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両片想い10

「課長、大丈夫ですか? 顔が赤いですよ~!」 「そういうおまえこそ、ギンギンになってるモノを、さっさと何とかしろ!」  言うなり、バタンと大きな音で閉じられた扉。静寂が俺たちを包み込むと思っていた、その矢先だった。 「やれやれ。そこで俺たちのことを見ていた人、いったいどこのどなたなんですか~?」  後方にいる俺に向かって、社長の息子が問いかけてきた。 (――なんでバレたんだ? 音だって出さずに、中に入り込んだというのに) 「バレてないと思ってるのは、課長とアナタだけですよ。俺がこの会議室に入ったすぐに、後ろの扉が開くのを見ていますからね」 「……俺がここにいるのを知っているのに、どうしてあんなことをわざわざしたんだ?」  隠れ続けるのは無理だと判断し、立ち上がりながら質問を投げかけた。 「石川さんだったのか、残念」  俺の姿を恨めしそうな目で見るなり、あからさまにウンザリした表情を浮かべる。 「俺以外の誰だったら良かったんだ?」 「隣の課にいる、派遣社員の女」 「ことあるごとに、白鷺課長相手にちょっかいを出してるからだろ?」 「まぁね。他にも理由はあるけどナイショ」  パイプ椅子に座ったまま顔を逸らしながらまぶたを伏せて、何もない床を意味なく見続ける、社長の息子の前に立ってやった。 「石川さんの狙いは課長でしょ。部署に戻れば? 俺はもう少し、このままでいなきゃいけないんだけど」 「大きくなってるソレ、俺が気持ちよくしてヌいてやろうか?」  カタチが変わっている部分を凝視して告げた途端に、驚きに満ち溢れたまなざしが俺の顔を捉える。ちょっとだけ開けられた口元が何かを言ったみたいだったけど、声にならないせいでまったくわからなかった。 「何を言ってるんだって顔をしてるね。すべての人間が、君が恋焦がれる白鷺課長を狙ってるなんて思わないほうがいい」  嘲笑うように言いながら、震える唇にそっと触れた。少しだけ荒れた唇はとても柔らかくて、今すぐにでもキスしたくなる感触だった。白鷺課長が、貪る感じでキスする気持ちが理解できる。 「石川さ…冗談はやめてくださ、い。俺は鉄平以外と、へ、変なことをするつもりはな、ぃです……。だから」 「変なことなんて失礼だな。君は早く部署に戻らないと、白鷺課長に叱られる。だからこそ、手早くヌいてやるって言ってるんだよ。桜井くんは目をつぶって、俺を受け挿れるだけでいい」 「は? 受け挿れ――」  呟きながら顔を上げて俺を見る社長の息子の顔が、恐怖に青ざめているように見えた。 「自分が白鷺課長をヤってるからって、犯されない保障はどこにもないだろ。なぁに、先輩が新人に手をかけて、丹念に可愛がるだけのことさ」  顎に手をかけて固定し、キスしようとした。その瞬間、誰かの手によって片耳を強く引っ張られながら、ずるずると後退りさせられる。 「痛っつつっ!」  強引に耳を掴まれて引きずられる痛みのせいで、抵抗する力なんてものは皆無だった。自分を覆うように立ち塞がる大きな影の人物が、真上からじっと見下ろす。 「俺の壮馬に勝手に触るな。潰すぞ……」  片耳を引っ張りながら後方にある壁に押しつけられた途端に、白鷺課長の空いた手が俺の下半身を鷲掴みした。 「ひぃぃ! 痛い痛いっ、冗談ですって、ホントに!」 「冗談でやっていいことと駄目なことの分別くらい、石川にだってあるだろう?」  問いつめながらも白鷺課長の手は容赦なく、俺の分身を握りつぶしにかかる。怒りに血走った瞳は、絶対に職場では見られないものだった。 「鉄平、それくらいにしてやったら。俺は無事だったんだし」 「馬鹿野郎! 俺がここに乗り込んだとき、どんな気持ちになったか考えてみろ!! 全身の血の気が引いたんだぞ」  怒りを言葉に乗せて、それを爆発させたように叫んだ白鷺課長。この人の大事な恋人に手を出そうとしたんだから、当然のことだろう。  片耳を掴んでいた手が、上着の襟元をぎゅっと握りしめる。収まり切れない怒りが、震えになって伝わってきた。  下半身の痛みと、これからおこなわれることを予想しながら耐えていると、白鷺課長の顔が俺に近づいた。傍から見たら、キスシーンの寸前に捉えられるかもしれない。それくらい近くに、顔を寄せられた。  クォーターなのに、ハーフと見紛うような彫りの深い顔立ちをした白鷺課長は、切れ長の二重まぶたを吊り上げて俺を見据える。  社長の息子や隣の派遣社員の女がうっとりする、美麗な顔を目の当たりにしても、残念ながらときめいたりしない。