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第10話 キスをくれた
少し落ち着いたら、すぐ引きずられるようにしてどこかの家に入れられた。空気が、置かれているものが、ここは今村の家だと教えてくれる。今村は俺を優しく包んだまま玄関の鍵を閉めて、真正面から俺を見つめ直した。
言われなくたって気付いた。こいつはやっぱり俺を抱くつもりなんだ。未だ滲んでいる視界の中で、こいつはそういう顔をしていた。
だけどもう、そんなことはどうでも良かった。この流れの中にいる間は、俺はずっと、誰か人の体温を感じていられるから。孤独の荒波に飲まれるようなことはないから。
いろんな感情と涙のせいで顔がぐちゃぐちゃだろうに、それを見て今村は興奮でもしているらしい。一度だけ、窒息しそうになるくらい強く抱き締められて、それからすぐに唇を求められた。荒々しく求められて、それに同じ熱で応えて。
ふと正気に戻ったのか、今村は腰の砕けた俺をベッドまで横抱きにして運んで、そして押し倒した。俺が俺であるのが信じられない。今村のために作られた人形にでもなった気分だった。力も入らず何もできない、ただ今村に応えるだけ。
「かわいいよ、恭平くん」
いつかも言われたはずのその言葉は、今なら心に容易く入ってくる。嬉しくはないが、それでも俺を好いてくれているとわかる言葉は、何だか、心を温かくしてくれた。凍りついていたそれを溶かしてくれた。いつからか閉じきっていた扉を、少しずつ開かせてくれた。
今村のすらっと細く伸びている指が、俺の頬をなぞる。乾ききった涙の上をすうっとなぞって、まだ熱を持ったままの泣き腫らした瞳に触れて、さらさらと髪を通る。
その恍惚とした表情は、よく見ると美しい青年そのものだった。その性格と恋愛への無知を克服しさえすれば、きっとネオンに作られた影に生きるストーカーになんてならなかったろうに。きっと俺とぶつかることなんて、なかったろうに。
ゆっくり、キスをくれた。甘くとろけるチョコレートみたいな、そんな柔らかいキス。
俺は雰囲気に従って今村の首に腕を回した。こいつは驚いたような顔を見せているが、そんなものは無視した。ぎゅっと引き寄せて彼を求める。今は、もっともっと深い愛が欲しかったから。
――これは俺の中の全てを壊すのに充分だった。
ずっと抱え込んでいたひとりきりの孤独とか、今村への嫌悪感とか、偽っていた自分とか、同性に抱かれるという事実とか。崩壊してしまえば簡単なもので、ただこいつの愛が、熱が欲しい、俺の本心はそれだけだった。
「恭平くん……? 僕を、求めてくれるの?」
この問いに答えることはしなかった。軽く触れるように口づけしてやるだけで、全ては伝わる。離れていく今村の顔を見れば、そんなことは良くわかった。
欲に従順になってしまえば良かったんだ。変に反発なんてするから関係が壊れた。宝物を失った。たぶん、そうだったんだ。でも、だからこそ手に入れたものもある。例えば――。
「ふふ、嬉しいな」
今村は苦しそうに、眉を下げて笑う。もう限界なんだろう。きっとこれ以上の「待て」はできない。
「いいよ……ともき」
かすれた声で言ってやると、サインが出されたみたいにぱあっと笑顔を見せて、飛びついてきた。
「すきだよ、だいすきだよ、恭平くん」
息はできなくていい。窒息して死んだっていい。そんなことすら思ってしまう。あの日とは何もかもが反対になっている。
俺は抱かれることを望んでいた。
何度も何度も唇が触れ合う。見つめあって微笑んで、舌を絡め合う。今村は嬉しそうに俺を撫でながら、欲しかったものをくれた――。
痛みと快楽の狭間に溺れ始めた頃、涙に濡れた今村の声が俺の外側の世界から聞こえてきた。ごめんね、君の孤独は僕が買ったんだ。本当に、僕のせいなんだよ。夜の膜に包まれて、ぼやけた言葉。
その意味なんて考えることはできなかった。きっと、そんなものはただの聞き間違い。考えなくて良い、知らなくて良いことだ。だからただ夜の中、やっと走るのをやめた。
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