の向こうに立っていたのは、あの少年――南雲だった。  俺は南雲をじろりと睨み、視線だけで出て行けと告げる。しかし南雲は口元に薄い笑みを描くと、首にかけていた勾玉を手に取った。 『格殿、何故このようなところに?』  ハヤが問うたが、南雲はふんと鼻で笑うだけだ。 「てめえがついていながらざまあねえな。そういう甘さが主を死に至らしめたことがまだわからねえか?」  南雲の勾玉がかすかに光り始めた。昨日とは違う。ほのかに緑がかっている。その光を見ていたら、ほんの少しだが、呼吸が楽になってきた。 「霊傷‥‥っつっても、元が霊体のてめえにゃ関係ねえが、俺やこいつにはそれが致命傷になることだってある。たぶん、前々から少しずつ浴びてきていた鵺の体液が体を蝕み、昨日の呪鵺の咆哮が引き金となって痛みが強まっているんだろう」 『あなや、そのような』 「おれなら、助けてやれなくもない」  ハヤの言葉にかぶせるようにして南雲が言う。南雲は薄気味悪く笑ったあと、俺に向かって手を突き出した。 「その根付けをよこせ」  俺は自分の胸ポケットに忍ばせている根付けをぎゅっと握った。 「ふうん、死にてえなら好きにしろよ。言っておくが、呪鵺の呪いを浴びた生身の人間は、せいぜい持って2日だぜ」 『それを知っていてあの場で呪鵺を葬ったのか!?』 「ああ。俺にとっちゃそのほうが好都合だからな」  不敵な笑みを浮かべ、南雲が俺にむけて更に手を突き出す。 「ほら、その根付けひとつで命が助かるなら、安いもんだろ」  いいながら、早く渡せと言わんばかりに指先を動かしてみせる。いちいち挑発的な態度だ。 『倫殿、それを渡して下され』  俺は力を振り絞って、首を横に振った。この根付けを渡してしまえば、ハヤの偽宿がひとつ減ってしまう。それにこれはおばあ様から頂いたものだ。簡単に渡すわけにはいかない。  南雲の舌打ちが聞こえる。多目的トイレの鍵がかかるような鈍い音がした。南雲がつかつかとこちらに寄ってきたかと思うと、胸ぐらを掴まれ、勢いよく立ち上がらされる。俺よりもはるかに背が低いというのに、すごい力だ。 『貴様、倫殿になにをする!』  抵抗をしようとするが、体に力が入らない。南雲はにやりと薄気味悪く笑うと、俺の胸ぐらを掴む力を強めた。 「てめえはそこで指でも銜えて見てろ。根付けが手に入らねえなら、こっちで我慢してやる」  そう言い終えたのとほぼ同時に、南雲が片方の手で俺のシャツを捲り上げた。驚く間も無く南雲の手が俺の痣に触れる。途端に引き裂かれるような痛みが走り、思わずうめいた。 「いい趣味してんなぁ。同派の囚兵で揺さぶろうって魂胆らしい。どうせこいつはなんも覚えてねえんだから、無駄だってのにな」  ハヤを横目に見ながら、南雲が言う。なにを言っているのか検討がつかない。南雲の手が痣に宛てがわれ、力が加わるたびに痛みがひどくなる。逃げようともがこうにも、体に全く力が入らなかった。 「穏便に済ませてやろうと思ったけど、やめた」  南雲が言う。目の前の多目的テーブルに勢いよく伏せられた。図らずも尻を突き出すような格好にされる。逃げようにも体に力が入らない。完全に体が弛緩してしまっている。指ひとつ動かすことができない。痣の痛みに息を荒らげながら南雲を睨んだが、南雲は笑いながら俺のベルトをくつろげ始めた。 「なに、をっ」  ようやく声を絞り出せた。 「犯す」  南雲がさらりと言う。一気に血の気が引いていくのが解った。俺が少しも抵抗できないのをいいことに、南雲は俺のズボンと下着をずりさげると、するりと尻を撫でた。 「400年以上ぶりに見る主の痴態が自分以外の男に犯される姿なんて、刺激的だろ?」  南雲の声は氷のように冷たかった。ハヤは自分が手も足も出せないことを知っている。見たこともないような冷徹な顔で南雲を睨んでいた。 『倫殿から手を離せ。さもなくば』 「さもなくば、どうする? その祓串で俺を殺せるとでも? 俺は生身の人間だぜ?」  南雲が畳み掛けるように言う。ハヤはぎりりと歯を食いしばったが、自分ではどうすることもできないと言わんばかりに目を伏せた。南雲がふんと鼻で笑い、俺の尻になにかの液体を垂らした。ぬるりとした感触のせいで総毛立つ。逃げるために身を捩ったがすこしも動かなかった。  南雲の指が割り込んでくる。引き攣ったような呻き声が漏れただけで、最早悲鳴すらあがらない。南雲はぐちゅぐちゅと俺の秘孔を解しながら、空いた手で俺の後ろ髪を掴んで顔を上げさせると、無理やりキスをしてきた。下唇を噛まれ、舌が割り込んでくる。熱い、ぬめったそれが口の中を這い、舌を吸われる。鼻に抜けるような声が上がった。体がどんどん熱くなってくる。  南雲の舌が離れた。今度は啄むようにキスをされる。俺の顔を確認した後、南雲は薄く笑って、また深いキスをしてきた。濡れた音が上がる。