21 / 21

終幕

 夜中にふと目を覚ましたアンリは、同じ寝台を分け合って眠る恋人の寝顔を見つめた。 「ふふ」  思わず笑みがこぼれる。だってこの寝ていても端正な顔立ちの男が、あの泣き虫の迷子だったなんて未だにちょっと信じられないのだ。だけど、じっと見ているうちに、なんだか面影があるようにも思えてきた。  あの日、アンリは面倒事を避けるために助けたに過ぎなかったのだが、まさかその取るに足りない些細な行動がまさかこんな結果に繋がるなんて、人生とは分からないものである。 (あのべそっかきがこんな美丈夫に育ったのも不思議だけどな)  調子に乗って顔をぺたぺた触っていると、ふいに背中に腕が回って抱き寄せられてしまった。 「うわっ。お、起きてたのかよ……?」  それか触りすぎて起こしてしまったのか。だとしたら謝らないとと問うてみるが、リュドヴィックからの返事はない。聞こえるのは規則的な寝息のみ。 (もしかして、無意識……?)  ある意味寝相の悪いリュドヴィックにも、慌てふためいてしまった自分に対しても笑ってしまう。寝ているなら、腕をほどくこともできるのだが……。 (いいや、せっかくだし)  このまま抱き枕になって、もうひと眠りしよう。アンリはそう決めて、まぶたを閉じた。静まり返った夜の街。二人分のぬくもりで暖められた寝台に二人分の寝息が聞こえ始める。  数か月後、街の中の歌劇場では人魚姫をモチーフにしたオリジナル作品が上演されていた。神話をなぞるでもなく、恋愛を主題にしたものでもなく、友情をメインテーマにした物語だ。  とある人魚の少年が、小舟に乗って海を漂流していた子供を助けてやる。人魚の少年と迷子の子供は数年後に必ず再会しようと約束して一度別れた。  数年後、魔女の力を借りて人になった少年は、りっぱな青年に成長した迷子の子供と再会し友情を育んでいく。  人魚だから数時間しか陸に留まれなかったり、悪い大人に見つかって誘拐されかかってしまったりと、様々なトラブルに見舞われるが、青年と仲間たちが人魚の少年を守り、最後には魔女に頼んで完全な人間にしてもらう。  その対価として一度は記憶を失ってしまう少年だが、青年が二人の思い出の曲を聞かせることで記憶を取り戻す。という感動的なラストを迎える。  今日も完璧な人となった人魚の少年が、最後の一節を歌い終える。すると劇場が一瞬静寂に包まれた後、割れんばかりの拍手が沸き起こった。 「ブラヴォー、アンリ! ブラヴォー!」  他の歌手を称賛する声に混じって、主演のアンリを褒め称える声も聞こえくる。深く首を垂れたアンリは雨のようになりやまない拍手を浴びて、鳥肌が立つほど興奮した。  顔を上げると、ちらほらと見覚えのある客の姿が見える。ともに主演を務めたリュドヴィックとともに、彼らに心から感謝してもう一度深く辞儀をした。  たった二度見ただけで驚くほど惹かれた舞台に今、アンリ自身が立っている。  今でも時折、夢なのではないかと疑ってしまうくらい現実味のない現実だが、今日までの辛い特訓の日々が、夢でも幻でもないのだと思わせてくれた。  目の前で音もなく暗幕が下がっていく。本日も夢と希望の時間が終わろうとしている。  だが、寂しがってばかりいられない。明日は千秋楽、それが終わったらたった一日の休日を挟んで次回作の練習が始まるのだ。  おかげでアンリは多忙だがとても充実した日々を送っている。愛する人たちに支えられ、最愛の人とともに最高の仲間たちの共に、アンリはこれからも歌い続ける。  明日からも、ずっと、ずっと……。 終わり

ともだちにシェアしよう!