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 ―― 偽り(2)

「…… 誰?」  眩しい光に手を翳して入口に立つ人影の方に目を遣ると、その人は遠慮もせずに部屋の中へ入り、ベッドの側まで来て僕を見下ろした。 「…… 藤野先生」 「ちゃんと憶えていたか、俺の事」  二年生になって、まだ一度しか学校に行っていないけど、あの始業式の日に保健室で会った担任のことくらいは憶えてる。 「…… 何か用ですか?」と、そっぽを向いた僕の顔を、藤野先生は身を屈めて覗き込む。 「顔色、悪いな。 仮病ってわけじゃないのか」 「…… !」  言われた言葉に少しカチンときて、僕は先生に視線を合わせた。  目を合わせた事に満足そうに微笑んで、先生は言葉を続ける。 「あれからずっと休んでいたし、電話をかけても保護者の方とも話せなかったし、心配していたんだよ。 身体の具合はどうなんだ?」 「少し…… 風邪を引いただけです」 「熱は? まだあるのか?」  先生がそう言いながら僕の額に手を伸ばそうとするのを、反射的に払いのけてしまった。 「あ……」  思わず見上げると、先生の視線は僕の手首を見つめている。  僕は、なるべくさりげなくその手首をパジャマの袖口に隠した。 「それ、どうしたんだ」 「…… 何でもないです」  そう言って、視線を逸らすしかなかった。 追求されてしまうと、誤魔化す術が思い浮かばない。 手首に残る、紐で縛られた痕の理由を。  だけど先生は無理やり僕の腕を取り、パジャマの袖口を捲り上げた。  だいぶ薄くはなってきているけれど、何重にも巻かれた痕が、紫色に変色していた。  ―― 僕は逃げたりしないのに、父さんは時々不安になるんだ。 ただ、それだけなんだけど。  今回、父さんを不安にさせたのは凌の付けた紅い痕だった。  手首をベッドに縛り付けて、何度も僕の身体を抱いてくれる。 この身体は、父さんだけのものだと納得するまで。  狂気じみているかもしれないけれど、それが父さんと僕の愛し方なんだ。 だから、誰にもそれを邪魔されたくない。  この事を妙に騒ぎ立てられて、父さんに迷惑がかかる事だけは避けたかった。

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