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第9話

 優月が入れてくれたお茶を飲んで一息ついた。  京都は茶どころ、格段にうまい。  行為が激しすぎたせいかやたら喉が渇いていた。  もう一杯所望する。  かいがいしい恋人の振る舞いに感動もしていた。  こいつ本当にかわいいな。 「ありがとな。ほんとは殴られても文句は言えない立場なんだが」 「いえ、それはもう」  控えめに俯きがちだ。  よっぽど乱れまくった自分が恥ずかしいのだろう。  初々しくてホントかわいい。食っちまいたい。いや、もう食ったんだけど。  しかし、俺はさっきから机の上にあるガラスのトレイが気になっていた。三角コーン型の小さな灰が残っている。  なんだかざらつくような嫌な感じ。  仕事柄あつかうことがあるが、いわくつきの骨董品に似た特殊な気配を感じた。 「優月、それはなんだ」 「え?」 「そこの灰。なにを燃やしたんだ」 「昨日プレゼントにもらったお香の灰です」  俺は鼻先を近づけて確認する。  部屋に入った時に感じた香りだ。これが元だったのか。なるほど。 「これが、まずかったんじゃないか」 「え?」 「インセンスには幻覚作用をもたらすものもある。妙にハイになったり、逆に落ち込んだりな。このプレゼントがヤバかったんじゃないか」  これが、お前が幽体離脱するきっかけになったものかもしれないぞ。そう脅すように告げると、優月は怖々と灰を見つめた。  だからって本当に幽体離脱までいくとは驚きだ。たぶん優月自身の体質もあるのだろう。  だが、やはりこのインセンスにはなんらかの効果があると考えられた。  そしてそれを遠ざけないと、また今回のようなことが起こるかもしれないと思う。 「やばいからこれはもう捨てちまえ。ろくなことにならねぇ」 「そんなことって」  戸惑いが眼の奥で揺らぐ。 「どんな奴からもらった?」 「え、えっと友達の女の子です」  少しうれしそうな顔をするのが憎たらしい。そういやこいつノーマルだったな。  まあ、あれだけ乱れて男を欲しがっておいて、今さらノンケに戻れるとは思えない。  今夜優月はいけない世界の扉を開いちまったのだ。  だが安心しろ。先導役は俺が引き受けた。  お前の行く末は俺が照らしてやる。  お前の横で愛してやる。  お前の身体に俺という人間を強く刻んでやる。  俺は爪の先でお香の灰を崩した。 「変だな。誕生日のプレゼントに普通お香なんて選ばないだろ」 「インドに旅行に行ってきた時のお土産だって言ってましたよ」  それにしたって……。 「そいつ普通の友達か?」 「どういう意味ですか」 「仲いいのか」 「最初は、僕が引っ込み思案なせいかちょっととっつきにくかったんだけど、僕の友人の彼女になってからは近くなりました」  友人の彼女。微妙な位置だ。 「お前その子のこと好きなのか」 「そういうんじゃないですよ」 「なら、お前そいつに嫌われてないか」 「え、それはどういう……」  ショックだったようで言葉を詰まらせている。 「だから邪魔者だって思われていないか。恨まれてるとか」 「そ、そんなことないですよ。友人と彼女と僕とで遊ぶことだって多いし。仲いいですよ」  おいおい恋人たちの語らいの場に混ざってんのかよ。  どういう感覚だ。 「鈍いな」 「ひどい」 「事実だろうが」  多少は自覚もあるのだろう。  優月は俺の指摘にぶーっとふくれた。  それでも反論してくる。 「でも、隆司が熱心に誘ってくれるから……。あ、隆司って言うのは僕の親友なんです。高校で一番の仲良しで、いつも僕を交えてくれるんです。今年の夏には隆司と彼女と僕とでプールに行ったりしました」 「ちょっと待て。関係性を整理しよう」  どうももやもやと複雑な感じがする。  その隆司って奴の行動も謎だ。  優月に友人として好意を持っているにしたって、あんまり親密すぎるだろう。  彼女の扱いだって雑すぎる。  そいつの気持はどこにある?  そして彼女の気持ちは? 「そんな状態、女のほうは納得してないな。イライラしてるだろう」  どう考えたって不自然な関係だ。  隆司、本当はゲイなんじゃねぇか。  親友とか言ってて、女の恋人がいるくせに、実は心は優月に傾いてるんじゃねぇか。 「つまりな、お前は彼女にとっちゃお邪魔虫な訳だよ。だからお前を憎く思って、呪いたかったんじゃないか」 「呪い……」  物騒な台詞に身体を縮める。 「そんな……呪うほど嫌われているんでしょうか」 「ま、全部俺の想像だけどな。とにかくお前はなにごとにももっと注意しろ。変な物もらったりするな。年長者の意見は聞いとくべきだぞ」  優月はこくりと頷いた。  幽体離脱の経験にはよほど参ったのだろう。 「それから隆司って言ったな。そいつゲイかもしれないから気をつけろ」 「え、隆司が?」 「俺の勘が正しければ、お前狙われてるぞ」 「まさかぁ」  のんきに笑う顔が手放しにかわいい。隆司って奴もこの間抜けた笑顔にやられたのかもしれない。 「お前かわいいからな。心配なんだよ」 「湯橿さんおかしなこと言ってますよ」 「ほんとーに鈍いな。自覚ないのか」  やれやれ。見た目以上にお子様だ。 「それからな。とにかく俺がお前を男にしたんだ。