13 / 16

第13話

「……なんだよ。強姦の加害者に何の用? 慰謝料が必要なら都合つけるけど?」 「そんな話をしたいんじゃないんです」 「もうきみには近づかないよ。個人的に話しかけたりもしない。それでいいんだろう」 「…困ります」 「なんで」 「中村さん」  亜弓は深く息を吸い込んで肺を満たした。それを吐き出すが、胸に痞えたものは消えてくれそうにない。それは痛みにも似た。 「俺」  言いかけたところへ、例のバイトの女の子が注文を取りにきた。双方昼食を取る気分ではなくなって、お冷を受け取っただけで注文は拒む。彼女はまたちらちらと中村を振り返り、それが今日の亜弓にはひどく腹立たしかった。 「…中村さんは」  どう話そうかと論点に迷う。座った席が少し奥まった場所なので、いくらかは話は切り出しやすい。それでも、核心を避けて話を始めた。 「秀明、出て行きました。一ヶ月前、あの夜」  中村は少し目を瞠った。 「…どうして。追い出したの」 「違います。自発的に…翌朝起きたらいませんでした」 「……」 「中村さんは」  さっき言いかけたことを言おうとして、ためって口ごもる。あまり大きな声で言えるようなことではない。誰が聞き耳を立てているとも思わないが、自然、声量が落ちる。 「…もう俺を抱かないんですか」 「……」  中村はくちびるを噛んだ。 「…もう、勘弁してくれ」 「どうしてですか。俺のこといやになったんですか」 「いやだよ」  力ない即答は、亜弓を傷つけるには十分な重みを持った。けれど中村の真意は別の場所にあって。 「……いやだよ、もう…亜弓を傷つけて、泣かせて、怯えさせて……。でも傍にいたらそうしてしまう、止められない。失恋するよりその方が怖い。苦しい、もうやめたい」  中村はうなだれ、肘をついて指を組んだ手の上に瞼を落とした。亜弓はかける言葉が見つからなかった。 「…僕はちっとも大人じゃない」  中村は苦しげに続けた。 「みっともないくらいに独占欲が強くて、いやになる。手に入れられそうな距離にいれば、傷つけても自分のものにしたいと思う」  亜弓から奪えたと思っていたものは、何一つこの手元に残っていないように思える。 「どうしても僕のものにならないなら、傍にいないでくれ」  ――誰かのものになるとかならないとか、この人にとっての恋愛とはそういうものなのか。  そう思うと、亜弓には少し悲しい気がする。  中村の様子は疲れきっていた。亜弓の存在を黙殺するための努力は、中村の神経を相当すり減らしたに違いない。  手持ち無沙汰な沈黙を挟んで、亜弓は呟くように言った。 「…秀明に、いろんなこと気づかされたんです、俺」  のろのろと中村は頭を上げた。 「どれだけ訊かれても自分のことを話そうとしなかったことや、中村さんとの関係を深く考えようとしなかったことは、ただ脅されて抱かれるだけの関係に過ぎないからだと俺は思ってたけど」  亜弓は、この真冬に飲むには冷たすぎるお冷のグラスを握り締めた。 「…それは、中村さんだからだったんだって」 「僕…だから?」  視線を合わせないよう、慎重に頷く。 「俺の過去を知られたら、中村さんに嫌われるんじゃないかって。中村さんとの関係を深く考え始めたら、そんな関係じゃ満足できなくなって、却って傍にもいられなくなるんじゃないかって。思って……怖くて――」  亜弓は意を決し、戸惑いを隠せない中村と目を合わせた。この話し合いに求めた結論は未だ出ないまま、自らの気持ちだけを正直に、まっすぐにぶつける。 「……好きです」 「あ…」 「中村さんが。好きです」  長い沈黙が落ちた。中村は不安げに亜弓を見つめている。 「信じてくれませんか」  問われ、中村は小さく首を振った。 「信じたい…けど、信じられない」  口元を押さえて俯いてしまう。 「だって僕は酷いことばかり……最初は一服盛ってその間にやったんだし、その後も脅迫して従わせて」 「――そのあたりは俺も許す気はありませんけど」 「許せない相手を好きになれる?」 「だから中村さんには、これから償ってもらうつもりです」 「これから――」 「このまま俺を無視し通して逃げるなんて、させませんよ」  中村は顔を上げ、不意にテーブルを挟んで長い腕を亜弓に伸ばしてきた。体温の低い冷たい指先が亜弓の頬に触れる。 「…殴って…ごめん、痛かった?」 「ものすごく。でもとっくに治りました」 「二度としない」 「そうしてください」 「だから――」  真摯な眼差しが亜弓の胸を打つ。亜弓はそっと微笑んだ。 「傍にいてくれ」 「…そうさせてください」

ともだちにシェアしよう!