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第35話

「寒い、な……」 おれはベランダで寝た。 部屋にいても布団はないし、暖房もない汚部屋だ。 それなら、寒くても外で寝た方がずっといい。 ふるえる指先を何度もこすり合わせて、はやく朝がくるように祈った。 朝がきたところで変わらないのに。 「おはよう、アヤ」 「おはよ。お兄さん、朝ごはんおれが作るよ」 「ああ、それが当たり前だからな」 もう指は凍りつきそうなほど痛かった。 フライパンを温める火が唯一の救いで、男に見えないように手を温めた。 おれの作った料理は口に合わなかったらしい。 男は一口食べたあと、皿ごとその辺に投げてこちらを睨む。 「なんだこのマズい飯は! バカにしてるのか!!」 「ご、ごめん。合わなかった?」 「合わないじゃない! お前が作るのが下手なんだろうがッ、こっちにこい!」 プライドの塊である男の元に行けばなにをされるかはわかっていた。 それでも歩みを進めたおれの手をつかむと、まだ冷めていないフライパンを押し当ててきた。 「__っ!」 叫びたいほど熱かった。痛かった。 声は出ない。 おれにそんな権利はない。 「二度と料理をするな!」 「……っ……うん、ごめんね」 どれだけ痛くても泣けない。 涙が出てこない。 嘘のような笑顔が張りつくばっかりだ。 「お前のせいで気分が悪い。寝る」 「わかった……」 体が悲鳴をあげる。 手の感覚がない。 男が布団に行った隙に、溜めていた水に手を突っ込んだ。 「はぁー……っ、ハッ、痛い……痛いっ」 おれの頭に、警察を呼ぶなんて考えはない。 だが、いま思えばなぜ呼ばなかったのだろうと思う。 その頃はなにもかも信じられなくて、誰にも頼れなかった。 暴力は日に日に増していき、志野に拾われるまでの2週間、体が壊れる寸前まで男のやりたい放題にされ。 打撲はもちろん、ヤケドもたくさんした。 憔悴し切っていたおれに救いなんて一生ないと思っていたのに、男にゴミ捨て場で捨てられた翌日、志野に拾われた。 ふしぎだ。 人に殺されかけたおれは、人に救われている。 「肇」 「ッ!!」 志野に名前を呼ばれ、ハッと我に返る。 歪む視界に優しい顔がある。 救われた。おれは助けられた。 「……っ……」 「やっぱきれいだな、肇の涙は。どこまでも純粋だ」 自分の手を見下ろしてみると、あのときのヤケドは治っていた。 すぐに冷水につけたのがよかったらしい。 それでもふるえる手を、志野がそっと包む。 「もうがんばらなくていい。ぜんぶ俺が教えてやるから」 「ッ……はい、」 「なんで敬語。こんな寒いとこでそんなに泣いたら凍るぞ」 「志野ぉ……っ」 「夏になれば泳げるだろうな、ここ」 「およぐ……? 海っておよげる、の」 「そりゃあな? 学校のプールと同じだ」 志野が好きだ。 ずっとずっと、愛してる。 思いが届かなくてもよかった。 それはただの強がりで、こうして志野に抱きしめられているいまが、怖いほど幸せだ。 「今日の晩飯なにが食べたい?」 「オムライス」 「それ、一応はランチメニューだぞ」 「オムライスとトンカツ食べたい」 「最初は少食だと思ってたけどお前、結構食えるよな」 「志野のご飯は死ぬほど食べれるよ、おれ」 「頭が単純なら胃袋も単純なんだな」 「志野のつくったのが宇宙一」 「逆に肇の手料理も食ってみたいけどな」 「! …………それは、志野が死ぬからダメ。おれのは……マズい、し」 「俺が食ったわけじゃないんだから勝手に決めんなよ。そういうとこ、肇の悪いクセだぞ。すげー美味いかもしれないだろ」 「……死んでもいいなら、つくるけど」 「料理に文句つけた野郎がいたならぶん殴ってやるから連れてこい。味がどうであれ肇の手料理に文句つける気はねーよ」 「それはおれが死ぬ」 「なんでだよ。まぁいい、家帰ったら一緒につくるぞ」 車内はあったかい。 また泣きそうだ。

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