紳士服売り場のマネキンにしか見えないせいで、まったくその気が起きなかった。  額に脂汗を滲ませながら、小馬鹿にするような笑みを浮かべてみせた。惨めな俺の強がりに、目の前にある顔が訝しげに歪む。 「白鷺課長、そんなに俺のを握りしめていたら、桜井くんに誤解されちゃいますよ。まるで欲しがってるみたいでぇア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!」 「反省の色が見られない。どうやら、使い物にならないようにされたいのか。石川がこんなにドМだったとは知らなかった」 「鉄平、もうやめてあげなって。石川さんもどうして、煽るようなことを言うかな……」  眉根を寄せた社長の息子が傍に駆け寄り、白鷺課長の手を外してくれたお蔭で、激痛から開放された。情けなく、その場にしゃがみ込む。 「おまえ、自分が石川に襲われそうになったのに、どうして助けたりするんだ」 「直接手を下すよりももっと効果的に、石川さんを貶める方法があるから」 「「なんだって!?」」  へたり込む俺と白鷺課長のセリフがリンクして、会議室に響き渡る。 「俺は鉄平に助けられる自信があったから、実行できたんだけどさ」  得意げに言い放つなり、上着のポケットからスマホを取り出して、俺たちに見せつけた。 「そんな自信、どこから出てくるのやら。俺が助けに入らなかったら、本当に危なかったんだぞ」  出されたスマホを見ながら首を傾げる白鷺課長に、社長の息子はあっさりとそれを元に戻す。俺はふたりの様子を、無言で見続けるしかなかった。 「鉄平が部署に戻って、最初に気がつくと思った。石川さんがいないことに」 「確かにそうだ。周りのヤツに聞いたら、俺たちが出て行った後にトイレに行くと言って、席を空けたそうだ」  横目で俺を睨む白鷺課長の顔は、先ほどよりも穏やかそうに感じた。怒りが少しだけ、下火になったのかもしれない。 (余計なことを口走って、ふたたび逆鱗に触れないように気をつけなければ)  未だにじんじん痛む下半身を抱えながら、白い目で見下ろす視線を無表情で受け続けた。ここで少しでも笑ったりしたら、自らを絶体絶命に追い込むことになるのが、容易に想像できる。 「石川さんがトイレに行って、部署には不在。俺たちが出て行ってすぐなのに時間がかかりすぎだと考えた鉄平は、一応トイレをチェックしてから、ここに来てくれたんだろうなぁ」 「その通りだ。それで、石川を貶める方法ってなんだよ?」 「俺がここに入ったすぐに、石川さんはあっちの扉からコッソリ入ってきた。理由は知らない。そして俺たちがイチャイチャしてるのを眺めて、鉄平が出て行ったタイミングで声をかけられた。これは何かあると咄嗟に思って、スマホに入ってるボイスレコーダーを起動させたというわけ」 「なるほど。それを警察に持って行けば、石川の犯罪を立証できてしまうもんな」 「待ってくれ! 犯罪っていったい」  話の腰を折る感じでふたりの会話に割り込み、慌てて立ち上がった。 「石川、今は男同士でも、わいせつ罪が適用される。覚悟するんだな」  白鷺課長の心の芯まで凍る冷たい言い方に、躰が勝手に震えだす。 「で、でもまだ…手は出してな、い。本当、に」  たどたどしく言いながら、社長の息子を見た。 「石川さんあのとき、自分が何を言ったのか覚えてます? 俺ってばあれだけで、メンタルがズタボロに傷ついちゃいました。病院に行って診断書が出れば、未遂でも傷害罪が適用されたりするかもしれませんね」 「とはいえ、あの状況でまったく抵抗しない壮馬も、どうかと思うけどな」  はーっと深いため息をつきながら、胸の前で腕を組む白鷺課長に、社長の息子は目の前で、右手人差し指を横に振った。 「ちっちっち、鉄平はネコだからわからないか。抵抗されたらされた分だけ、無理強いしたくなるって。ねぇ石川さん!」  縋るように見つめる俺の視線を、社長の息子は嫌な感じに瞳を細めながら受ける。してやったりなその雰囲気に飲まれて、背筋がぞくっとした。 「桜井くん、もしかしてそのことを計算していて、あのときわざと怯えていたのか!?」 (――顔色を青ざめさせるなんて演技を、どうやってしたというんだ……) 「俺も石川さんと同じ、ヤっちゃう側の男だからわかるんだよなぁ『こんなところでシたくない』とか何とか鉄平に言われたら、余計に燃えて手を出したくなるのは必然なんだよ」 「そんなことで燃えるな、馬鹿……」  呆れた感じで気持ちを言葉にした白鷺課長に、社長の息子は肩を竦めながら首を横に振る。 