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Side B

「それじゃぁ、リトマス試験紙と逆だな。」 紫陽花の色について話すと、思いも寄らぬことを言われた。随分と久々に聞く言葉だし、どっちが何色だったかなんて覚えていない。その頃から真面目な人だったんだな、と微笑ましく思ったのが最初だった。  既婚者だと聞かされた時、頭を押さえ付けられたような感覚に陥った。これだけショックを受けるんだから、この想いは紛れもなく恋なんだと初めて自覚した。次の瞬間、小さなお子さんがいるとも聞かされた。そのまま頭を風呂に沈められたような感覚に陥った。何も聞こえない。息も出来ない。だって、彼は真面目で誠実な人だ。仮に俺を好きになってくれたとしても、割り切って浮気をすることも、要領良く離婚に持ち込むことも、出来そうにない。いや、むしろそういう人だからこそ好きになってしまったんだよな…。何をどう考えても、状況は最悪だ。迂闊に手を伸ばしてはいけない。自分のものにしようとすれば、益々苦しくなるに決まってる。  男だろうが女だろうが、遊び相手はそれなりにいるんだから、今まで通り、楽しく遊べば良いだけだ。後腐れなく、楽しく気持ち良くセックスして、ほどほどに仕事して、ほどほどの人生を終える。それでいいと思って生きて来たじゃないか。誰かに一途になる柄でもないから、世間一般で言う幸せなんて、最初から諦めてただろう?  それなのに、こうなると最早誰とも楽しく遊べない。誰と居ても、彼のことばかり考えてしまう。失礼だとは思うけど、顔の見えない体位を敢えて選び、彼を抱いているところを想像して達する。ピロートークがまた苦痛でしかない。彼の顔が見たい。彼の声が聞きたい。彼の匂いに包まれたい。彼の体温を感じたい。  誰か一人を一生独占したいなんて、自分が思うとは、思ってもみなかった。これはもう、泥沼だ。どんどん深みにハマって行く。 「きっと覚えてないでしょうから言いますけど、…あなたが好きです。」 雨で、夜で、酔った彼を自分の傘に入れて肩を抱いたら、ついキスしてしまった。でも、これでいい。これで諦めよう。そう思ったのに。 「俺も…、好きなんだ、どうしようもなく。」 彼が泣きながらそう言った時、俺の頭の中で、箍が外れた音がした。もうどうなっても構わない。今この時だけは、自分のものにしたい。  こんなに可愛くて、愛しくて、幸せで、哀しくて、苦しいなんて、知らなかった。好きだ。好きだ好きだ好きだ。泣いてしがみ付いて来る彼を、ただきつく抱き締めることしか出来ない。願わくばこのまま、一生胸に抱いていたい。でも、それは叶わぬこと。彼はあの女の許に帰って行く。  それなら。俺に残された道は一つ。いっそのこと、とことん泥沼にハマってやろうじゃないか。可能な限り時間を作って彼に逢う。彼はいつも、最初だけ飛びきりの笑顔を見せてくれるけど、すぐに表情を曇らせる。罪悪感に苛まれているのだろう。そんなのも忘れさせる位狂おしく抱いて、懸命に彼の体に言い聞かせる。早く、俺を選べと。俺だけのものになれと。この人だってもう、分かっているハズだ。最早俺なしには生きて行けないって。  君だって分かっているだろう? この人は、君では満足できないんだ。夫婦関係はとっくに終わっている。君がしがみ付いても、惨めになるだけだ。早くこの人を手離してあげてくれ。真面目で誠実で責任感の強い人だから、きっと自分からは終わらせられない。俺を恨んでも憎んでもいいから、とにかくこの人を自由にして欲しい。その結果、この人がどれだけボロボロの状態になっても構わない。必ず俺のものにするから。それが叶わぬのなら、いっそ俺の息の根を止めてくれ…。  気付くと俺は、彼の背中にキスマークを沢山付けていた。

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