70 / 330
―― 偽り(11)
思えば……父さんと二人きりで、一番長くゆっくりと過ごせたのは、あの夏休みだった。
夏休みも、もうあと少しという日の朝、目が醒めたら、いつも僕より先に起きることのない父さんの姿が隣になかった。不思議に思いながら服に着替えて廊下に出てみると、台所の方から朝食のいい香りが漂ってくる。
(―― どうしたんだろう。 今朝はやけに早いな)
てっきり父さんが早く起きて、朝食の準備をしてくれてるんだと思ってた。
「あ、伊織坊ちゃん、おはようございます」
だけど台所にいたのは、父さんじゃなくてタキさんだった。
「…… あれ? 父さんは?」
何故か心臓がドキドキしたのを今も憶えてる。とうとう僕を置いて何処かへ行ってしまったんじゃないか。僕は見放されてしまったんじゃないか……って。
「昨夜遅くにお電話いただいたんですよ。 今日から用事で暫く帰らないからと」
「…… え?」
―― やっぱり……と、思う気持ちと、どうして? と思う気持ちで、僕の頭の中は一杯になってしまった。
父さんは僕に何も言ってなかった。これといって、変わったこともなかった筈。なのに……どうして?
やっぱり僕じゃ、母さんの代わりにはなれないってことなのかな。だからもう僕なんか……要らないってことなのかな。
「……暫く帰らないって……いつまで……」
もしかしたらもう帰って来ないんじゃないかって、不安ばかりが大きく膨らんでいた。僕がこの家にいる限り、帰ってこないんじゃないかって。だって、僕と父さんは血の繋がりがないんだから。
「あらあら、泣くことなんてないですよ。 きっとお仕事の事で出掛けられたんでしょう?すぐ帰られますよ」
いつの間にか泣き出していた僕に、慌ててタキさんが慰めてくれる声もどこか遠くに感じる。
その時の僕は、きっともう父さんに会えないんだって、そう思い込んでしまっていた。
「それより伊織坊ちゃん、もうすぐ夏休みも終わりですよ。宿題はもう全部出来てるんですか?」
毎年夏休みの終わりになると、決まってタキさんが口にする言葉も、その時の僕にはもうどうでもいい事としか思えなかった。
ともだちにシェアしよう!