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人間未満と手繋ぐばけもの
ものすごーく真剣な顔でものすごーく嫌そうに『おまえに相談がある』だなんて言うもんだからさぁ。
え、どったの? うっかり詐欺かなんかに引っかかって借金背負っちゃったとかそう言う話? 固定資産税が払えないとか? いやー別に腐る程あるわりに使い道のないおれの貯金、貸したげてもいいけどね、利子はタイラさんの身体がいいなぁ。くらいまでは思ったし実際に口にしたのに、もっと嫌そうに息を吐いたタイラさんは、割合真剣にこう告げたわけだ。
『余所行きの服を選んでほしい』
うん。何言ってんのこのひと、って思ったおれは悪くないよ。だっていきなりそんな真剣な顔で、お洒落着が買いたいんだ! とか言われてごらんよ。まあ、普通は言われないよ。おれとタイラさんの生活なんてだいたい全部普通じゃないけど、それにしたって予想外だ。
ともあれ、なんとか意志の疎通をこなしたおれたちは、平日の真昼間にお洋服を買いに出かけることとなったわけだ。字面はかわいいけどねー、これが結構大変だ。推して知るべし、なんとタイラさんは基本的には幽霊ホイホイの呪いがかかったままなのである。
トワコ、まだ全然元気だからねー。いい加減どうにか死んでほしいんだけど、最近はまたぶり返してきて水場くらいには侵入するようになってきたし。ほんと勘弁してほしいトワコ。
だらだらと向かった先は、郊外の若干閑散としたショッピングモールだ。
デパートって言うべき? なんていうか、二十年前くらいならちょっとは流行ってたかもね、って感じの絶妙な寂れ方をしている。
もっと都心の方に行けば、新しい店は山ほどある。でもタイラさんは人混みを嫌う。建物と人間の密集地を嫌う。その理由は勿論、人間と建物に紛れてタイラさんに手を伸ばす『人以外のもの』を避ける為だ。
ま、おれもあんまり人間好きじゃないし、ちょうどいいけどね。
おれたちを送ってくれた藍ちゃんは、仕事終わってからでいいなら迎えに来れるよ、と颯爽と愛車を走らせ去っていった。
うーん、相変わらずさっぱりしていていいよね、藍ちゃん。
本当は人間の湿っぽいところがちゃんと残ってるのに、藍ちゃんはわざとからりとして見せる。すっかり干からびてカラッカラのおれからしてみたら、藍ちゃんの虚勢のようなプライドはちょっとかわいいとさえ思う。
今日もじっとりじめじめした感じのタイラさんとは大違い。いやー……おれが言うのも何だけど、タイラさんはもうちょいしゃきっとしてきりっとした方がいいんじゃないの? って思うけどね。
「てーかさー、べつにおれもオシャレにびんかーんって感じでもないよー? 流行とかしらんもん」
人気のないフロアの地図を眺めるタイラさんは、振り返らずにじめっとした声を絞り出す。
「いや俺よりはマシだ。絶対にマシだ。だって俺はいまお前が着てるそのふわっとした上着の名前すら知らない」
「えー。おれだって知らないけどー。こんなん、適当にその辺のショップでなんか似合いそうなのくださーいって言って買った奴だし、お洒落度高かったとしてもそりゃおれじゃなくって店員さんの手腕じゃない?」
「そもそも俺はその『アパレルショップの店員に見立てを聞く』って行為がもうハードルたけーんだよ」
「え、なんで? 向こうは商売だし、こっちは客だし、もしなんかアクシデントとかあって気まずくなっても次から別の店に行けばいいだけじゃん? どうせ二時間もしたらこっちの顔なんか忘れるでしょ」
「その割り切り方ができねーんだよ……何年コミュ障やってると思ってんだ舐めんな……」
なんか理不尽に切れられた、りっふじーん。