「つまりあのとき俺が抵抗していたら、もっと酷いことをされているであろう恋人の姿を、鉄平が目撃することになるんだって。無傷で済んでよかった」  柔らかく微笑んで、ねぎらうように俺の肩を叩く社長の息子に向かって、重たい口を開く。 「……自首すればいいのか?」 「自首も何も俺は無傷だったんだし、別に行く必要ないと思うけど」  あっけらかんとした声で答えられたせいで、二の句が継げられない。 「待てよ。俺としてはこのまま、石川を見過ごすのは危険だと思う。二度としないようなペナルティを、コイツに与えたほうがいい」  白鷺課長の告げた『ペナルティ』という重い言葉が、心の中でずしんと足枷になった。 「わる…悪かった。こんなことはもう二度としない。信じてくれ!!」  今更感が拭えなかったが、しっかりと頭を下げて謝罪の言葉を告げた。 「石川さんのその言葉、信じられるわけがないですよ。他にも、被害者がいることがわかっているんです」 (――コイツ、俺のしてきたことを知っていたから、用意周到に行動していたのか) 「壮馬、それは本当なのか?」  上目遣いで様子を窺うと、白鷺課長が信じられないというまなざしで、代わるがわる俺と社長の息子を眺めながら訊ねる。 「誰とは言いませんけど、相談を受けたのは事実です。石川さんとしては、それが誰なのかがわからないでしょうね。たくさんの新人に、手をかけていたのだから」 「くっ……」  下げた頭を上げられないまま、下唇を噛みしめた。 「男が男に襲われる。そんなことが現実で起こるはずがないというのを、やった結果がコレですよ。相手が訴えないのをいいことに、今までおいしい思いをしてきたみたいですけど、これまでです」 「桜井くんに手を出した時点で、ジ・エンドだったってことか」  吐き捨てるように告げるなり勢いよく頭を上げると、忌々しそうに俺を見る白鷺課長とは対照的に、社長の息子はさっきよりも朗らかに笑っていた。  眩しすぎる微笑みを目の当たりにして、嫌な予感が頭の中をぶわっとよぎる。 「安心してください。石川さんにはこれまで通り、ここで働いてもらいます」 「は?」 「俺と白鷺課長のために、身を粉にして働いてください」  告げられた言葉の意味がわからず、アホ面丸出しにしているであろう俺を見、渋い表情の白鷺課長が口を挟んだ。 「坊ちゃんそれは、俺たちの付き合いの裏工作的な何かを、石川にさせようと考えてる?」 「晴れて鉄平と両想いになったんだから、これからはもっと恋人らしいことをしながら、日々を満喫したいなぁと思ってさ」 「ふたりって、両想いじゃなかったのかよ!?」  疑問が思わず口から飛び出てしまい、慌てふためきながら口元を押さえた。 「石川さんの目には、俺たちが両想いに見えたんだ?」  困惑しっぱなしな俺に、社長の息子が興味津々な様子で訊ねる。 「あ、そのぅ…たまたま給湯室で、白鷺課長が桜井くんの頬にキスしてるのを――」  こっそり覗き見た手前、それを告げるにはかなりの勇気が必要だった。おどおどしつつキスをした張本人を見たら、ふいっと顔を背けられてしまった。 「あんな陳腐なキスだけで、石川さんは俺たちが両想いだと思ったんですか?」 「はあ、まぁ。白鷺課長の表情がですね、普段見られない感じのものだったですし、他の人と桜井くんに対する態度とかもあからさまに違うので、そうなのかなぁと思ったまでです」 「あーあ、残念。どんな顔してキスしてたんだろう。ねぇ鉄平」 「自分で自分の顔が見られないからな。わかるわけないだろ……」 「あのうそれで俺はおふたりに、何をすればいいのでしょうか?」  いたたまれない空気がそこはかとなく流れる中だったが、自分の役割を知るべく、恐々と質問を投げかけてみた。 「俺たちのアリバイ工作に、石川さんが関わってくれたらいいだけです。しょっちゅうふたりきりで逢ってばかりいたら、さすがにヤバいでしょ。そういうときに、協力よろしくってことで」  にんまり微笑みながら右手を差し出す社長の息子に、思いきって握手を交わした。 「わかりました。全面的に協力しますので、今までのことは穏便にお願いします」 「もちろん! 約束は守るので石川さんはこれ以上の悪いことを、社内でしないでくださいね」  ぐっさりと釘を刺された俺は、脱兎のごとく会議室をあとにした。  その後、社長の息子の下僕として散々こき使われ、ふたりの逢瀬の橋渡しをするはめになったのである。

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