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両片想い9
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俺の名前は石川琢磨。社長の息子の指導を、白鷺課長から任されている平社員である。
朝一の会議を終わらせた白鷺課長はご自分のデスクに座るなり、気だるげな様子で腰を擦りながら、どこかつらそうに顔を歪ませる。出勤したときから物思いにふけるようにまぶたを伏せて、盛大な深いため息を何度もついていた。
具合の悪そうな感じとは明らかに違う、何とも言えないその様子を、白鷺課長を狙う女子社員と、ただの部下の俺は横目で眺めつつ、いらない妄想にかられてしまった。
女子社員の多くは、朝まで彼女とイチャイチャしていたに違いないと考えたんだろう。内心嫉妬に駆られている表情を、それぞれ浮かべてた。
社内にいる独身社員の中でもひと際目立つ白鷺課長だから、それはしょうがないことだと思った。でも俺は見てしまったんだ。
客に出すお茶をなかなか持って行かない社長の息子に、そろそろカツを入れてやろうと給湯室のドアを開けかけて、手が止まってしまった。社長の息子の肩に顎をのせた白鷺課長が、すぐ傍にあった頬にキスをしているところを、ドアの隙間から覗き見て、心臓が止まりそうだった。
誰にでも愛想がいい白鷺課長が、新人として入社してきた社長の息子を『坊ちゃん』呼びして冷たく扱っていることは、ものすごく違和感があった。
他の社員との違いに理由を訊ねてみたところ、社長から厳しく接するように頼まれていることと、学生時代に彼の家庭教師をして面倒を見ていた関係もあって、その延長線でビシバシしごいていると教えてくれた。
『坊ちゃんは甘やかすと、調子にのってすぐにつけ上がる。石川もその心づもりで接してやってくれ』
なんてことを、言われていたのだけれど――見たことのない優しげな笑みを浮かべた白鷺課長が、社長の息子の頬にキスをした。
(――これは思いっきり、甘やかしているのではないだろうか……)
『課長……』
まるで恋人を見つめるまなざしで、白鷺課長に顔を寄せた社長の息子。こっそり覗いている目の前の出来事が、ドラマか映画のワンシーンのように見えてしまったのは、ふたりそろって俳優並みの男前だからだろう。
場違い感を肌に感じて音を立てないように退いた刹那、白鷺課長が勢いよく給湯室から出てきた。
(――あれ? いい雰囲気だったはずなのに、どうして?)
一瞬見えた横顔が、歪んだものに俺の目に映った。気になってあとをつけると、廊下の壁に背を預けながら胸元を押さえる、つらそうな姿を見かけた。
声をかけるべきか否かを迷いながら、部署の扉から不自然な様子を窺っていると、隣の課の派遣社員の女が足音を立てて、白鷺課長の傍に駆け寄った。
イケメンな社員だけに話しかけて、ここぞとばかりに媚を売ってばかりで、あまり仕事をしないという悪評が立っているだけに、誰も相手にしない女だった。
当然この噂は、白鷺課長だって知っているはず。それなのにつらそうな表情を一瞬で消して、嫌な顔ひとつせずに、笑顔で対処していることが驚きだった。
そこを踏まえて、嫌われている女に大人の対応ができる白鷺課長のメンタルの強さを考えたら、自分よりも年下の男を手玉に取るなんて、造作のないことのような気がする。
社内にいる独身女性の憧れの的になっている白鷺課長が、社長の息子とデキているっぽい感じだったのに、つらそうな表情を隠れてしていた事実は、まるで片想いをしてるみたいに見えなくもない。
そんなことを考えながら、白鷺課長と社長の息子の逢瀬を日々チェックしていたけれど、なかなか尻尾を現さなかった。
そんな矢先に垣間見た、白鷺課長のため息と怠そうに腰を撫で擦る姿。そして目の前にいる社長の息子の左頬の腫れは、いったい何があったのか。
(あまりに謎すぎて、俺の推理力じゃ想像できやしない)
「桜井くん、何だか左頬が腫れているように見えるんだけど、相当痛そうだね。大丈夫?」
神妙な顔でパソコンの画面を見つめる社長の息子に、思いきって声をかけた。すると離れた席にいる白鷺課長に、さりげなく視線を飛ばす。
俺も同じように白鷺課長を見ると、わざわざ目を合わせながら、微笑まれてしまった。女子社員がうっとりするような満面の笑みで見つめられるせいか、背後から後光が差しているみたいにキラキラしていた。
