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第39話

ビジネスホテル内の各階に設けられているちょっとした談話室。 そこには3台の自販機とソファーが置かれている。 この日の撮影を終えた未来は、自販機で今しがた買ったペットボトルに口をつけたのち、深い溜息を一つ吐いた。   「はぁ~」 疲れた…。 まさかキスをする代わりに付き合えなんて言われるとは思わず、何とかのらりくらりとはぐらかせ免れはしたが、本当にキスなんかする前で良かったと未来は思った。 だってしてしまった後では断りずらくなる。 本当に危なかったなと、今度は安堵の溜息を吐いていると。   「良かったね、逃げ切れて」 「っぅわっ?!と、斗亜君っ!?」 いつ現れたのか、それとも最初から居たが気づかなかったのか、どちらにせよ未来は思わず驚愕の声を上げた。   「本当に積極的だなぁ、野村さんは。でも君もその気がないならもっとはっきり言わなきゃ駄目だよ?あぁいうタイプは変に自分に自信持っちゃってるからね」 未来の隣に、しかし少し距離を設けて腰を降ろした斗亜は柔らかい独特の笑みを浮かべながら未来にそう言った。   「っ、なっ!?聞いてたのっ?」 「聞こえてきたの。盗み聞きとか趣味じゃないから勘違いしないでね」 まさか百花とのやりとりを斗亜に聞かれていたとは思わず驚くが、確かに自分たちはこそこそとやりとりしていた訳ではないので、それなら仕方がないと未来は納得するがでもそれならば   「それなら助けてくれれば良かったのに。意地悪だね、斗亜君って」 ジト目で斗亜を見遣りながら未来が言うと、斗亜は少しおどけた表情を浮かべてそれに応えた。   「え~、だって君も最初は彼女の誘いに乗ってたし、そのつもりがあるのかと思ったから」 飄々と言う斗亜に、一体彼はどこから聞いていたのか、事の最初から知っている斗亜に少し気恥しさを感じるが、それより何より何でそうなるのだと未来は目を見開き斗亜に抗議した。   「っ、何それ。誘いってキスの練習の?そのつもりって僕が百花ちゃんと付き合うつもりだと思ったって事?」 「うん。だってそうでしょ?じゃなきゃキスシーンの練習なんて下心なしに普通乗らなくない?だからきっと野村さんも付き合ってくれるって思ったんだと思うし」 確かに。 改めてそう言われてみればそうだが、でも自分としてはあくまで本当に練習したかっただけで、下心なんて一切なかったんだけどなと未来は思うが、しかし   「か、勘違いされても仕方ないかもしれないけどっ、でも僕は純粋に練習したかっただけだよっ」 「ふ~ん。じゃぁ下心があったのは野村さんだけって事だ?ふっ、なら可哀想だね、彼女。君が誘いに乗ったりするから期待しただろうに。結果は玉砕しちゃうなんて哀れだよね」 百花に向けて同情の言葉と眼差しをした斗亜に、未来は少しばかりバツの悪さを感じて言葉を詰まらせた。   「っ、そ、そうだね。でも悪かったって思ってるよ、僕だってっ」 しかしまさか百花にそんな下心があるなんて思いもしなかった。 だが百花の淡い恋心を利用したと言わんばかりの斗亜の言い方に、未来は口端を尖らせつつも謝罪の言葉を口にした。   「何で?そんなの思う必要ないよ。身の程知らずな馬鹿な彼女の自業自得だよ」 「え…?」 責めてくるとばかり思っていた斗亜の台詞が、意外にもその真逆で、未来はその言葉の意味をすぐには理解できないていた。 が、そんな未来を他所に斗亜は瞳を少し煌めかせ、綺麗な笑みを未来に向けた。   「そうだ。良い事思い付いた」 「は?良い事?」 「うん。ねぇ未來。僕が練習相手になってあげよっか?」 「は…?」 少しだけ開いていた未来と斗亜の距離。 斗亜はそれを詰めて座り直し、未来の瞳を優しく見つめた。   「僕なら付き合ってとかそんな面倒臭い事言わないし、君も気兼ねしなくてすむでしょ?ねぇ、どうかな?」 綺麗な綺麗な斗亜の笑み。 未来はその瞳に吸い込まれるような感覚を覚えた。 ※※※ 7畳程の部屋にはシングルベッドが一つと、こじんまりとしたドレッサーが置かれている。 よくあるビジネスホテルの一室。 流れでなぜか促されるまま着いてきてしまった斗亜の部屋。 しかし自分はどうしたらいいのか、いや、本当にどうしようと、未来は入ったその部屋の入口で瞳を揺らし、立ったまま思考を巡らしていた。 「ふっ、そんな所に立ってないでこっち座りなよ」 話かけなければいっこうに動く気配のない未来に、斗亜は見兼ねて手招きした。   「あ、う、うん…」 ベッドに座る斗亜が、ポンポンと叩いて示した彼の隣のスペースに、未来はおずおずと腰を降ろした。 その表情はいつもと違って少し強ばって斗亜の目には映った。   「もしかして緊張してる?大丈夫、リラックスして?」 優しい笑顔と声色でそう言われても、リラックスなどそんな簡単に出来る筈ないだろうと未来が思っていると   「えっ…!」 「大丈夫、怖くないから。ね?」   ふわりと斗亜に抱きしめられて、未来の強ばった体が更に固まるが、意外にも力強い斗亜の腕が未来をしっかりと抱きしめる。 暖かい斗亜の温もりと、先程と同じ吸い込まれてしまいそうになる妖しい彼の瞳に、未来はゆっくりとその身を任せた。 ※※※   「まじっ?嘘だろっ?!お前良く出来たなっ。男とキスなんてっ」 風呂も済ませ宿題も済ませた琉空は、自室にて漫画を読みながら寛いでいた所、iPhoneが着信を知らせた。 そして事の経緯を未来から聞いた琉空は、冒頭の反応を返したのである。 「ん~、それがさ、意外と平気だったんだよね。僕も男とキスなんて絶対無理って思ってたんだけど、全然不快感はなかったんだよね。何でだろ?斗亜君が綺麗だからかな?」 飄々とした声音で話す未来に、琉空は引きつった表情を浮かべた。   「…いや…、まぁでも、お前がいいならいいけど…」 そう。未来がいいのであればそれでいい。 自分はどんな綺麗で可愛い男でも、絶対無理な自信があるので、未来の気持ちに同調は出来ないがそれは人それぞれだと思う。 がしかし、未来はそっち派なのかな?という疑惑が琉空の脳裏に浮かんでしまう。 がしかし、たかがキス。それくらいでそうと決めるのは時期尚早か。 いやいやいやっ、そんな事はない、やはり自分は絶対嫌だ、男とキスなんて絶対あり得ないっ!と、思い改めるが、となるとやはり未来は…。 そうぐるぐると琉空の中で思考が巡らされたが、しかし未来の事など考えたって自分がわかるわけがない。 もういいや、寝ようと、琉空は手にしていた漫画を棚にしまってベッドに横になった。

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