つーかおれに『理不尽!』とか言わせんの、タイラさんくらいだかんね? 大体の人間はおれの方に言うセリフだからね? あなた相当強いし相当変な人なんだよわかってんのかなー。おれに対してこんだけ強いなら、ショップのお兄さんやお姉さんなんか余裕で対応できるでしょーに。
ていうか舐めんなって何。ヤンキーかよ。別に舐めては無……あ、そういやおれタイラさんの舐めたことあったっけ? ない? ないか? ないね? え、舐め責めもアリ……なんて考え始めたところで、タイラさんはじめっとしたでっかいため息を吐いた。
「……こんなとこまで連れまわして悪いと思ってる」
「ん? うん。いやーべつにーお出かけはやぶさかではないけどー。どうせおれは毎日食材の買い出し行くしさぁ、出かけるついでにタイラさんのお洒落着買うなんて大した手間でもないけどね。ていうか別にいつものシャツでよくない? 駄目なの?」
「いや駄目だろ……一応名目はパーティーだぞフォーマルとは言わずともスマートカジュアルだって言いはれるくらいの服装じゃねーと厳しいだろ……」
「出版社主催の食事会でしょ? そんな頑張んなくてよくない? どうせみんな芸能人とかじゃなくって作家でしょ?」
「出版社の偉い人とかもいんだよ……たぶん……いやいる、と思う……」
なんか発言がふわふわしてるけど、それもそのはず、なんとタイラさんは出版社主催の催しに参加したことが一度もないらしい。
つまり初体験。バージンお呼ばれなわけだ。
いつも通り断ればよかったのに、なんでか今回はオッケー☆ してしまったらしい。ほんとなんでなの。いいじゃんお家にいたらいいじゃん。おうちでおれとトワコと(いやほんとはトワコは死んでほしいけど)一緒にじっとりイチャイチャしてたらいいじゃん。
って思うのに、げんなりしつつげっそりしているタイラさんは、嫌そうにため息をつきながらも『これも義務みてーなもんだから』なんて言う。
おれ的には無駄に外に出て無駄に命の危機を招いてほしくないだけなんですけどね。
だってタイラさん、今だってギリギリ運よく生きてるよーって感じなのに。
本当に変なところで頑固というか、無駄に真面目だ。流石はおれを死なせてくれなかった男だよね。うん。……絶対あの時死んでた方がお互いハッピーだったんだけどな、って今でも恨んでるけど、過ぎたことは仕方ないから水に流しているふりをする。
タイラさんは無駄に頑固で真面目でワケわかんない方向に倫理観がガチガチだけど、おれは無駄に根に持つタイプだということを知った。
いままで人間と長く付き合うことってなかったからなぁ……結構執着するし、よくタイラさんに『恩着せがましいが過ぎる』って言われるし、おれってば面倒くさい奴だったわけだ。ふふ。ただでさえ情緒ぶっこわれてるバケモノなのに、そんなうざったい部分だけはちゃっかり人間ぶってるの、不思議だよね。いやー全然嬉しくないけどね?
だっておれはどうあがいてもバケモノだもの。
今日だって人間ぶってタイラさんのナイトっぽくお付き合いしてるけどさ、これっぽっちも楽しくなんかない。お出かけわーい、とか微塵も思わない。嫌そうに息を吐くタイラさんはいつ見てもかわいいし不憫で最高だし、たまには外出て歩くのは大切じゃん? と思うからタイラさんの外出自体には大賛成だけど、別に隣におれが居る必要は微塵もないと思う。
家にいた方が楽しいよねー。触りたい放題だし。
外だと他人の視線に敏感なタイラさんは、手とか繋いでくれないしねー。タイラさんの視界を共有するの、楽しいのに。どうせみんな明日になれば、化物と人間未満がひっそり手を繋いでたなんて記憶、すっかり忘れちゃう筈なのに。
ニンゲンの感情ってやつはやっぱりよくわからない。これだからおれはいつまでたってもバケモノなのだ。
カラッカラに乾いた、感情なんてものパサパサに乾燥しちゃったバケモノ。うん。……いつでもじっとりしてるタイラさんとの相性はいいんじゃない?
