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この国のシステムは少し変わっている。
大抵の国では立場が弱く、権力者に嫁ぐことでしか地位を築くことのできないオメガが代々王冠 を受け継ぎ、玉座 に鎮座 するのである。
そしてアルファが王配 の位に収まり、次代を担うオメガを成す。こうして連綿 と王位はオメガに受け継がれ、今日 まで続いていた。
そのため他国では冷遇 されているオメガも、この国では厚遇 されている。
中でも王太子 は蝶 よ花よと愛でられ育つため、大抵の場合、天真爛漫 な性格に育つ。
ありていに言えば、周りの混乱などお構いなしの身勝手なワガママ坊ちゃんが出来上がるのだ。
今年十二歳になるアレンは、何の不幸か、そのワガママ王太子を探している。ただいま絶賛 行方不明中なのだ。
どうやら最低限の理性は働くらしく、女官 や侍従 たちは屋敷の外には出ていないだろうと踏んでいたが、そういう予測が出来るということは過去にも失踪 歴があるということだ。
その所為で、屋敷の中が大騒ぎになっていることなどつゆ知らず。
(なぜアルファの僕が、そんな協調 性のない相手と婚約しなければならないんだ)
しかも婚約の顔合わせという今日の日に、肝心の顔を合わせることもなく行方不明ときた。
苛立っても仕方がない。この国に生を享 けた不運を嘆 くしかない。他の国ではアルファこそが権力の頂点に君臨 しているが、この国ではそうではないというだけ。
別にちやほやされたいというわけではない。オメガが不当な扱いを受けていないというだけで、反対にアルファの立場が弱いというわけではないのだ。
それどころかオメガと同じく希少種 だから、アレンのように裕福 な家で大事に育てられている。
だから別に風変りなこの国の伝統 を否定したいわけではなく、ただ単純に、貴族の子息である自分が、それ以前に一応客人のはずの自分が、使用人たちに混じって人探しをしなくてはらならない状況が不満なのだ。
それもこれもすべて、周りの迷惑を顧 みずに自由奔放 に動き回る落ち着きのないオメガ王太子の所為である。
かくなる上は使用人たちより先に張本人を見つけ出し、一言文句を言ってやらなければ気が済まない。
そう考えることで留飲 を下げたアレンは、広大な屋敷内を当 て所 もなく歩き回っていたが、ふいに真横から吹き付けた風に前髪を弄 ばれ立ち止まった。
廊下に等間隔 に並ぶ、上げ下げ窓のうち一つが開けっ放しになっている。
(なぜこの窓だけ……?)
そう疑問を抱いた刹那 、ちょうどその窓の近くに見える広葉樹 の梢 が大きく揺れ動き、小さな塊が窓から飛び込んできた。
「うわあっ」
育ちの良いアレンは今日この時まで、扉以外から屋内に入ってくる人物を見たことがなかった。
そして、この時のアレンは自分がみっともなく尻もちをついてしまった羞恥心 もあって頭に血が上り、品のない、しかも葉っぱだらけで小汚い少年に一言物申してやらなければ気が済まなかった。
「な、なんなんだ! 君は! 猫みたいに窓から入ってくるなんて! まさか泥棒 じゃあるまい……な」
矢継ぎ早にまくし立てながら立ち上がり、改めて少年の顔を真正面から見つめた瞬間、アレンの中から一時すべての感情が消え失せた。
真っ先に目を奪われたのは、エメラルドの色をした瞳。くりくりとして愛らしく、ぱちぱちと瞬きをするたびに、髪色と同じ薄青の長いまつ毛が艶 めく。
確かに今は汚れているが、頬はうっすら桜色に色づき、ふっくらとした唇も相まって、まるで人形のように可愛らしい。
だから余計にひっかき傷だらけの細腕が痛々しかった。腕に抱いた子猫の所為だろうか。どうやら野生らしく、今も少年の腕から逃れようともがき、一瞬の隙を付いてするりと抜け出してしまった。
猫を追いかけて振り向けば、ちょうど進行方向から使用人の一人が近づいてくるところだった。
「殿下 ! またそのように泥だらけにな……っ、うわっ、なんだこの猫は!」
鬼の形相で歩み寄る使用人は、足元で逃げ惑う子猫に気付いて立ち止まる。
「ダニー、その子猫、木登りしてたら下りられなくなっちゃったみたいなんだ! どうにかして、外に出してやって!」
「ええっ、全く毎度毎度無理をおっしゃる。いいですか! 私が猫を逃がして戻ってくるまでそこを動いてはなりませんよ! アレン様! そちらが王太子クリストフ様でございます。重ね重ね恐縮 ですが、殿下が逃げ出さないよう見張っていてくださいませ!」
王太子の命に対して不服を唱える一方、アレンにも難題を押し付けて去っていく。
「アレン?」
背中に溌剌 とした声がかかったが、アレンは石のように固まってしまっていた。
薄汚れている割に実は美少年な王太子に未だ見惚れているという理由ではもちろんなく、頭の中には先ほどの自分の発言が繰り返されている。
あくまでも理性的に忠言するつもりが、怒声を浴びせた挙句、一国の王太子を泥棒呼ばわりしてしまった。
子供のすることを許容してもらえる範疇 を優に超えている。アレン本人どころか、一族ともども処罰されても文句は言えない。
「も、申し訳ございません。殿下! まさか殿下とは思いもよらず、無礼な言動をしてしまいまいた!」
色を失いながらも方膝をついて跪 き、どうにか家族には被害が及ばないよう誠心誠意謝罪する。
硬直していたかと思えば急に動き出したので面食らったのか、目を丸くしていた王太子、クリストフがしゃがみ込んで目線を合わせてきた。
「別に怒ってないぞ。ダニー……さっきの侍従長のダニエルにもよく言われるんだ。そんなに泥まみれになって、夜暗 に乗じて盗みでも働くおつもりですかって」
教育係に任ぜられてるとはいえ結構な罵倒だが、言われた本人は思い出し笑いまでしてずいぶん楽しそうだ。
まったく気にしている素振りがない。応えている様子がないと捉えると、ダニエルとやらに少々同情してしまうが。
「それより、お前がアレンなんだな? 俺の、将来の旦那 だよな」
「はい。その通りです」
アレンが立候補 したわけではないが、そう決まっている。
上からの命令なので拒めるはずもないのだが、これほどの美少年ならばアレンとしても悪い話ではないと思えた。まあ、若干元気が有り余っているらしい一面が気がかりではあるが。
「ふうん。そっか」
アレンが満更 でもない気持ちでいる一方、なぜかクリストフの声色は沈んだ。
驚いてお辞儀していた頭をあげると、クリストフの憐れむ様な顔が視界に入ってますます当惑してしまう。
「可哀想に」
続けざまに呟かれた言葉の意味を、当時のアレンは知る由もなかった。
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