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最終話 恋の夢を見る
隣にあった体温が急になくなって、うっすらと目を開ける。ぼんやりと暗い中に立っている人影を捉えた。背後の窓から差すほんのり明るい光に照らされたその背中は、昨日見せていた顔すら闇の中に溶かして消してしまっているみたいだった。
もう朝が訪れようとしているのに、未だ夜に包まれたような感覚が残っている。ぶわあっと脳内に蘇ってくる黒に囚われるのが怖くて、闇に手を取られ引きずり込まれるのが嫌で、その腕を掴んだ。もう二度と、ひとりになんてなりたくなかった。
「どこ、いくの」
俺の手に彼の震えが伝わってくる。
「……本当にごめんなさい」
俺から見えるのは背中だけ。今どんな顔をしているのか、どんな感情を見せているのか、俺にはわからない。ただ、その背中には青が滲んでいるように見えて。
「僕のせいで……小林くんの人生壊しちゃったよね……全部全部僕が、崩しちゃったんだよね……」
涙を含んで重くなったその声を聞くのは、辛かった。
その通りだ。上手くいっていたはずの俺の世界は今村によってぐちゃぐちゃに壊された。たった一人の心を許していた相手が去り、大切だった親友たちに裏切られた。それもこれも、全部今村のせい。
――だけど俺自身を作り直してくれたのもまた、今村であることは確かだった。こいつがいなかったらきっと、あのまま孤独に飲み込まれて沈んでいただろう。
「だからもう……こんなことはしない。大学も辞めるし、小林くんの視界には二度と入らない。許されるなんて――」
「大学を辞めるのは俺の方だ」
口をついて出たのはそんな言葉だった。
「あの場所にはもう、俺がいて良い場所なんてないからさ。それに、友人もいなければ好きだって言ってくれる人も、ひとりもいないし」
声にしてみると、その現実は俺に鋭く突き刺さった。痛くて痛くて、心が流した血が視界を滲ませる。ボロボロになってしまったそれは、もう、誰にも治すことはできない――。
腕を掴んでいた手から、自然と力が抜けていった。
これからどうしたら良いのか、何も考えつかなかった。親からは見捨てられ、好きだったものは俺から離れていった。俺の周りにあった温かいものたちは全て、消えていった。俺はとうとう孤独の中へと帰ってきてしまったのだった。それでも――。
「――いるよ。ここにいるよ、僕は」
今村は充血した瞳で俺を覗き込んだ。涙をためているのに、そこには覚悟と決心の炎が見える。
「こんな提案、僕がしちゃいけないと思うんだけど……その、僕と一緒に、いてくれませんか」
ふわりと訪れた静寂。でもそれは俺が嫌いな冷たいものなんかじゃなかった。どこか、温かいような。今村は、言ってから何か気付いたのか、慌てたように弁明し始める。
「いやその、そしたら君を不安になんてさせないし気分が重いときには絶対に傍にいるし、それに、それに……」
必死になって早口で言葉を並べているのがおかしくて。
「それにね、僕、世界で一番君を愛してるよ」
馬鹿みたいにドラマチックでありふれた言葉なのに、そんなことを恥ずかしげもなく真剣な顔で言ってのける今村に、つい笑ってしまう。
「ちょっと笑わ――」
少しだけ引っ張って、口づける。こんな今村がかわいらしいだなんて思ってしまったのだ。それなら、俺のすべきことはただひとつ。その言葉に応えること。
「い、今のって……どういう意味?」
今村は細い指で自分の唇をなぞる。貧血気味なのかいつも白かった顔には、ちゃんと血が通っていて、ほんのり赤らんでいるのがわかる。
「答えてやるもんか」
ぐいと思い切り腕を引いて、今村を俺の上に乗せる。それから挑発するようなキスをして、呆気にとられている今村を見て笑う。
「ほら、俺とずっと一緒にいてくれるんでしょ?」
この関係は、たぶん「恋人」とは少し違うのだろうと思う。俺自身、「本物の恋」をしたことなんてないからわからないけど。でもこれで良いのだとも思う。俺と今村の在り方は、俺たちの関係は、これが正解なんだろうから。
「ふふ、もちろんだよ」
抱き締められながらベッドに沈む。顔を見合って笑い合う。静かに優しくキスをする。こんなのは今まで見たことのない世界だった。明るくて温かい、知らない世界だった。
心に巣くっていた孤独が、少しだけ和らいだ気がした――。
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