紳士服売り場を目指して歩くタイラさんの後頭部を眺めながら、どうでもいいことを考えてしまうのはやっぱり暇だからだろう。
やっぱおれはお家でだらっとしてリラックスしてうっかりおれに気を許しすぎちゃって服とかはぎとられてエッチしてる途中で理性ぶっ飛んで大事な嘘まで忘れちゃうタイラさんが良いよーって思うからさー。うん、早く選んで早く買ってさっさと帰ろうそうしよう。そう思う。
そう、思った途端、タイラさんが急に止まったせいでおれは思いっきりその背中にぶつかった。
「った……!? え、なに……急にどしたの……」
「…………ナガル、今俺の肩、叩いたか?」
「え? ううん? 叩いてないよ、別に用事ないもの。ていうかおれがタイラさん呼び止めるなら袖口掴んで名前呼ぶよ」
「だよ、な……」
「えええ……タイラさんもうホイホイしたの?」
「いや……気のせい、だと、思う、たぶん……」
「いや震えてんだけど。気のせいじゃないでしょそれ。もー、ほら、手ぇ貸して、はやくはやく。一体何が見えちゃってんの?」
「見えてるわけじゃ――」
ない。
たぶん、そう続くはずだったタイラさんの声はぷつんと切れて声になる前に消える。
勝手にタイラさんの右手を握りしめたおれは、その姿勢のまま珍しく、というか――不覚にも、固まってしまった。
ちょっと汗ばんだ、骨っぽいタイラさんの手。それを握った瞬間、目の前に目の無い女がぬう、と出て来たものだから。
「…………………」
っくりしたぁ……。
ええ……いや、あの、流石にびっくり系はおれだってね、ヒエって思うよ。そこに居るのがわかれば別に怖くないけど、存在にビビらなくても急に目の前を何かが横切ったらふつうはびくっとするもんでしょうよ。
ていうかこいつ、そんなに強くないのかなぁ。
おれ、全然見えなかった。微塵もわからなかった。結構霊感はある方だと思ってるのに、タイラさんと一緒に居るとその自信が見事に打ち砕かれて行く、気がする。なんかちょっと悔しい。
やたらと手の長い、白くてのっぺりしてる、汚いスカートをはいた女。髪の毛はぼさぼさで、目のところはぽっかりと空洞になっている。口はだらっと開いていて、なんか黒いもんがべろんと垂れ下がって……ああ、あれ舌か。うは、きもちわる。
ドシンプルに『幽霊』って感じの女。
それが、タイラさんの背中の方から手を伸ばして、タイラさんの肩をトントン叩いている。
タイラさんが振り返れば、女とばっちり目が合うだろう。
…………ああ、ほんと、あなた本当にひどい体質だ。
そう思ったら笑えてきて、なんならちょっと口から出た。ふは、というおれの息のような声に、あなたはびくりと身体を揺らす。
ああ、そのね、うん。こわいものをみるような目が、きもちいい。どの幽霊よりも、おれの方に恐怖を感じてるあなたの動揺が、震えが、繋いだ手から伝わるんだよ。
「うーん。ここの店員? って感じじゃないなぁ、このへんふらふらしてるヒトかなー。タイラさん、なんか聞こえる?」
「……なに、も。ただ、肩、ずっと叩かれてる……」
「うん。見える見える。叩いてらっしゃるね、わかるわかる。うーん、この辺の怪談は残念ながらストックにないんだよなーちょっと待ってねーえーと……やっぱわかんないねぇ、事故物件でもないみたいだしネットにもこの場所にまつわる怖い話とかないなぁ。ま、昨今実名でそういうの流すと怒られちゃうもんねー」
「ナガル、その……これ、無視して大丈夫、なのか……?」
「え? 知らない。だって情報ないし。でもまあ、あの出口くらいまでならタイラさんも我慢できるでしょ」
「…………逃げるしかねーのか……やっぱ……」
「だって語る話がないもん。塩ぶつけただけで消えてくれたら楽だけど、駄目だった時はデパートのど真ん中で塩ぶちまける不審人物の出来上がりじゃーん。おれの方が掲示板とかに書かれちゃうよそんなん」
「一応不審だっつー自覚はあ――う、ヒッ」
えー、今度はなに……と思って視線をちらっと向けると、タイラさんの耳元に顔を寄せてガチガチ歯を鳴らしている女が見えた。
うーわぁ。……別におれはこわかないけど、普通にきもーいとは思う。顔面蒼白で固まるタイラさんのお気持ちは推して知るべし。よく失禁しなかったねえらいね? って感じだ。
何かしゃべりたいのかもしれない。でも、たぶんもう言葉なんてわかんなくなっちゃってんだろうな。
だってもう、人間じゃないんだから仕方ない。
おれがバケモノだから仕方ないように、タイラさんが人間未満だから仕方ないように、この女はもう人間じゃないから、言葉を知らなくても仕方ないのだ。
結局買い物を秒で諦めたタイラさんは、硬直した身体をどうにか動かしておれに抱えられるように外に逃げ出した。
勿論外に出たからって安全というわけじゃない。何が因果かわからないものに目をつけられるってのは、案外面倒なことだ。
タクシーに乗ろうとしたら後部座席にさっきの女がすでに乗っていたので、後ろに並んでいたおばあちゃんにタクシー譲るふりをして回避した。
ひどいって思う?
いやーおれも思うよ?
