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第5話
レオは午後の授業をどう受けて、どこをどう帰ったのか記憶にないほど動揺していた。
(馨が結婚?!)
誰にも会わないように自室に入ると、ベッドに飛び込み布団をかぶった。
自分だけの馨ではないのはわかっていて、こんな日が来るのを覚悟していた筈だ。
完璧を絵に描いたような馨が、今までパートナーをつくらなかったこと自体がおかしかったのだ。
(捨てられてしまう)
獣人であるレオは、世間から見たらペット同然だ。
今までは可愛がってもらえたが、結婚したら興味を無くしてしまうかもしれない。
「う…うぅっ…」
心臓が張り裂けそうなほど痛い。
馨がいなければ生きている意味が無い。
もう大人だなんて思いあがりだ。
一人で生きる覚悟も出来ていない子供じゃないか。
悲しみに打ちひしがれていると、部屋のドアがノックされた。
「レオ? 運転手から迎えをすれ違ってしまったと報告があったけど」
ビクッと全身を揺らし、鳴き声が聞こえてしまわないように噛み殺した。馨だ。仕事から戻ったらしい。
「夕飯も食べてないと聞いているよ。どうしたの。学校で何かあった?」
返事を出来ないでいると、馨の声は焦りを含みだした。ガチャガチャとドアノブを回し、鍵がかかっているのを確認すると舌打ちが聞こえた。
「レオ! 居るんだろう!?」
どうしよう。
今顔を見たら、結婚なんかしないで一生僕だけを傍においてって叫んでしまいそうだ。
そんなこと許されない。
東堂家の跡取り。結婚しゆくゆくは子供を持ち、会社を継がなくてはならない。
男など。
ーーましてや、獣人など…!!
(会っちゃだめだ)
そうだ。このまま姿をくらまそう。
自分が馨の役に立てることなんて、それくらいしかない。迷惑をかける前に、今すぐここから出て行くのだ。
レオは窓へと急いだ。
窓から庭におりれば、すぐに屋敷から出られる。
豹の自分になら、このくらいの高さなど造作も無い。
「誰かマスターキーを…! 急いでくれ!!」
廊下から馨の叫び声が聞こえた。
大声は珍しい。
窓の鍵に手をかけると、鍵が届かないことを焦れたのか、ドオンと扉が揺れた。
「くそう、開け!! レオ! ここを開けなさい!」
何度も体当たりをしているのか、ミシミシと扉が揺れる。
ありがとう、ごめんなさい。
もう十分育ててもらった。
これ以上、馨の足枷になどなりたくない。
窓の施錠を解きひらりと窓枠にのると、鍵を待てずに何度もしなっていた扉が、乱暴に開いた。
「レオ…!」
1秒でも早く姿を消さなければ。
そう思っていたのに、悲痛な叫びに思わず振り向いた。
息を切らし髪もスーツも乱した姿など、初めてだった。馨はレオの状況を確認すると、みるみると怒りを滲ませる。
恩知らずだと怒らせてしまったのだ。
「何をしているんだ。どこにいく? 俺が嫌になったのか? ここにいたくない?」
「違う…獣人の僕がいては、馨の足枷にしかならないから」
見合いをすると言っていたあの女は、飲食業界の大手、西園寺家の娘であった。
西園寺は獣人差別が酷いと噂を聞いていたが、どうやら本当だったようだ。
西園寺と提携を組むのなら、自分という存在は邪魔になる。
「今更、離れるなんて許さないぞ」
いつもより低い声に、背中がぞくりとする。
「馨…?」
「美しい雪豹。
雨の中で出会ったあの日、お前は全身から花の色香を漂わせ俺を誘惑したな」
色香とは何だろう。
意味がわからないくて戸惑うと、馨はゆっくりと近づきながら手を伸ばした。
「そこから降りてこっちに来なさい。レオはずっと俺の傍にいるんだ」
「でも、馨は西園寺家と…」
「西園寺? そうか、あの娘に何か言われたんだね。雑音に耳を傾ける必要はない。レオは何も気にしなくていいんだよ」
「西園寺は獣人を嫌ってる。僕は取引の邪魔になるよ…」
馨は顔を歪めて笑った。
「レオを失うくらいなら、西園寺グループなどどうでもいい」
「そんな、どうして…」
自分にそこまでの価値があるとは思えなかった。
このまま一緒にいても、東堂家の役には立たない。
「雪豹は気に入った相手を見つけると、芳香を漂わせ誘惑するんだ。
毎夜毎夜、マーキングをするように芳香を放つお前が大人になるまで、俺がどれだけ耐えたと思う。
牙を舐めざらついた舌を吸い、幼い雄を手の中に納め、お前の中に俺の欲を放ちたいと何度想像したことか」
馨は獣のようだった。目の奥を光らせ、獲物を逃すものかと睨んでくる。
決して知ることの無かった欲を見せつけられ、ごくりと唾を飲んだ。
「あの雨の日から、俺の心はお前の物だ」
「あっ」
伸ばされた手を恐る恐る取ると、途端に引っ張られ窓枠から落ちた。その存在を堪能するように、馨はレオをきつく抱きしめた。
「俺達は出会ったその瞬間、つがいだと認め合ったんだよ」
耳の下から首筋を撫でられ仰け反ると、馨はそこに顔を埋める。
「逃がすものか。レオもずっと俺を求めていたね?」
ーーーー俺を欲しいと言ってごらん。
囁きはレオの全身を蝕み熱くさせた。その場の全てを魅了するような、花の香りが噴き出した。
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