こんなふうに微笑まれる覚えがないため対処に困り、引きつり笑いをするのがやっとだった。
「石川さん、この頬の腫れはですね、飼い猫の猫パンチを食らったというか」
ところどころ声を裏返しながら返事をされたことに反応し、白鷺課長から目の前に視線を移した。
「猫パンチ?」
見え透いた嘘を強調するように、オウム返しをしてやる。社長の息子が思いっきりキョどるせいで、原因が白鷺課長なのをすぐに察した。
「それと寝ぼけたまま、食器棚に思いっきり激突してしまって。ご心配おかけしてすみません。大丈夫です……」
「石川、坊ちゃんを借りるけど、急ぎの仕事をさせたりしていないか?」
いつの間にか傍に来ていた白鷺課長が、俺の肩を叩きながら話しかけてきた。
(さっきまでダルそうにため息ばかりついていたのに、眩しさを感じるこの笑顔。頼み事を断ったりしたら、仕事で何かを返されそうだ……)
「させてはいません。いつもの業務をしてもらってます」
「本人は大丈夫だと言ってるけど、目の前で頬を腫らしたまま仕事をされても、やっぱり気になると思ってさ。ちょっと冷やしに出る。坊ちゃん、行くぞ」
白鷺課長が声をかけたタイミングで、社長の息子は素早く立ち上がり、唇を噛みしめながら部署を出て行く。
(まるで呼ばれたことが嬉しくて、必死に隠すために、唇を噛みしめているような感じだったな――)
「さーてと、俺はトイレにでも行って来ようっと!」
社長の息子のお守りから解放されたのをアピールしつつ、ちゃっかりふたりの後をつけた。
「坊ちゃん、そこの空き会議室に待機していてくれ」
部署の扉を開けた瞬間、聞き覚えのあるの声が耳に飛び込んできた。社長の息子は言われた通りに会議室に入り、白鷺課長は左に曲がってどこかに向かう。
俺は迷うことなく、空き会議室の後方にある扉にダッシュ。音を出さないようにドアノブを下げながらしゃがみ込み、するりと中に忍び込んで長机の間に身を隠した。
「お待たせ。そこの椅子に腰かけろ」
白鷺課長の声を聞きながら、ぎゅっと膝を抱える。
本当はふたりの様子を直接見たかったが、サボってここにいることがバレたりしたら、こっぴどく叱られるであろう。至極残念だけど声と雰囲気だけでふたりの間柄を探るべく、目を閉じながら耳をそばだてた。
「鉄平あのさ……」
「坊ちゃん、場をわきまえろ。ここは会社だろ。名前で呼ぶな」
「わかった。つ、冷たっ!」
「しばらく、それで冷やしとけ。少しは腫れがひくと思う」
(社長の息子の腫れた頬を冷やす何かを、わざわざ持ってきたといったところか。しっかしあの白鷺課長を下の名前で呼ぶなんて、ふたりはやっぱり相当仲が良さそうだな)
「課長、そんなに嫌だったの? 昨日のアレ」
しばしの間のあとに告げられた問いかけは、恐るおそるという感じに聞こえた。
「バカなのか!? すっごく嫌だったから、おまえを叩いたんだっ! それくらいわかれよ!!」
怒りを孕んだ白鷺課長の声が、静かな会議室に響き渡った。
自分が叱られていないのにも関わらず、反射的に躰を縮こませるくらいの凄みのあるものだった。滅多に怒らない人だから、なおさら心臓に悪い。
「どこら辺が嫌だった?」
俺がビビるくらいに迫力あるものなのに、叱られ慣れているのか、さらにツッコミをかます社長の息子の勇気に、心の中で拍手を送る。
「愚問だな。あんな格好させられたら、恥ずかしいに決まってるだろ」
「俺のを食いちぎるくらいの勢いで、課長の中がビクビクしていたのに?」
あまりに衝撃的な内容に、慌てて口元を両手で押さえた。
(――年上の白鷺課長が社長の息子をヤってたんじゃなく、逆だったとは!)
「あんな恰好をさせられた状態でなんて、感じるわけがないだろ! ただただ恥ずかしかっただけなんだ」
「俺以外、誰も見ていないのに?」
「誰にも見られたくないくらいに、趣味が悪すぎる。もう二度とするなよ」
どんな体位だったのか興味に惹かれたが、白鷺課長も社長の息子も詳しい内容を語ってくれないので、想像すらできない。恥ずかしさのあまりに、恋人を平手打ちするくらいの悪趣味な格好――しかも繋がったままできるものとなると、かなり限られそうだけど。
頭の中に、自分が知ってるアクロバティックな48手を思い描いていると、ものすごく小さな呟きが聞こえてきた。
「……済まなかった」
(――今の声は、さっきまで怒り狂っていた白鷺課長か?)
