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「ずいぶん時間経っちゃったね、ママたち探してるかな。あ、お母さん」
オレは慌てて言い直した。
「別に言い直さなくてもいいじゃないか」
くすりと冬馬は笑ったが、馬鹿にしているような感じではなかった。
「ほんと、可愛いよな」
( また、可愛いって言った )
胸がくすぐったいような落ち着かない気分になった。
もっと聴きたいと言ってくれた冬馬、もっと聴いて貰いたかったオレ。でもそうも言っていられなかった。オレたちは部屋を元通りに戻すと、急いで階段を下りる。木戸を通り抜け、カンナから聖愛に戻った。
足の早い冬馬の後をオレが追う。早足に正門を目指したが、辿り着く前に立ち止まった。遠目に見えた親たちは、オレたちがいなくなる前とまったく変わらない状況だった。
ふたり並んでゆっくりと歩きだした。
「子どもがいなくなったのも気がつかない親とか、ほんと駄目な奴だな。ああいう親がいるから、子どもが事故に遭ったり、拐われたりするだよ」
冗談めかして言う。オレは、ははっと軽く笑った。
冬馬は彼らからも見えるような、少し離れた木の下にしゃがみこんだ。オレも隣で同じようにする。あがった息が整うと彼は「なぁ」と話しかけてきた。
「俺は ── 橘冬馬」
砂の上に『橘冬馬』と書く。そう言えばちゃんと自己紹介が済んでいなかったことに気がつく。
「冬の馬か。かっこいいね」
「そうか?お前は?しうちゃん」
わざとその呼び方をするので、ちょっとだけムッとした。
オレも砂の上に名前を書く。
「ボクはこう、柑柰 詩雨 」
「詩う雨か」
「よく読めたね。ボクは自分の名前じゃなきゃ、たぶんまだ読めてないよ」
小学校に上がる前に、他の皆がどの程度漢字を読めるのか分からなかった。でも、きっと冬馬は頭が良いか、人よりも努力しているかだろうと思った。
「綺麗な名前だな」
ぼんやりと考えいたオレの耳許で冬馬が囁いた。
その声とその言葉にどきっとして、
「女のコみたいな名前だろ。もっと男っぽい名前が良かった」
と、つっけんどんに言ってしまう。
「そうか?似合ってるよ。お前 ── 」
( あ、しまった、ボケツ )
次にくる言葉が想像できて、慌てて冬馬の口を塞いだ。
「可愛いし」
しかし、既に遅かった。塞いだのは、その言葉が発せられ後だった。遅かったが、オレは塞いだ手にぎゅうと力を入れた。
「もうっ、かわいーって言うの禁止っ!」
冬馬が楽しそうに眼を細めた。
顔にカーっと、熱が溜まる。
( ぜったい、顔真っ赤だ )
冬馬はそのまましばらくオレを見ていたが、もごもごと押しつけた掌を振動させて、何か言った。可愛い、ではない。オレはその手を緩めた。
「また、ピアノ、聴かせろよ」
もう一度ゆっくりと冬馬は言った。今度はちゃんと聞き取れた。
「うん」
オレは大きく頷いた。
その言葉が嬉しかった。
── 冬馬は、オレにできた初めての友だちで、唯一オレがピアノを聴かせたい相手だった。
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