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 はそれを気まぐれだと言った──。  目の前で男が呻き声を上げながらアスファルトに倒れ込んだ。  それとは別の男がを背後から羽交締めするが、彼はあっさりとそれを躱し、男の腹へ華麗に膝蹴りを決めた。男は牛蛙のような汚い鳴き声を上げて仲間共々地面へと沈んだ。  それはほんの何十秒かの出来事だったが、俺には映画のスローモーションシーンを眺める優雅な時間経過のように思えた。  彼は汚れた手を倒れた男のシャツで拭うと俺の方を見た。   「生きてるか?」 ──そう彼が俺に問うのは、一番最初に男に殴られた俺が鼻血を流していたからだ。 「ふぇい」と鼻血を拭っていたせいで俺はかなり間抜けな声が出た。  さっきまでヒリヒリと殺気立っていた彼が、別人みたいな安堵の色を含めながら緩く笑う姿に俺はまんまとドキリとさせられた。  満月をバックに長身な彼の金に近い茶色の髪が、切り取られたみたいに頭の輪郭だけが浮き上がらせて煌めき、黒革のジャケットが怪しく艶めいて、白い肌は息すら乱れず平熱どころかそれよりも冷たそうに思えた。 ──神秘的だった。  人間同士が拳で喧嘩をするなんてかなり野生じみていて、俺自身殴られた顔面が未だに熱を帯びてジンジンと痛み、血も流れ、ひどく生々しく、こんなにもリアルな世界なはずなのに──彼を纏う空気だけ違う時間軸を回っているみたいに不思議な感覚。  普段はヒョウか狼の姿をした彼が、今だけ人間に変身したと言われても、うっかり信じてしまいそうなレベルだ。 「こいつらが起きる前にいなくなった方が良い。鼻の骨が折れてるかもしれないし、ちゃんと医者に診てもらえ」  彼はそれだけ告げると俺にあっさりと背を向けた。俺はそれがひどく寂しくて、喉から短くおかしな声が漏れた。そのお陰でなのか、彼は振り返ってくれた。 「ありがとうっ、助けて、くれて──」  アスファルトにへたり込んだカッコ悪い体勢のまま、縋るみたいに俺は彼へ届くよう大きく告げた。 「いいえ、どういたしまして」  彼は薄い唇で柔らかく微笑むと、闇夜を抜けて再び眠ることを忘れた人々が集う街の中へと消えた行った──。

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