「なんで謝るんだよ。課長の嫌がることを、俺が無理やりしたのに」
「やめろって言う前に、先に手が出てしまった。しかも思ってた以上にクリーンヒットしたせいで、坊ちゃんの頬をそんなに腫らしてしまったのは、やっぱり俺が悪いからさ」
「キスひとつで、腫れがひくとしたら?」
「そんなこと、あるわけない…だろ」
ところどころ掠れた白鷺課長の声色は、何とも言えない感情の揺らぎを感じさせるようなものだった。艶めいたそれを聞いただけで、なぜだか胸がドキドキする。
「課長がキスしてくれたら、痛みが飛ぶって。ねぇしてよ」
「……わかった」
(キスしてる間はふたりとも目を閉じるはず。ちょっとくらいここから覗き見ても、バレやしないか……)
音を立てないように、そろりそろりと腰を上げて、長机からちょっとだけ頭を出し、声が聞こえている方向に視線を飛ばした。
俺の目に映ったものは、座ったままでいる社長の息子の肩に手をのせた白鷺課長が屈みこみ、顔を近づけるところだった。
目を開けたままでいる社長の息子は、唇が触れた瞬間を狙いすましたかのように、頬に当てていたハンカチらしきものを落として、白鷺課長の首に両腕をかける。
「ぅうっ!」
鼻にかかった呻き声と同時に、くちゅっという淫らな音がした。重ねられた唇は相手の呼吸を奪うようにぴったりと貼りつき、口内で互いの舌を絡ませているのが、見ているだけで分かった。
給湯室で覗き見てしまった白鷺課長のキスは、映画のワンシーンのように美しいものだったのに、目の前でおこなわれる互いを貪り合うキスは、アダルトビデオを見せられているような気分に陥った。
「あっ…ンン、は、ぁんっ」
聞いたことのない白鷺課長の甘い声に、思わず下半身が反応してしまう。それくらい、エロさを醸し出していた。
社長の息子はキスをしながら大きな片手で、白鷺課長の躰をまさぐった。ジャケットの下に器用に潜り込んだ手は、確実に敏感な部分に触れているんだろう。
感じるたびに吐息を漏らして躰をしならせているのに、白鷺課長はキスを止めようとしなかった。むしろ感じながら、楽しんでいるようにも見える。
「んぅうっ、ふっ…あっ」
(これ以上見ているのはヤバい。刺激が強すぎる――)
長机から出していた頭を低くして、最初のように膝を抱えた。
白鷺課長のエロい声、社長の息子の手から出る衣擦れの音、互いの舌を執拗に絡ませる水音など、目には見えなくても、濃厚な行為がおこなわれる音のオンパレードで、次は何が起こるんだろうかと、ついつい聞き入ってしまう。
「くっ…鉄平のエロ。昨日あれだけしたのに、まだ俺が欲しいのかよ」
根を上げたのは意外にも、社長の息子だった。ハアハアという呼吸音が、激しさを物語っていた。
「まったく。坊ちゃん、いい加減にお触り禁止だ。部署に戻るのに、余分な時間がかかってしまう」
あれだけハードなことをしていたのに、それを感じさせない白鷺課長の声。部署で社長の息子相手に文句を言うときと、同じフレーズだった。
「ズリぃよな、課長は。さっきまでのことが、なかったみたいな顔をしてさ。おっ勃ってるように、全然見えないんだから」
「白々しい顔をしていても、壮馬が欲しいことには変わりなからな。今度からは、TPOをわきまえてしてくれ」
ゴンッ!
「痛っ……」
多分、社長の息子の頭を殴ったらしい音がした。
「壮馬の馬鹿。さりげなく名前呼びしやがって。俺まで名前で呼んじゃったじゃないか」
「スルーされたからラッキーと思ってたのに。でも嬉しかった」
「なにが?」
「ここは会社なのに名前で呼んでくれたことも、俺を欲しがってくれたことも全部がっ!」
言い終える前に、ふたたび殴打する音がした。しかもさっきのものよりも威力があって、痛そうな音に聞こえた。
「坊ちゃん、調子に乗りすぎだ。あと5分で戻ってこいよ!」
扉を開く音と同時にかけられた白鷺課長の上擦った声は、照れを含んだ感じだった。
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