今後俺以外を相手にするような真似は許さないからな」 「湯橿さん、な、なに言って……」  これから先も関りを持とうという意味の台詞に、そう言えばと優月は不思議そうな顔を見せた。  俺は旅行で京都に来ているのだ。すぐに東京に戻ってしまうというのに……、そう言いたげに見つめて来る。 「東京から京都なんて新幹線で2時間ちょいだ。また来るって」 「え、僕に会いに?」 「当たり前だろ。もう、お前は俺のもんだからな。遠距離恋愛上等だ。高速バスだって使える。なんならお前、進学先を東京の大学にしろよ。そうしたら俺んちに住めばいい。ちょうどいいだろ」  そうだそうだ、なんだか楽しくなってきたぞ。  俺のキャラじゃないが、優月との甘い同棲生活を思い描くとうれしくなった 「なにしろ相当の淫乱だって分かっちまったからな。俺くらい経験豊富で技術のある男でないと、今後お前の身体は満足しないぜ」 「いい加減にしてください!」 「怒るなよ。淫乱ってのは誉め言葉だ。お前みたいに色っぽい奴はそうそういない。たった一回のSEXで俺は骨抜きだ。どうしてくれる」 「きょ、今日のは不可抗力で。僕はあんな風になるつもりはなくて……」 「お前の身体は喜んでたぜ」 「喜んでって……」 「足開いて、腰振って、泣きわめいて、俺にしがみついた。忘れたのか」  わざとあげつらうと、幼い恋人は困ったような、反省してるような、嫌悪しているような、複雑な表情をした。  俺は指先で優月の顎を捉える。 「それがどんなにかわいかったか……」  つづった言葉のまま唇をふさいだ。甘噛みして、ねぶって、愛情を伝える。  華奢な身体から力が抜ける。  俺は自分の胸に優月をぎゅっと抱いた。 「……湯橿さん、さっきからずっと……、そういうの本気なんですか」 「お前なぁ。自分がどれほど魅力的かちゃんと気づけよ」 「魅力的だなんて」 「まだ信じてないのか。頭かたいぞ」  そう言って頭を小突く。 「俺を信じろよ。好きになったって言ったろ。お前はどうなんだよ」 「どうって」 「俺が恋人でいいだろ。つーかもう恋人になったからな。あんな濃いエッチもしたし。もうお互いなにもかも見せあった仲じゃねぇか」  説得する声は熱い。  俺は自問する。  こんななりふり構わずの情熱に満ちた告白、いままでにあったか? 「それにな。俺はお前を幽体離脱の危機から救い出した白馬の王子だぞ」 「そ、それは……ありがとうございます」  優月は深々と頭を下げる。まだ緊張しているのか表情は固い。 「それにまた幽体離脱するようなことがあったら、俺がいなきゃ困るだろ」 「……困ります」  元に戻るのには多分俺とのSEXが必須なのだ。 「あとな、生き返ったらなんでも一つ言う事を聞くって約束してたじゃないか」 「そ、そうでしたね」 「なってくれよ。恋人に」  懇願に近い声のトーンには我ながら驚いた。 「大事にするから」  続けた言葉もやたら照れくさい。  でも本気だ。俺は優月が欲しいのだ。 「うまく続く訳ないとか、思ってんだろ。遠距離恋愛くらいなんだ。大人なめるな。高速バスなら往復一万円くらいだぞ。会いに来るって」 「あ、ありがとうございます」  ようやく俺の本気が通じたのか、気恥ずかしそうな態度で礼を言う。  お、これって受け入れてくれてるってことか。 「……僕、ほんとに湯橿さんでなきゃだめそうですね」  悩んだ末の吐息。 「ちゃんと恋人になれるかな」  不安そうな、それでも十分前向きな返事。  大きくぐらついているのが確信できた。  俺はもう一度、今度は掠めるようなキスをする。 「あ、……」  耳まで赤くしていた。  じわじわと胸を満たす幸福感。 「ありがとな」  そこでようやく俺は満足すると話題を変えたのだ。 「なあ、朝までここにいてもいいか。さすがに眠い。ホテルに戻るのは面倒だ」 「……いいですけど。あの。さっきみたいのはなしでお願いします」  さっきみたいの? 「ああ、SEXな。あれだけしたんだ、もう今日はスカスカだよ。ただ眠るだけだ」  あきらかにホッとした様子なのがちょっと憎らしい。 「なあ、くっついて寝ようぜ」  せめてと、俺は優月の腕に手をかけて引いていた。 「なに笑ってんだよ」 「だって、意外に子供っぽいこと言うから」  目尻を下げている。俺のペースにすっかり巻き込まれたのか、自身の欲望も感情も認めることが出来たのか、もう緊張もしていないみたいだった。 「うう、眠い。お前も眠いだろ。ほら布団に入れ」  ふたりでは狭い布団に転がり込む。  密着した身体はもう満ち足りたもので、すっかり狂熱は引いていた。  心地よいぬくもり。  優月という穏やかな存在が俺を幸せな夢に誘う。  あくびをする俺を隣から優月が見ていた。  俺の我儘を許す微笑。  俺の存在を認める寛容さ。  ありがたい。  気持ちは、受け入れてもらえたのだろうか。  もう絶対に手放す気はないのだが、少し不安だった。  すべては優月の心ひとつになのだから……。  しかして、寝入る直前に耳にした声は、最高に甘くて優しかったのだ。 「大学……東京にしようかな」  俺は優月のぬくもりと溶け合いながら、満ち足りた眠りに迎え入れられていったのだ。 END

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