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第102話

撮影スタジオの待機スペース。 未来はパイプ椅子に座り台本を膝に広げながら、先程の安藤の言葉を思い返していた。 今我慢する事がきっと先の満足になる。 確かにたかが飛び降りるシーンを剥きになって自分でやって怪我したとしたら、きっとドラマは降板だしこの映画の公開も大幅に遅れるだろう。 そうなったら色んな人に迷惑をかける。 それにその怪我がもし完治しないものになったら、役者人生も夢もなにもかも全部お仕舞いになる。 だけど、だけど僕はそれでもやっぱり自分の役は自分でやりたい。 そう未来は思った。 確かに将来の自分は大事だし、それに今が人生のウィークポイントなんかじゃない。 でも、今の自分を自分で誇れなきゃ、過去にも未來にも失礼じゃないかと、そう未来が強く思っていると   「撮影入りまぁす!未來君、真希ちゃんスタンバイお願いしまぁす!!」 ひょこりと現れたスタッフの声に、未来と高村の声が重なった。   「「は~い」」 スタッフの誘導の元、撮影場所まで移動する間未来の頭の中は今から行う撮影で埋め尽くされる。 スタントを使う事をつい先程湊に了承したばかり。 だから今更やはり使いたくないなんて駄々は捏ねられない。 だけど、いや、だったらスタントシーンなんか記憶に残らないくらいの演技を自分がしてやればいい。 たかが飛び降りるだけのシーンなど、そんなものなかったと、そう皆に思わせるくらいの演技をすればいいだけだと、未来はすっと深く息を吸い込むと、自分の中のスイッチをかちゃりと切り替えた。 「なんか、凄いオーラですね、未來君」   モニター越しに未来を見ていた助監督が、漂う未来の圧倒的な雰囲気を感じてそう湊にぽつりと呟いた。 勿論そう思ったのは湊も、そしてその場で共に演じている高村も同じ、いや、それ以上に未来のオーラにあてられていた。 確かに未来の演技力は高いと高村も感じていた。 だけどしかし、こんなにも、少しでも気を抜いてしまったら全てのまれてしまうような感覚を、今まで感じた事がなかった。 何故自分はこんな子供相手に鳥肌などを立てているのだと、高村は強く拳を握り思った。   「いや~、ベテラン俳優でもこんな空気中々作れませんよね?」 瞳を煌めかせて驚きの声をあげる助監督の男に、湊はふっと思わず笑ってそうだねと相槌を打った。 気をされる程の未来の演技。 それを見て思うのは、彼がスタントを使う事が気に入らないという主張だと湊は感じた。 そして未来がスタントシーンを圧っしようとしている事に気づいた湊は、大した子役だと、どこか満足気な笑みを浮かべていた。 「カットー!チェックお願いしまぁす!」 カチンコを鳴らす音と共に助監督の男がそう声を張った。 未来はその声に肩の力をすっと抜き、上手く出来ただろうか、いや、自信はある。 いい演技が出来ていた筈だと、そう確信めいたものを感じていると 「未來く~んっ。凄いっ、凄く良かったよっ。俺なんか凄く感動しちゃったぁ~っ」 未来の傍まで掛けてきた助監督の男は、興奮気味にそう言って未来を称えた。   「あ、どうも、ありがとうございます」 未来は礼を口にしながら、助監督の今までに見た事のない高いテンションにほっと胸を撫で下ろし、良かったと心中で安心した。 そんな未来を少し離れた場所で見ていた高村は、最初から最後まで未来から目が離せなかった自分を悔しく思っていた。 未来の演技と存在に高村は強く惹き付けられた。 あんな子供にと思うがその考えはすぐに改められた。 だって子供とか大人とかそんなのは関係ない。 子供だって未来は皆に認知されている立派な俳優。 自分の様な殆ど無名な俳優とは格が違って当然だ。 だから高村は思った。 もっともっと頑張らなければと、そう人知れず闘志を燃やした。 未来が再び待機スペースへと戻っていた途中。 向かいから歩いてくる栗木に、一応未来が軽い会釈をすると   「中々いい演技だったわよ」 すれ違いざまにぽつりとそう言われて、まさか栗木に話かけて貰えるとは思わずいた未来は、耳を疑ってしまった事で反応が少し遅れてしまう。   「え、あ、ありがとうございます」 話しかけられた事もそうだが、見ていた事も非常に意外だと未来が思っていると   「さっきの演技、感情が凄くよく伝わってきた。あんた、私の知ってる子役の中で、唯一ちゃんとまともな演技出来る子ね」 これは都合の良い夢ではないかと一瞬未来は思った。 だって嘘でしょ、あの栗木に誉めてもらえるなんて、青天の霹靂すぎるがしかし、かなり嬉しいと未来が心中でガッツポーズをしていると 「でも勘違いしないでよ。あんたなんてまだまだ。子供だから凄いって言われてるだけ。今の私のいい演技ってのも、子役の中ではって事だから」 「…あ、はい…」 なんだろうこれは。 自分は褒められたのではなく、結局駄目だしを貰っただけだったんだろうか。 そう未来が訳が分からず戸惑っている様を、栗木は未来にバレない程度にくすりと笑った。 そして再びいつもの仏頂面に戻ると   「だから、満足なんてしちゃだめよ?僕は天才っとかって今の自分に満足しちゃったらそれまで。それ以上にはなれないから。ま、あんたがそれでいいなら別にいいんだけどね」 じゃぁお疲れ様、と、そう言って去っていく栗木の背中に、未来は咄嗟にお疲れ様でしたと投げかけた。 そして栗木に言われた台詞を思い返した。 なんだそれと未来は思った。 だってそんなのいいわけがない。 だって自分は天才だけど、だからといって今の自分に満足した事など一度だってなかった。 寧ろ天才だから、もっともっと上を目指したい。 もっともっと上にいかなければ、天才なんて呼ばれなくなってしまう。 そしたら、それは加藤未來ではない。 いや、そう呼ばれなくなった加藤未來なんて、自分がきっと許せない。 だから僕は満足なんかしない。夢を叶えるまでは絶対にと、未来はそう強く胸に誓った。

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