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 敬が『日本画の美青年』だとしたら、隆文は『ロマンス映画の王子様』そのものだ。  身長百八十を超える長身、堅強な骨格のバランスの取れた体躯。清涼感のある繊細な栗色の髪。印象的な、彫の深い目元。優し気な二重の双眸は、物憂げなまつ毛に彩られている。通った鼻筋の下で引き締まる唇が、甘めの顔立ちにほどよい雄性を滲ませていた。  隆文は大学四年生の夏に俳優としてデビューし、瞬く間に人気を伸ばしていった。ドラマにCMに引っ張りだこ。半裸で表紙を飾る女性誌は飛ぶように売れ、写真が主体のSNSのフォロワー数はついに三百万人を突破した。  秀でた容姿だけでなく演技力も随一で、ラブコメヒロインの相手から、君主のために切腹をする武士まで幅広くこなす。若手俳優にとって登竜門の賞も受賞し、女性人気はもちろん、男性ファンも多い。  そんな飛ぶ鳥を落とす勢いの人気俳優は今。  敬の1Kのアパートの、寝室兼居間にて。  Tシャツにジャージというラフな部屋着で。  長い足を折りたたみ正座をして、せっせせっせと敬の靴下をふたつ一組にまとめていた。 (あのSNSのキメキメとは大違いだ)  敬の頬が思わず緩む。  同じく帰宅して部屋着に着替えている敬は、夕食後の一服のため、狭いキッチン台でコーヒーの用意をしていた。 「俺にはお馴染みの姿だけど、ファンが見たら驚くだろうな」  キッチンから声をかけると、 「ん?」  洗濯物を手際よくたたんでいた隆文が、顔をあげる。さらりと前髪が揺れる。ハテナを乗せた笑顔は、 (相変わらず男前がすぎる……)  見慣れてもかっこいい男だ。 「大人気の俳優が忙しい合間を縫って遊びに行くのは、おしゃれなバーじゃなく学生時代からの男友達のアパート」 「うん」 「夕飯も食べて大抵そのまま泊まっていく」 「ああ」 「そしてなんと、整理整頓が苦手なその友達の洗濯物を、せっせとたたんでる」 「はは、俺が好きでやってることだからねえ」 「……お、おう」  ドキ、と敬の心臓が小さく跳ねた。他愛ない『好き』になぜか反応してしまったようだ。そんな己を華麗にスルーし、敬は続けて言う。 「いやあ、そういうお前を、ファンは知らないんだろうなって」 (――そうきっと、隆文のファンだというあの先輩も)    隆文は顔をほころばせ落ち着いた低音で、 「ここにいる俺が俺だけど、確かにファンの方たちからしたら想像つかないかも。俳優の自分も本当だけどね。夢を与える仕事だから、ファンには『俳優としての夏城隆文』しか見せてないからなあ」  敬は、俺には素のお前を見せてるんだ? と軽口を返そうとしたが、それは喉元で詰まってしまった。 「プロ意識がすごい!」  代わりに出したこれも本心だ、嘘ではない。  インスタントコーヒーの粉を入れたマグカップに、手早くケトルの湯を注ぐ。自分の方は満杯、隆文の方は半分まで。いい香りが立ち上る。隆文の方にだけ牛乳を注いだ。昔から隆文はコーヒーと牛乳半々が好みだ。  牛乳パックを冷蔵庫に戻し、マグカップを携えて寝室兼居間へと移動する。クローゼットに洗濯物を片付けてくれている隆文の後ろを通るとき、サンキュ、と声をかけた。  敬は、学生の頃からずっとこの部屋に住み続けていた。部屋の真ん中にローテーブルを置き、ベランダに沿ってシングルベッドを据えてある。ベッドから見て右奥にクローゼット。真ん中のテーブルの右側に大きなクッション。左側にテレビ。その他、仕事の資料の書籍や細々したものが詰まった棚などなど。 「はい、コーヒーどうぞ」 「ありがとー」  敬がテーブルにマグカップを置くと、洗濯物を片付けた隆文もやってきた。あぐらをかいてクッションに座る。ぺしゃんとクッションが薄くなった。彼が学生時代に持ち込んできたそれは、定期的に洗濯しているから清潔ではあるけど、ちょっとくたびれている。  敬もテーブルとベッドの隙間、ラグを敷いてある床であぐらをかいた。これがそれぞれの定位置だ。狭い部屋なので、互いの膝と膝が直角に、触れ合いそうなほど距離が近い。 「やっぱりここが一番いいなあ」  牛乳入りコーヒーを一口飲んで、隆文がしみじみしたトーンで呟いた。リラックスしている様子が、気をゆるめた大型犬みたいでほほえましい。  敬はベッドにもたれてのーんびり熱いコーヒーをすする。特に深く考えず、「ずっと使ってるもんな、そのクッション」そう返した。  すると――、隆文が真剣な顔つきで見つめてきた。 「クッションっていうか。ここは、学生の頃から俳優になった今もずっと、変わらず敬といっしょにいる処だから。敬といっしょだから、ここが一番いいんだよ」  敬の鼓動がどきんと跳ねた。思いもよらぬ表情、言い含めるような口調に頬が熱くなる。  口に含んでいたコーヒーをごくりと飲み込む。 (なに、その言葉。その言い方――)  思わず目をそらしてしまった。体がもぞもぞする。あぐらをかいたまま座りなおすと、じわり、隆文がにじり寄ってきた。膝同士が薄く触れあった。瞬間、敬は膝を離し思わず早口でまくし立てた。 「そ、そっかそっか。忙しい俳優さんのひとときの息抜きになってるなら幸い」 「お前に俳優さんって言われるの、やだ」  言葉を遮られて反射的に隆文を見ると、切ない瞳とかち合った。「ごめん……」と敬が謝ったら、隆文はハッとして「こっちこそごめん、冗談だよ」と笑った。それでも残るいびつな空気がいたたまれない。  敬は空気を変えようとことさら元気な声で、 「そうそう、今日さ、偶然お前のファンに会ったんだ!」  と、隆文に向き直った。 「へえ?」  軽く目を見開いた隆文に先ほどの雰囲気は見当たらず、いつもの穏やかな表情だった。  敬はほっとして、今日、隆文のファンに出会ったことを話しはじめた。

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