その中に粘着質な音が混じり、自分の顔が耳まで真っ赤になっているのが感覚だけでわかる。もじもじと腰を動かしていたら、南雲が唇を重ねたまま笑った。 「欲情する相手が違うんじゃねえの?」  くっくっと南雲が笑う。なにを言われているのかが解らない。膝が震える。どうにもできない。固く熱いものが尻に宛がわれる。俺の制止を無視して、南雲が割り込んだ。 「っ!」  ぐぐっと中に埋まってくる。熱い。後ろで南雲の息が聞こえる。きついとぼやくように言ったあと、ぐっと更に奥まで南雲が入ってきた。  ぼやけた視界のなかで、ハヤが目を反らし、俯いているのが見えた。 「は、や」  かすれた声でハヤを呼ぶ。すぐさま舌打ちが聞こえ、ずんっと奥まで突かれた。 「っうう!」  妙な圧迫感と、熱だけが際立って、そのほかの感覚はなにひとつない。  南雲がぶつぶつとなにかを唱えると、徐々に俺の中に熱が広がってきた。ぞくりと妙な感覚が体中を襲う。それから逃げようと体をよじった。  南雲がずるりと熱を抜いた。まだなにかされるのかと南雲を見たが、南雲は無愛想な表情のままだ。ごそごそとなにかを探ったかと思うと、また俺の中に指が潜り込んできた。 「んっ」  鼻に抜けた声が上がり、自然と腰が浮つく。南雲の手が腹の痣に宛てがわれる。もう一度、今度は別の力ある言葉を呟いたとき、脈打っているのではないかと思うほど疼いていた痣の痛みが消えた。  息苦しさも、体の重さも消えた。 「いまの、は?」  南雲は答えない。なにも言わずに俺から離れると、濃い緑色をした液体を手にかけ、自動洗浄の手洗い場でバシャバシャと音を立てて手を洗い始めた。 「服くらい整えろよ。もう一回ヤラれたいなら別だけど」  南雲が何食わぬ顔で言う。慌てて体を起こし、乱れた服を整える。俺が動いているのを見るなり、さっきまで大人しかったハヤがいきなり大声を上げた。 『南条、貴様謀ったな!!?』  ハヤのほうに挑戦的な視線を向けると、南雲は口元を歪めた。 「俺の治療代は高いんだ。これで済んだだけありがたいと思え」  言って、南雲は心底楽しそうな、意地の悪い顔をした。 「まあ、半分以上ただの嫌がらせだがな」 『こ、のっ、無礼者が! 私を侮辱するだけならまだしも、倫殿に手を触れるとは何事か! 恥を知れ!』 「はあっ? てめえ頭湧いてんのか? 戦の前日あれだけヤリまくってたやつがよく言うぜ」  南雲が嘲るように言った途端、ハヤが顔を真っ赤にさせた。 「え?」  なにを言われているのか、さっぱり理解ができない。ぽかんとしていた俺を見遣ると、南雲はどこか呆れたように溜め息を吐いた。 「解ってねえようだぞ」 『倫殿に余計なことを吹き込むな!』 「うるせえ」  南雲はハヤを勾玉で一発しばいた後、くっくっと喉の奥で笑った。 「あんたと志摩はな、所謂衆道の仲だったんだぜ」  意地悪く片眉を跳ね上げながら、南雲。ハヤが吼える。それを聞きながら南雲は楽しそうに笑い、静かにトイレの鍵を開けた後でドアを開いた。 「そろそろボディーガードを変えた方が身の為だ。俺なら格安で雇われてやる」  鵺一匹に付き一回でどうだ? と、南雲が言う。 「い、一回?」 『倫殿、取り合われなくともよい!』  噛み付きそうな勢いでハヤが言う。ハヤは俺と南雲の間に割って入ると、南雲ににじり寄った。 『貴様、覚えておれ』  南雲は挑発でもするかのようにハヤに顔を近づけた。 「それが命の恩人に対する態度かよ?」  ハヤがうっと怯んだような声を上げる。それを見て南雲はにいっと目を細め、満足げな顔で多目的トイレを後にした。あたりはしんと静まり返っている。南雲はさっきの行為を治療兼嫌がらせと言っていた。嫌がらせとしては最悪だが、治療としては成功しているのかもしれない。体の重みもだるさも消え、なにより腹の疼きが無くなっていた。俺はシャツを捲り、腹を確認した。痣の色が濃さを増していたが、以前と同じように目立たなくなっている。なんとなく体に違和感があるものの、あの痣の疼きが長引くよりもマシだ。 「ハヤ」  ハヤは返事をしない。それどころか、目も合わそうとしなかった。 「あれはただの治療兼嫌がらせなんだから、俺は気にしていない」  自分がなにもできなかったことを責めているのだろうと思い告げたが、ハヤはなにも言わず、根付けへと姿を消した。 「ハヤ?」  日中、しかも外で姿を消すなんて珍しいとしか言いようがない。残り500メートルの道程をダッシュで帰ろうかとも思ったが、不思議と鵺が出てくるような気配はなかった。風も穏やかで、空も澄んでいる。あの独特のにおいもしなかった。 「ハヤ、本当に大丈夫だから」  根付けを指で撫でながら言ってみても、ハヤは無反応だ。こんなハヤは見たことがなかった。なんとなく寂しい気分になったが、ここに長居をするわけにもいかない。俺はさっきまでとは異なる足取りで家路を急いだ。

ともだちにシェアしよう!