「俺、お前がいてくれて本当によかった」 　私が仕えている主人は、振り返り、私に満足そうな笑顔を向けた。 　彼は昨日、ずっと想いを寄せていた男と、精神的にも肉体的にも結ばれた。そして、満ち足りた今日の朝を迎えた。 　私がここ数カ月行っていたのは、そのバックアップだ。相手の基本的なプロフィールから、同性も恋愛対象に入るのか。好きそうなデートスポットおよび告白場所のピックアップまで行った。主人に「好きな人ができたんだ」と、照れ臭そうにはにかんで言われてしまえば、命令でなくとも、そうするしかなかった。 　そして昨日は、「父親にバレたくない」という彼の懇願により、雰囲気のいいホテルを見繕い、さらには部屋の外で見張りまでしていたのだから、我ながら呆れてしまう。 　さすがにプライベートだということで、部屋の中には入っていない。けれど、外に出て来た時、彼は私の知らない顔をしていた。結ばれた想い人と腕を組み、頬をつつきあってくすくすと笑う。むつみ合うふたりを見ていると、どうしようもなく胸が痛んだ。 「次はさ、遊園地がいいと思うんだ」 　彼はもう、次のデート先を考えていた。 「そうですね。……チケットは私がとりましょう」 「ありがと。そういえば、俺びっくりしたんだけど。最近は、男二人で遊園地に行っても変に思われないんだってさ。みんな、恋愛は自由だって、そういう考え方になってきてるって、アイツが言ってた」 　想い人との内緒話を思い出したのか、彼の頬はわずかに染まっていた。 　恋愛は自由。では、今の私を縛り付け、矛盾という不自由そのものにしているこの想いは、何なのだろう。恋愛感情ではないのだろうか。ならば、何故、体は不調を訴えてくるのだろう。 　とうとう耐えきれず、私の体は前のめりに倒れた。 「おい、どうしたんだよ！」 　先を歩いていた彼が、慌てて近づいてきた。私を仰向けにして、呼吸を確かめたり、胸に耳を当てたりしている。無駄だ。そんなことをしても、私の鼓動は脈打っていないし、ざあざあという雑音しか聞こえないはずだから。 「……残念ながら、私の体は……ずっと、バグに苛まれていたようで……」 　自立思考型ロボット。それは、自分で考え、動く、人間を支えるために開発されたパートナー。貴方を時に叱り、慈しみ、最善の生へと導くでしょう。最新のAI技術により、喜怒哀楽といった基本的な感情も備えています。ですから、より人間らしく、貴方にずっと寄り添ってくれるのです。 　それは、私が彼のもとへ来て、いくつかのデータを提供した後、仲間たちが一般流通した際のキャッチコピー。 「と、父さんに連絡する！　そしたら、研究施設で直してもらって……」 「……無駄、ですよ。直らないのは……私が、一番よく……知っています」 　伸ばされた腕を、私が弱々しく振り払う。彼はくしゃりと泣きそうな顔になった。 「……ロボット三原則。それくらいは……坊ちゃんも知っているでしょう……？」 　人に危害を加えてはならない。 　人に服従しなければならない。 　上二つに反しない限り、自分を守らなければならない。 「私はね……貴方のことを、いけ好かないクソガキだと、思っていたんです……。だから……、二つ目の原則を、最初から破っていたんですよ……。運動も、勉強も、家事も……何ひとつできなかったし……私が怒ると、すぐ……金を握らせて、その場を収めようとしたでしょう……？」 「そ、そんなの、昔の話じゃんか！」 「ええ……それからの貴方は、本当に……素直な、良い子に、なりました。今では……素敵な恋人もいますし。……ですが、その時抱いた気持ちが、巡り巡って……私の体を、蝕んだ。……よくあることです」 　本当は、嘘だった。私たちには、もうひとつ、シークレットとされている原則がある。 　恋愛感情を抱いてはならない。すなわち、人間に恋をしてはならない。 　それは、自立思考型ロボットの私たちにのみ適応される。 　恋をして得るのは、無駄ばかりだから。相手の全てを知ろうとし、限りあるメモリーを圧迫していく。 （坊ちゃんのことは……何でも知っている。……だから、今さら、情報を得ようと……メモリーを圧迫することもないだろう。……そう、高を括っていましたが……失敗でしたね……） 　情報を得ようとせずとも、恋をしている間、私はたった一人のことだけを考え続けた。しかもその思考は、無意味な場所を延々と廻るだけ。 　本当に、世界一、無駄なメモリーの圧迫方法だ。 　私はいつしか、彼に恋をしてしまった。独りでは眠れないほどの寂しがり屋で、私の意思も聞かずに他人との恋を応援させる、ひどく残酷な、この男に。 　慌てふためき泣いている彼の頬を、私は乱暴に拭う。 「せっかく、恋人と結ばれたんですから……最後くらい……笑顔でいてください」 　ああ、また、無益な嘘を吐いてしまった。本当は、自分のために彼が泣いてくれることが、嬉しい。本音を隠して別の言葉を紡ぐものだから、もうメモリーはパンク寸前だろう。恋というものは本当に、非効率的で、理不尽だ。 「……心配、しないでください。私が壊れても……すぐ、代わりは来ます……」 「そんなの嫌だ！　俺は、お前と一緒にバージンロードを歩くって決めてるんだよ！」 　昨日告白が成功したばかりだというのに、もう挙式の話ですか。相変わらず、私の主人はすぐ調子に乗ってばっかりだ。 「……では、不要なメモリーの消去を、お願いしましょうかね……。そうすれば……記憶はそのままに、反抗的な私の感情のみが……取り除かれます。やり方は……説明書を読んだから、分かるでしょう……？」 　目を閉じると、体中から軋む音がする。メモリーの大部分が圧迫されている警告だろう。 　彼がそっと手を伸ばしてきた。これで次に目を開けた時は、私のどうしようもない恋心など、もう消えているのでしょう。 　正真正銘、これが私の、最初で最後の恋でした。