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 ―― 桜の頃(1)

「はぁー、眠っ……」  隣に座っている隆司が、わざとらしいくらいにデカい声で欠伸をする。ギュウギュウに混んでるって訳じゃないけど、朝のこの時間の電車の中は通勤通学の人でそこそこ混み合っている。 「うるせえ」  座席に浅く腰掛け、投げ出している迷惑な脚を強めに蹴ってやると、隆司は「はいはい、ワカリマシタ」と面倒そうに座り直した。  ちょうど電車が駅に着き扉が開いて、ホームで並んで待っていた乗客が我先にとなだれ込んで来る。  僅かに空いた席を目指して小走りで入って来る奴や、最初から諦めて立ち易い位置を確保する奴。  他路線からの乗り換えで、この駅から車内は一気に混雑する。  はみ出して収まり切らない乗客を駅員が押し込んで扉が閉まると、4月だというのにムッとした空気が車内に充満する。  だけどギュウギュウに混み合っているのは扉付近だけで、一歩ずつでも奥へ進めば、もう少しだけでも隙間はできる筈なのに。  誰も、そんな譲り合う気持ちなんて微塵もない、朝のラッシュアワー。  ま、俺らは座ってるから関係ない。  この不快な暑苦しさも、15分程度我慢すれば済む。 「はーーっ、暑っ……。だから今日くらいサボろうって言ったのに」  隣で文句を垂れる隆司に、余計に鬱陶しい気分にさせられる。  チッと、舌打ちしてやると、隆司は不貞腐れた顔で寝たふりをし始めた。  電車がカーブに差し掛かり、大きく一方に揺れると、混み合った人の間に空間ができる。  何気なく、すぐ側のドア付近に視線を巡らせて、朝から嫌なものを目にしてしまう。  ――満員電車ではよくある事……、痴漢だ。  座っているから、誰かの手が誰かの腰の辺りを触っているのが丁度見易い位置で、否応無く見えてしまう。  スーツの男は、華奢な身体をドアに押さえつけるようにして、執拗に尻を撫で回していた。  節くれ立った無骨な手が、小さな尻を覆い隠すようにして動いている。  ――こんなくそ暑苦しい中で、よくやる……。  こんな事は特に珍しくもない。毎朝見かける光景だった。  弱いものは、強いものにねじ伏せられる。  別に痴漢が強い訳じゃない。こんな状況で見ず知らずの大人の男に触られたら、か弱い女なら抵抗できないと知っていてやる奴が卑怯なだけだ。  ――『自分の身は自分で守れ』  別に尊敬なんてしてる訳じゃないけれど、小さい頃に教えられた、くそ親父の言葉は、俺の奥深いところにしっかりと根付いていた。  さっきから電車のドアに押さえ付けられている身体は、スーツの男と扉の間に挟まれて、動く様子もない。  嫌なら抵抗すればいい。動くこともままならないのなら、声を出せばいいのに。  俺には、まったく関係のないことだけど、視界に入ってしまうのが鬱陶しいだけだった。  男の腕が前に回り、寛がせた制服のズボンの中に手を突っ込むところが見えた瞬間、俺は妙な違和感を感じた。

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