でもさ、おれは今のところ見知らぬおばあちゃんより、目の前で震える人間未満な作家の方が大事だから、仕方ない。
「……藍ちゃん待とっかぁ。暇だし通販サイトでシャツとかネクタイ探したらいいんじゃない?」
今日晴れててよかったねーとか、通販サイトセールやってるじゃんラッキーじゃん、とか。そういう風に声をかける間も、タイラさんは無言だった。
……うーん。久しぶりにダイレクト幽霊だったから?
そういや最近はおれがさくさく除霊しちゃうから、目の前ドーン! みたいなのはあんまり無……えーでも昨日風呂場開けたら首が曲がった人が立ってたって泣きながら抱き着いてきたけどなぁ?
たまのお出かけ、実は結構楽しみにしてたとか?
……いやー、タイラさんに限って外が楽しみ! とかありえないでしょ。うーん、テンション激低い理由が思い当たらない。けどまあ、下がってしまったものは仕方ない。適当に回復するのを待つしかない。
デパート横のベンチに座って、タイラさんの手を握る。別に視界を共有したいわけじゃないけど、なんとなく握りたくなったからそうしただけだ。
ぎゅっぎゅ、と何回か握ったり開いたり、力を入れたり抜いたりする。そのうちにくすぐったいからやめろと言われて、いやだよぎゅっぎゅすんのたのしーもん、と返す。
「てかやっぱさ、食事会なんか行かなくていいんじゃない? 服も買えなかったし。おれの服じゃでっかいし」
「……いや行く……這ってでも行く……」
「ええー……なんでよ。タイラさん、そんな社交的なタイプじゃないでしょ。え、なに? 編集の彼女になんか弱みでも握られてんの?」
「握られてねーけど映画化した後だし、それは今でもありがたいと思ってっし……なんつーか、最近やっと、外に出たり、人並みの生活っぽいことできるようになったし……」
人並みかなぁ? 普通の人はあさイチで叫んで飛び起きたり、電話の相手が人間かどうか確認したりしないと思うけど。まあ、でも、今までがひどすぎたんだろうってことくらいは予想できる。
いつものぼそぼそとした低い声で、タイラさんは言葉をひねり出す。家だともうちょっとちゃんと喋るのに、外はやっぱり、タイラさんにとってはまだ敵なのだ。
「…………これから、ちゃんと人間らしく生きたい、って思ったんだよ。だから、仕事の付き合いとかもちゃんとさ……最低限でも、ちゃんと逃げないで頑張ってみよう、って思ってさ」
「ふうん。ま、いいんじゃないの?」
「……反応軽いなおまえ……」
「えー、がんばれがんばれーって思ってるよ? ほんとに。まじで。ほんとだってばぁ。……でもおれ、タイラさんがおうちでおれとだらだらしてときどきエッチしてくれたら別にニートだろうが犯罪者だろうが気にしないからさー」
「………………」
「え、なに、その顔。予想外。もっと嫌がるかなと思ったのに」
「よく見ろちゃんとドンびいてんだろ……」
うっそだーなんかちょっと嬉しそうにしたじゃん。
普通の人は『ないわぁこれだから勿部ナガルは最悪だわぁ』って言う筈のところだ。なのにタイラさんはモダッとした感じでこう、なんかちょっと照れている感じだった。
「つか公衆の面前で性行為を臭わす発言すんな」
「誰もいないじゃーん。あ、通販でシャツ買うならついでにさぁ、ストッキング。ストッキング買ってよタイラさん、おれストッキングほしい」
「は? なんで」
「おれねーふふ、タイラさんにパンスト手コキしたい」
「………………語尾にハートつけるテンションでえぐいこと言うのやめろ……」
本当にげっそりした声を出したタイラさんは、さっきよりも随分と息をしやすそうだった。
結局シャツは通販で買ったし、なんかサイズがおかしくて一回返品したり、試着した時になんか妙に色っぽくておれが元気になっちゃって洗う前に汚しちゃったりしたけど、まあなんていうかええと……おおむね問題なく、タイラさんは人間目指して頑張っている、らしい。
でもどうかなぁ、隣で手を繋いで引っ張ってるおれが、人間とは言い難いからなぁ。この手を離してあげればいいのかもしれないけど、生憎としばらくはそんなつもりはないわけで、うーん。
ま、努力は悪い事じゃないよ、うん。実るかどうかはともかくね。
タイラさんが人間でも人間未満でも、たぶんバケモノは手を離さないよ、おれを含めてね。
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