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第36話
「ねえ……志野」
「どうした?」
動き出す車、荒れ始める心臓。
言ったらダメだ。
でも、言いたい。
志野はおれを捨てない。
だから、大丈夫。
「おれが料理したくない、のはさ……おれのつくったご飯を食べた人が、怒ったからなんだ」
「……」
「…………お前の飯はマズいって。二度とつくるなって、熱いフライパンを手に押しつけられた」
「っ」
「志野がいつもあったかい部屋に入れてくれるのも、おれは嬉しいんだ……冬でもお湯なんて使わせてもらえなくて、シャワーはずっと水だったこともあるし……ヤケドした手で毎日洗いものもし__」
話している途中で、シートベルトを外した志野に抱きしめられた。
「……志野、?」
志野はなにも言わずにおれの頭をガシガシとなでる。
あったかいなぁ……志野は。
「大丈夫だ……お前を脅かすやつはもうどこにもいない。死んでも俺が守る」
「……志野が死んだら、やだよ」
志野が泣いている。
初めてだ。
「嫌なことを言わせて悪かった」
「志野には、聞いてほしかったから」
「ああ……ありがとう」
顔は見えないが、志野の声がふるえていて胸が痛んだ。
これでよかったのか。
志野を傷つけてしまっていないか。
なにも、わからない。
「無理につくらなくていい。肇が本当につくりたくなったら食べさせてくれ」
「うん……わかった」
「ごめんな」
「志野は悪くないよ。言ったらなんか、楽になった気がする」
「そうか。俺も、肇の口から聞けてホッとしてる。他に寄りたいとこあるか?」
「……家に帰って志野とご飯食べたい」
「…………あーもう、だからお前は」
「? __」
顎を引かれ、唇が重なった。
やわらかい感触が脳に甘い刺激を与える。
やっぱりおれは、誰よりも志野とのキスが好きだ。
「ん〜っ、いい匂い」
帰宅して志野といっしょに夕飯をつくり始めた。
油の跳ねる音がおもしろく、無意味に鍋を眺めてしまう。
「肇、あんま見るな。油が目に跳ねてくるぞ」
「パチパチいうのおいしそうでいいな〜。ジュワーパチパチって」
「……肇が初めてここへきたとき、自分で自分を傷つけていたのは安心したかったからなんだろう」
「安心?」
「自分がそういう人間だと決めつけて、大切にされないのが当たり前だと安心したかった。ちがうか?」
「……ううん、合ってる。大切にされるのが怖かった。おれがそんなことされる価値なんてないからって。でも、それが間違いだった」
志野は優しい。
心配性で、出かけるときは伝えておかないと何度も電話をかけてきたりする。
それが口うるさいと思うことはなく嬉しい。
だが、それを志野に言うのはどうしても恥ずかしい。
だからいつも面倒そうな対応をしてしまう。
おれが伝えてきた「好き」も、きっと志野にはあまり伝わっていない。
人と話すのが得意でも、感情を伝えるのは苦手だ。
「おれ、生まれつき気管が弱かったんだ。体育なんてずっと見学で、プールで泳いだこともない。だからみんなおれのことを弱い人間だって、嫌がらせしてきて」
「生まれつきってことは、いまもそうなのか?」
「ううん。いまは走ったりもできるし、スポーツしても苦しくなることないよ。たぶん」
「……親から言われたのか」
「うん。司郎は気管支が弱いから体育に出ないでって言われてた。最初は心配してくれてるのかと思ってたけど、おれが体調崩して自分たちが責められるのがイヤだっただけだった」
「肇、他人の親を悪く言うのはあまり気乗りしないが、お前の虚弱体質は生まれつきじゃないんじゃないか?」
「え?」
「まともな食事をしたことがないって言ってただろ。なら極端に栄養が足りてない体に免疫がついてなかっただけで、ただ肇が弱かったって話じゃないかもな」
「……そんなことある?」
「ある。運動不足も重なれば、尚さら体調不良は悪化するしな。事実がどうかはわからないが肇が気に病むことはないと思うぞ」
「……」
おれが弱いわけじゃない。
志野はいつも言ってくれる。
何度救われたんだろう、その言葉に。
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