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Side A
「紫陽花って、土壌が酸性だと青くなって、アルカリ性だと赤くなるらしいんですよね。」
チャラいヤツだと思っていたから、花になんか興味あるんだ、と驚いたのが最初だった。
好かれれば素直に嬉しくて、生理的に受け付けない相手でなければ、割と求めに応じて来た方だ。セックス自体は嫌いじゃなかったし、若気の至りという面もあった。男でも大丈夫だと分かった時は、自分でもちょっと驚いたけれど、それも一興という程度の感想だった。確かに、振り返ってみれば、自分から求めたことは一度も無かったと思う。
世間で言う適齢期に入った頃、妊娠したと言われたのでそのまま結婚した。大して悩みもしなかった。相手もごく「普通」の女性だったし、俺の人生は「普通」に進んで行くんだな、と妙に納得した位だ。子供は可愛い。妻も家事や育児をよくやってくれる。仕事もまぁ年齢相応にやれている。今の生活に特に不満はない。このまま子供の成長を見守り、仕事をして、ごく「普通」に一生を終えるんだと思っていた。
恋というものを知らなかったのだと、恋を知って初めて気付く。
彼のことばかり考えて、溜め息をつく。大体、俺は妻子ある身だ。責任もあるし、多くのものを背負ってしまった。恋に現を抜かしている場合ではない。それに、そもそも相手は男だ。せっかく「普通」の人生を歩んで来たというのに、今さら道を踏み外すというのか。大丈夫だ、じっと時が過ぎるのを待っていればいいのだ。そのうちこの気持ちも消えて行く。
しかし、大きな問題が二つあった。
子供が2歳ともなると、周囲ではそろそろ2人目を、という声が多くなって来る。何より、妻がそれを強く望む。でも、どう考えても無理だ。最早、妻とのセックスを想像することすらできない。それならいっそ彼に抱かれたい、とつい考えてしまう。そうすると、もうダメだ。全身がこんなに火照って来る。妻には、疲れてるからとか懸命に取り繕って、何とか言い逃れる。これではいずれ、妻も俺の異変に気付くだろう。妻のことは、家族としては好きだ。でも、そういう意味での「好き」は欠片も無いのだと、分かってしまった。妻は多分俺のこと、最初からちゃんと「好き」だったのだろう。皮肉なことに、妻のその気持ちも分かるようになってしまった。このままではきっと妻も子供も、そして俺も、幸せになれない。
もう一つ。彼の交友関係を聞いてしまうと、もう胸が苦しくて仕方がなくなるのだ。嫉妬というものも、初めて知った。でも、俺には嫉妬する資格すらない。仮に彼が俺を好きになってくれたとしても、彼を幸せにすることも出来ない。
「泣かないでください。」
傘の中で、彼が俺の頬に手を伸ばし、涙を拭ってくれる。
「だって…!!」
「今だけでも、全て忘れさせてあげますから。」
どうしてこうなってしまうんだろう? これでは彼のことも不幸にする。それなのに、俺は抗えない。今この時だけは、ホンモノの「幸せ」を手に入れたと、思ってしまったから。
彼と一つになれた時、嬉しくて涙が出た。彼と出逢うために生まれて来たんだと思った。次の瞬間、底知れない哀しみに襲われ、彼にしがみついて泣いた。抱き締めてくれる彼の温もりが、余計に苦しかった。
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