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 互いの指先が触れた。でも、それは一瞬のことだった。  まるで見えない力が二人を引き剥がすかのように、物凄い速度で離れていく。 「――っ!」  自身の名を呼ぶ彼の声に応えるように、手を精一杯差し出すがもう届かない。せめてとばかりに彼の名を呼んだ。喉が張り裂けるほどの痛みを感じるが、もう声として認識されていなかった。  永遠の別れ――それを悟った時、体中から溢れたのは血でも涙でもなかった。  彼への想い。今まで内に秘めてきた切なる想いが溢れ出し、あたりに飛び散った。 「好き……だった」  伝えたかったことも言えず、最期まで素直になることも出来なかった。悔やんでも悔やみきれないって、こういう時に使う言葉なんだって初めて知った。その後に残されるのは、頬を伝う涙と――虚無。  凍えるほどの冷気と息苦しさに襲われ、闇の底へと沈んでいく。彼の声が遠くで聞こえる。何度も、何度も泣きながら叫んでいる。かつて持っていた『オレ』の名前を……。  *****  底の見えない暗闇に落ちていく感覚に身を強張らせたミチは、それまで水中にいたのではないかと思うほどの息苦しさに目を覚ました。急浮上した体が酸素を求めている。肺に大量の空気を送りこもうとして激しくむせ返り、ベッドに横たわったまま背中を丸めた。咄嗟に掴んだシーツの感触で、今までのことが夢であったと理解する。  寝ている間にかいたであろう汗でしっとりと濡れたシーツを掌でなぞりながら、腕や背中にわずかに残る痛みと早鐘を打つ心臓に首を傾けた。 (リアルな夢……)  空中に放り出されるような感覚。そして、目覚めの悪さと、心の中にぽっかりと開いてしまった空白は何度経験しても慣れることはなかった。  頬に残る涙の痕を、幾度となく手の甲で擦っている。でも、それが消える頃にまた同じ夢を見る。  背中に生えた小さな羽根をおそるおそる動かして体が正常であることを確かめると、ゆっくりとベッドから立ち上がった。窓の外に広がる白い世界。その中に立つビルや鉄塔は、人間界にあるものとそう変わらない。  輝く眩しい光に目を細めたミチは、両手を頭上にあげると大きく伸びをした。 「今日も一日、頑張りましょう!」  下腹に力を込めて、息を吐き出すと同時に声を上げる。自分以外誰もいない部屋。毎朝のルーティンであるはずの気合い入れ。しかし、今日に限って気持ちが上がらない。疲れがたまっているせいか。はたまた、あの夢のせいか……。  壁に立てかけた姿見に映った自身を見つめる。顔つきは実年齢よりも幼く見えるが、仕事着であるスーツを着れば少しはマシになる。栗色の髪も淡褐色の瞳も、白い肌も背中に生えた白い翼も……どれだけ時を重ねても変わることはない。いつからこの世界に存在しているかも分からない。でも、それが次第に当たり前になっていく。  この世界にきた人々は皆、そういう。気がついたら天使になっていた――と。

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