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 転寝(うたたね)から目覚めたアレンは下向(したむ)いて落ちかけた眼鏡の位置を正しながら、床に落ちていた本を拾い上げた。 (まさか出会ったころの夢を見るとは……)  懐かしさについ顔をほころばせていると、にわかに扉がノックされた。 「失礼いたします。旦那様。また陛下(へいか)御姿(おすがた)が見えなくなってしまいました」  蒼白(そうはく)しながらも真っ先にアレンを頼りにくるあたり、経験の浅い女官の彼女ですら対処の仕方に慣れてきたと言えるだろう。  子供の頃から突発(とっぱつ)的に発症するクリストフの失踪癖は、王位を継承(けいしょう)した今でも続いている。 「わかった。クリスの事は僕に任せて、通常の仕事に戻っていいよ」  ほっとした様子で去っていく女官を見送り、アレンは近くの窓を開くと、風に乗って入り込む様々な匂いの中から、特別な芳香(ほうこう)をかぎ分けた。  匂いに導かれるようにしてたどり着いたのは、庭園の横にひっそりと(たたず)む物置だった。  土の匂いの中に花のような甘い香りが一つだけ混ざっている。まるでたった一輪だけ咲く可憐(かれん)な花のようだが、匂いを放つ人物も花にたとえるに相応しい美麗(びれい)な容姿を有している。  今は扉側に背を向けているが、(りん)とした立ち姿はたとえ後ろ姿であっても美しい。 「アレン。連れ戻したい気持ちは分かるがもうちょっと待ってくれ」  (つがい)の、互いの匂いをかぎ当てる能力は実に便利である。クリストフの方も、アレンが迎えに来たことにとっくに気付いていたようだ。  アレンは聞き入れてやる意を示すために、それ以上歩を進めることなく木枠に寄りかかった。 「悩んでるんですね。ジョーンズ王の晩餐(ばんさん)会に参加すべきか否か」  心なしか普段より落ちているように見える肩が震えた。笑ったのだ。 「お前には何でもお見通しだな。でもちょっと違う」  ダンスのターンでも決めるかのように軽やかに振り返り、クリストフは腕組みをした。 「俺は参加するつもりでいるのだが、以前のような手法で来るのか、それとも今度こそ食事が出ない可能性もある。その場合、いかにすれば最後まで腹の虫を鳴らさずに済むかを考えていたんだ」  付き合いも十年以上に及ぶ今では、彼の失踪には必ず何かしらの理由があることも分かっていた。大抵、通りすがりに救助を求めていそうな何かを見つけてしまったとき、あるいは一人でじっくり思案(しあん)したいときだ。  当時は未だ、気軽に悩みを打ち明けられるような相手がいなかったのだから致し方ないと言えるが、今ではアレンがいるのだ。  少しは頼ってくれればよいのにとアレンはぼやく。そうすると決まって、この程度の事でお前を煩わせるわけにはいかない。という非常に水臭い答えが返ってくるのだ。 「でもこうして聞いてしまいましたし、差し出がましくも助言いたしますと、参加する必要自体ないですね」 「そ、そんなわけにはいかないだろう。せっかくこうして招待を受けたのだから」  慌てた様子で言ってから、何かを閃いたような顔をした。 「もしかして、前の事を気にしているのか? あ、あれは仕方がない。母の頃など、食事すら用意されなかったこともあるくらいだ。その点、床の上とはいえ、デザートまで振舞われたのだから、マシな方……」 「客人に床で食事をさせることのどこがマシなんですか?」 「だ、だが、ほら、今回はお前も招待されているし」 「それはそうでしょうね。いくら自国で立場の弱いオメガだからといって、賓客(ひんきゃく)に対する振舞いとしてあまりにも無礼です。あれ以降、あの国の情勢(じょうせい)は悪くなる一方だそうじゃないですか」  すると慌てていたクリストフが急に半眼になって探るような視線を送ってきた。 「お前、何かしただろう」 「何もしていませんよ。しいて言うなら、をしたくらいです」 「つまり悪評(あくひょう)を流して外交を悪化させたわけか」 「どちらにせよ身から出た(さび)ですよね? 今更焦ってもてなそうとしたって手遅れですよ。そういうわけですから参加の必要は皆無です。わかりましたね?」  反論できなくなったのか、クリストフは渋面を浮かべてため息を吐いた。 「まったく敵に回したくない男だよ。お前は」 「そういう男に育てたのは貴方ですよ?」 「なっ、なんだそれ。人の所為にするな!」  心外だと言いたげに憤慨(ふんがい)するが、実際その通りなのだ。  お互い成人を迎え結婚してから、出会った日に向けられた不憫(ふびん)がるような視線の意味を思い知った。  国内では手厚く保護されているオメガも、一度(ひとたび)国外に出ればその国の尺度(しゃくど)で見られてしまう。  非礼(ひれい)な扱いを受けることは日常茶飯事で、その伴侶である王配には「オメガに屈する腰抜けアルファ」の烙印(らくいん)が押される。これが、あの日の憐みの理由だったのだ。 「可哀想にと、あの日貴方はおっしゃった」  声色に静かな怒気が(はら)んだことを敏感に感じ取り、クリストフは一歩後ろに下がった。構わず距離を詰めて抱き寄せる。 「一目惚れした相手に憐れまれた、あの日の僕の気持ち、貴方には分からないでしょう」 「えっ……わぷ」  顔を上げようとするのを後ろ頭に添えた手で抑え込む。 「しかもはじめて恋をした相手にですよ? 誰だって、僕みたいに奮起(ふんき)すると思いませんか? 僕は貴方を絶対に幸せにしてみせると誓いました。それを実行しているだけです。何か間違えていますか?」  さらに結婚して実情(じつじょう)を目の当たりにしたら、何が何でも幸せにしてやろうと思って当然だ。その為に様々な知識を詰め込み、人脈を築いてきた。 「全部貴方の所為なんですから、批難される謂れはございません。そういうことですから、おとなしく戻りましょうね。皆が心配しています」  クリストフは言い負かされて悔しいのか照れくさいのか、赤い顔で不満そうに唇を尖らせながらも頷き、おとなしくアレンに手を引かれて歩き出した。 終わり

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