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第2話
____でも男は違った。
志野はおれに世話をしてきた。
まるで見返りなど求めていないと言わんばかりに殴らない、蹴らない、暴言を吐かない。
おれが20歳になったと同時に親と決別したことを伝えたときも、笑うわけでもなくただ呆れたような顔をしていた。
それでも1、2日で棄てられるだろうと期待していなかったが、志野はおれの怪我が回復に向かう頃になっても棄てようとしなかった。
「司郎、お前ずっと脱衣場でなにをしてる」
「……我慢、できなくて」
「っ」
他人からの優しさを受けることに慣れていないおれは、傷口にえんぴつを押しつけていた。
痛い。
なのに、それが心地いい。
優しくされるのは気持ちが悪い。
「い゙……」
「お前やめろっ、傷口に菌が入れば悪化するって言っただろ!」
「っ、なんで怒るんだよ。こうしてる方が、おれは安心なんだ」
「まやかしだ。痛くないはずがない」
志野はえんぴつを取り上げると、おれの手を取ってガーゼをあて始める。
痛い。泣きそうなほど痛い。
「あんまり俺を困らせるな」
「……どうして、志野はおれを住まわせるんだ? もう25の男だよ。ヤりたいわけじゃないなら放っておけばいいのに」
「知るか。とりあえず、こんなこと二度とするなよ」
「……」
本当に変わっている男だった。
おれが出会ってきたなかで志野のようなタイプを見たことがない。
いや、1人だけ似たようなのがいた。
同級生のその男は、ノンケだというのにおれに優しかった。
とても、優しかった。
「親と決別したってのに、名前は律儀にそのまんまなんだな」
「え? 名前って……変えられるのか」
「当たり前だろ。家庭裁判所だったり色々と手続きがめんどくせーけど、成人してんだから変えられる」
「そうなんだ……知らなかった」
「あんたほんとに世間知らずだな。これがなにかわかるか?」
志野が差し出してきたのはスマホだった。
「スマホぐらいおれも知ってる」
「違う、スマホのことじゃない。ここ読め」
画面に表示されている文章の羅列。
これだけで気分が悪くなりそうなほど、おれは文章が苦手だ。
「こうそつ、にんてーしけん?」
「そうだ。高校を卒業できなかったやつが取得できる資格だ。これを取れば、企業からは高卒と同じ扱いをされる。厳密にいえばもっと厳しいが」
「……あんた物知りだな」
「お前が知らなすぎるんだ。改名もよほどふざけた理由じゃなければ受け入れてもらえる。苗字は結婚でもすれば変えられるが、名前は一生ものだ」
「うん……考えとく」
出会ったばかりの男の提案を、いいなと思ってしまった。
期待をしてはいない。
おれはこれからもずっと不幸だ。
死ぬまで、不幸。
「改名、したい」
「いいんじゃねえの。名前を自分で決めればいい」
「……はじめ?」
「疑問形かよ。はじめ……なるほどな、これからはあんたの人生ってわけだ」
笑いかけられた。
おれを侮辱した笑顔じゃない。
ふしぎだ。
不幸でなければいけないのに、志野はおれに優しくする。
志野はもしかすると、誰よりも敵なのかもしれない。
恐ろしい男なのかもしれない。
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