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第13話

   どうしよう。馬車の外で高い位置にあった太陽はゆっくりと下がってきていた。空の色が変わりつつある。  馬車を早く進ませると、レヒトに抱っこされていてもひどく揺れて、体の方々が痛くなった。それでもって、うぇっ、て何かがお腹の中から喉をせり上がってくるように気持ち悪くなっちゃったんだよ。 「馬車酔いだな。辛いだろうがもうしばらく我慢してくれ。あまり気は進まんが近くの村で宿を借りよう。野宿よりはましだろうからな」  おれのせいで馬車を早める事ができなくて、予定していた街に到着できなかったんだよね。同じ馬車に乗っていたのに、レヒトは全然平気みたいだった。  広くはない馬車の中でずうっとおれを気遣ってくれた。 「何も心配しなくていい」  そう言って髪を撫でてくれた。  レヒトは、初めて会った時とは別人みたいだった。  騒々しくて、大声で怒鳴って、自分のことをお優しいレヒト様って言って現れた時よりずぅっと優しい。  ゆっくり話してくれるし、尋ねても不機嫌そうな顔をしない。  おれの手を取る時も、壊れ物を触るみたいにそっと触る。  馬車の中でも卵を産んだ母鳥みたいにおれを抱えていた。  この馬車は神殿を離れて王都ではない別の街に向かっている最中だった。  王都は今とても物騒で、病気上がりを兵舎に置いておくには問題があるからって。病気上がりっていうのはおれのことなんだけどね。  街の名前は、名前なんだったっけ?長くて忘れちゃった。  ああああ、レヒトのお母さんが生まれた所だって。レヒトに地縁のある街だって。ちょっ行けば海が見える風光明媚(ふうこうめいび)なのどかな街だって。  ディランが迎えに来れなかったのは残念だけど、海が観れるかもしれないと思うとちょっぴり嬉しかった。  ディランの家族が亡くなったんだから、悲しまないといけないのに。知らない人が死んだって言う話を聞いても悲しくはならなかった。もしマスターが関わっていたならば申し訳ないような気分になるけれど。  レヒトは、おそらく事故だからおれには関係ないし、なんの責任もないとおれに言い聞かせた。  ディランに復讐しようとしてる存在があることは、街に着いたらすぐに早馬で知らせるし、何よりディランが信頼している強い仲間に囲まれているから大丈夫だって。  そして、不安で心を暗くするのではなくて早く体を治すことだけを考えれば良いよと囁いた。  体が良くなりさえすれば、もし仕事に復帰したければそうすれば良いし、違うことをしたければレヒトの手伝いをしながら学べば良いよと言ってくれた。  今から向かう街は保養地って言って、潮風を浴びて砂浜を歩いたり、手入れされた庭園や小さな森の中で森林浴もできるんだって。木を浴びるってよくわかんないけど、病気や怪我をした人達がゆっくり静養するために訪れる場所なんだって。  おれの…アシェルの体も良くなるかな。  アシェルができたことができるようになるかな?    レヒトが街のことを話してくれている間、いろんな話に心ひかれながらおれはずぅうっとレヒトの宝石(サファイア)みたいな目を見ていた。濡れたみたいにキラキラしてる。  人間はいろんな色を体に宿しているけど目だけ青いってつくづく人間って不思議な生き物だなぁって思うんだよね。  青い目だと、物が青く見えたりするのかな…。しないのかな?  青は綺麗だけど、食べ物がみんな青かったらあんまりおいしそうじゃないかも。唇だって青いよりは赤い方が良い気がする。  つらつらそんなことを考えながらレヒトを凝視する。 「アシェル…そんな穴があくほど見ないでくれ」  レヒトは困ったように言った。  そんなことを言われても、ほかに見るものもないし…。見つめても穴は開かないと思うんだけど。だって、そんなだったらおれはマスターを穴だらけにしちゃってたはずだ。 「いや?見るのだめ?」 「嫌じゃない。嫌なはずがないだろう。ただ、馬車の中では…その…近すぎるからな。こうしてお前と旅ができることが嬉しくはあるんだ。ディランの身に起こった不幸の事を思えば不謹慎極まりないのだが…」  レヒトの頑固そうな口元がもにやもにゃと緩んだ。  きゅっと引き結んだり、唇の端がぷるぷる震えたり、レヒトの口は忙しい。  レヒトが目を合わせてくれないのは、なんでなんだろう?喧嘩しないためにかな?  猫は、目を合わせちゃいけないんだよね。  威嚇とか喧嘩をふっかける行動になっちゃう時があるんだよね。  昔マスターが大きな猫を連れて来た時ふわふわの毛並みや黄色い目が珍しくておれはじって見つめちゃったんだ。  ふしゃーって体の毛が逆だって倍も大きくなって見えた。すごいよね。  毛ってどうなってるの?  おれも興奮しちゃって瓶の中でにゅるって動いたら、猫がさぁ。猫がどかーんって体ごと瓶にぶつかってきてさぁ。  体当たりされて瓶は割れるし、猫に噛まれて引っかかれて散々な目にあったんだぁ。おれ、喧嘩したいわけじゃなかったのに。  あの時マスターが猫をつかまえてくれなかったら、おれは荷物の隙間に詰めるぼろ縄みたいになってたかもしれないよ。  ディランは見つめるのためらわなかったな。おれの目が赤い時は嫌そうではあったけど…。  おれが視線を逸らして馬車の小さな窓の外を見るようにすると視線を感じた。  レヒトを見ないようにすると、見られてる感じがする。  おれには見るなって言いながら、ちょっとずるいよね。  あれかなぁ…じっとお互いの目を見ていると、引っ付いちゃうからかなぁ…。口が。  それとも観察?  観察されちゃってるのかな、おれ。    アシェルの体になってからは、新しい手足が生えてくるとか、胴や手足が伸びすぎちゃうなんてことはなかった。  口とか鼻とか穴が開いてる所から根が生えるみたいになるんじゃないかと思ったけどその様子もない。  髪と爪は伸びたけど。  汚れた髪を切られた時は何も思わなかったけど、伸びた爪を切られるのは痛いんじゃないかと思って怖かった。痛くはなかったけど金属の鋏は怖い。  爪はさぁ、魚のウロコみたいなんだけどウロコほど役に立っているとは思えなかった。切らなきゃいけないのになんで伸びてくるんだろう。無駄な部分に栄養を使って欲しくないのに。  馬車が揺れてから止まった。 「こちらで本日の宿を借りようと思います」  外から声がかけられた。  しばらくして同じ声が準備が出来たと告げた。    レヒトはおれを軽々と抱えたまま馬車から降りた。  夕日に照らされて、怯えた顔の男と女が見えた。 「このような片田舎で狭いあばら()でございますがどうぞお使いください」  男の人が地面に頭がつくんじゃないかと思うくらい深々と頭を下げた。 「お、おくさまにはすぐに湯をお持ちいたします」  今度は女の人が体が折れそうなくらいに礼をする。 「礼を言う」  レヒトは短くそう言っておれを抱えたまま歩き出した。  森の脇に点在する家の一つだった。木と石で出来た古い感じの家。 「おくさまだって…」 「お前が美しいから、女性と見間違ったんだろう」  レヒトはふっと鼻で笑った。  いや、こんなひらひらした裾の長い服を着せられて、抱えられているからそう見えるに違いなかった。  おれはなんだか変な感じがしたのに、レヒトは何故か嬉しそうだった。    

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