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―― 偽り(10)
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あの年の夏はいつもの年よりも暑くて、テレビを点ければ『猛暑』という言葉をしばしば耳にした。
僕の家は、北側にある大きな窓を開けると、南側の窓へ冷たい空気が流れて風通しが良い。庭に面した和室で寝そべると、冷房の効いた部屋にいるよりは気持ち良く過ごせた。
照りつける太陽を部屋の中から眺めていると、外になんか出たくないなぁって思ってしまう。でも、外に出るのを諦めるくらいの暑さが、あの頃の僕にはちょうど良かった。
―― 誰にも会いたくなかったから。
あの日から、僕の世界は父さんしかいなかった。 僕を救ってくれるのも、苛むのも、この世でただ一人。この人に愛されたい。 この人にとっても、僕が唯一無二の存在でありたいと願っていた。
夏休みに入ってから、タキさんは休暇でずっと家に来なかった。
もしかしたら父さんが僕と二人きりで過ごすために、休暇をあげたのかもしれないなんて、僕は自分に都合よく考えたりしていた。
タキさんの代わりに、慣れない手つきで食事の支度をする父さんの横で、僕も一生懸命に料理の本を見ながら手伝った。
初めて作った味噌汁は、味噌を入れ過ぎて辛かったけど。それでも、そんなことでさえ、僕は幸せを感じることができた。
―― 父さんは僕を愛してくれているんだと。
朝食の後、午前中はずっと書斎に篭って仕事をしていた。
夕方頃になると、僕が寝そべっている和室にやってきて、僕の隣に横たわり、そのまま少し眠る時もあった。
あの日から僕はずっと、夜は父さんの寝室で眠るようになった。
入浴を済ませて、書斎のドアから廊下に漏れる灯りの前を通り過ぎ、その隣の寝室に入って、ベッドに潜り目を閉じる。
父さんの匂いがするシーツに顔を埋めると、心が落ち着いてすぐに深い眠りに落ちる。
時々夢の中で、父さんにキスをされる。唇で、舌で、繊細な指先で、身体を愛撫されて、僕は薄っすらと目を開ける。体内が熱くて熱くて仕方ないがないのに、すごく心地よくて幸せで。
夢うつつに聞こえた気がする。
『愛してる』
そんな時は、名前を呼んであげるんだ。
『武志さん……』
僕も……愛してるよ。
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